第1話 信仰の堕落

文字数 1,300文字

 自分が教会関連の仕事について二桁の年数を経ようとしている最中、職を辞した。
 色々な理由があったのだが、一言で表現すると「信仰を諦めた」のである。
 いや、それも正確ではない。「信仰を見失いつつある」ということなのである。最初の頃こそ色々な方々にお世話になり、自分の無能さに周囲が助けてくれると感謝していた。
 だが、人間と言うものは時と共に感覚を変化させる生き物である。
 仲の良い友人は教会に対して好意的だ。だが、その人物以外はまるで教会のことについて落第者の様に感じられた。彼らは口々によく言うのは「キリスト教なんか」と言った科白だった。
 それが長い間、自分の中の解けない疑問だったのだ。
 彼らは何を根拠にしてそう言うのかが判らない。自分が視ていて彼らが礼拝に熱心に参加した憶えなどないし、そもそも参加していない。マルティン・ルターの「キリスト者の自由」と言う初歩的な教本さえ理解していない様子だった。
 自分も頭が悪いので人に何か言える資格は本来ないが、彼らのそれは度し難き行為に見えた。まるで神学やキリスト教をある程度研究した人々に対して何も知らない無知な輩が「キリスト教とはこうである」と言う意味不明な確信めいた自信を以って宣言するが如くなのである。
 そういうものだから会話にも苦労する。自分は世事に疎いから普通の人達は会話に苦労させているだろうと言う感覚があった。が、キリスト教になるとことは全く逆の様相になる。彼らは信条や教理については全くの素人。そもそも、研究しようとする意欲すらない。触りの部分だけ聞いて全てを理解したかの様な雰囲気を醸し出しているのである。
 それを批判しようとする自分も又傲慢であるのは否めないし、彼らは仕事そのものに関しては非常に有能なので沈黙していた。
 彼らは彼らなりの持論を展開する。勿論、それは自身の経験に基づいて語る貴重な知識だし、問題ないのだが。問題は持論を重んじる余り教会の歴史を軽視している点である。教会とは初代協会、古代教会、正教会、旧教会、新教会の順に成立していった。この流れも決して正確なものではないが順序的に大まかに言うとそうなる。古代教会の初期に正教会が成立し、後に西ローマの主権を握る旧教会が成立していくのである。教会世界は東方と西方に別けられ、西側は動乱の時代を幾つも乗り越えた。勿論、その過程で旧教会が腐敗したので対抗する為に生まれたのが新教会である。
 さて、今自分はさも物知りそうに語ったがこれがいわゆる触りの部分なのである。一般の信徒とってこれらは自明の知識であって根本的問題ではないのである。では、根本的なものとは何かを探求するのが信徒達の役目である。言い換えれば、使命とも言える。しかし、その根本が実るのは肉体が死した後でしかない。この地上にいる限り、自分達は秘儀を知ってはいてもそれを完璧に身に着けるのは不可能だと自覚している。
 その重みに彼らが気付いていないことが自分の諦観への堕落だった。二千年に亘り研鑽された機構に対する敬意も何もない。しかも困ったことにこれは教会特有の問題ではなく世界の宗教の問題になっていることである。
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