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文字数 523文字

 眠れないのに、夢を見ている。
 火。炎。水。血だまり。霧。ヒースの白と紫。無数の池。岩。光。いまここにないものばかりが見えます。目を開けば見えるのは、あの、頭上に空いた小さな格子の窓だけ。窓? (ふた)でしょう、囚人を明日の朝まで殺さないだけの空気を与える。朝? いまは夜? それともまだ昼、わたしにだけ闇が与えられていて? ええ、闇。長い廊下、壁沿いに小さな灯り。いえ、ちがう。灯りなどない。
 欲しいのは、せめていま少しの空気。わたしの唇に、ふっと笑みが上ってきます。すべてを手にしたはずのわたしが、いま欲しいのは、ほんの少しの新鮮な、冷たい空気。この土牢は、わたしの匂いに満ち満ちています。なま暖かく甘い、雌のけものの匂い。こんなに豊かに立ちのぼっているのに、嗅ぐのがわたし一人だけだなんて残念。それとも、やはり誰か嗅いでいるのかしら、あの天井の上にひっそりと這いつくばって。さっき、ひもでしばった盆に載せてそろそろと、一杯の水にそえて、ひとかけらの糖蜜が降りてきたもの。
 ありがとう、牢番さん。感謝します。親切という名のおまえの欲情に。
 殿。お会いしとうございます。いえ、ちがう。もうすぐお目にかかれます。明日――明日、わたしのいのちが終われば。

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