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文字数 1,775文字

 あの人の胸に飛びこんで、たくさんたくさんキスをして、やっと離れたとき、夫の目に浮かんだかるい驚きと賛嘆の色を見て、わたしは得意でした。まにあうように身支度をととのえておいてよかった。この、細く編んだ髪をめぐらせる髪型、わたしに似合うとわかっているの。
「マルカムも連れてくるそうだ」夫はいそぎ足に、わたしは小走りに走りながら、話しました。「初陣だったから」
「ご活躍?」
「そういう言い方はよせ。誰だって初めてのときは、初めてだ」
「おもらしさえしなければ上出来ね」
「グロッホ」笑っています。立ち止まって、またキス。
次期王位継承者(タニスト)としてのお披露目も兼ねている。大事な宴だから、頼むぞ」
「タニストとしてのお披露目?」
「そうだ」
「あなたの?」
 あきれ顔。「マルカムのだ」
 わかってる、どうせそうでしょう。言ってみただけよ。「あなたは何番目?」
「その次だ。第二位」
「あら、おめでとう。切り倒さなきゃならない枯れ木がずいぶん多いけど」
「ばかを言うな」
 笑いながらも、わたしはむらむらと怒りがこみあげてきました。つい先日、伝統の次期王位継承者決定制度(タニストリー)を勝手に廃したのは、ほかならぬダンカンではありませんか。さすがはわたしのお祖父さまケネスを殺して王座を奪ったマルカムの孫、兄さままで、わたしの目の前で。本来なら家臣団による合議と投票で、継承資格者(ロイダムナ)の中から最も優秀で欠点のない男を選ぶはずなのに、ダンカンはその手続きをたくみに避けて通り、血統だけでしれっと即位した。それが、自分の息子を推す段になったら手の裏を返して。その子の名前まで同じマルカム。ほんと、マルカムという名もダンカンという名も大嫌い。
「わたしだって男ならロイダムナの一人よ。ぎりぎり八親等だけど」
「男ならな。おまえ王になってみたいのか、スコシアの」
「あなたになってほしいの」
「しっ、大声を出すな」
「うちの者たちはみんなそう思ってるわ。あーあ、投票権もないなんて、女なんてつまらない」
「おれはおまえが女でよかったよ。男なら、」またキス。ちょっと長め。「こんなことできないだろう。さ、早く行って仕度してくれ」
 お尻をぽんとたたかれたので、わたしはきゃっと叫んで駆けだしました。
 生前の母に教わったことがあります。いいことグロッホ、どんなにりっぱで賢くて、清らかな殿方でも、女はきれいなほうがお気に召すものよ。ましてやダンカン。彼の女好きを知らない者はありません。人妻、生娘、年増に子ども、いくらでも入るという話だけれど、彼の肉欲のため池には。本当かしら? そんなに強そうには見えないわ。まあいい。わたしは歩きながら、殿への(みさお)をけがさないぎりぎりのところで、何ができるか考えました。樹の花のかすかに香る風をくぐって、巣作り中のイワツバメのさえずりが、ちょっとざらつく鈴をふるようにヒリリリと響いています。そう、まずは、ご到着のときのお出迎え。この服は(しと)やかな色合いだけど、ネックラインをできるだけ下げて、深々とおじぎをしてみよう。谷間がよく見えるように。
 お気に召したようでした。御覚え、ことのほかめでたく。
「美しいとは聞いていたが、これほどとは。それにお若い。どこの娘御かと思いましたぞ。マクベタッドが秘して表に出さぬわけだ」
「いいえ、ひとえにわたくしが不調法(ぶちょうほう)ゆえ。おそれ多いことでございます。わたくしどものご奉公、その一つ一つを倍に、なお倍にいたしましてもとうてい足りませぬ、たまわりましたご恩の深さ広さにくらべれば」
「かた苦しいあいさつは抜きだ、みめ麗しき奥方」いやだこの男、手が湿ってるじゃない。それに長く握りすぎ。「今宵は世話になりますぞ」
 さりげなく腰に手を回してきたので、そこはこちらもさりげなく外して、笑顔で広間へご案内します。
 赤毛の父親の後ろでおどおどしていた長男は、ほとんどまだ少年でした。何、この子。ぱっとしないわね。うちのルーラッハのほうがよほどきれい、そう思ったら胸が刺すように痛みました。ところが、目が合ったとたん、マルカムは顔をそむけ、白い耳たぶから首すじまでみるみる赤く染まっていくのです。わたしはあきれました。ばかじゃないの、子どものくせに。こんな父子にスコシアを牛耳られたら悲劇よね。それが初めて会った日のマルカムの印象です。まあ、次に会うときが最後になるわけだけど。

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