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文字数 1,996文字

 殿は討死(うちじに)。お首級(しるし)を挙げたのは、マクダフ。知らせを聞いてもわたしが涙一つこぼさないので、使者もさすがに不快そうでした。だって、こういう知らせを聞くときが来るだろうとわかっていたから。あの人もいつかは、死ぬ身でした。
 じきにマルカムの配下の者が、わたしを捕らえにくるでしょう。どうしてまだ来ないの。早く連れていけばいいのに。
 明日。明日、また明日が、一日一日、じりじりと這っていく、時のページの最後のひと文字にたどり着くまで。わたしの物語も、そろそろ終わり。どうしてまだ終わらないの。響きと怒りに満ちているだけ、意味などないのに。消えて、消えて、短いろうそく。ダンシネーン、丘の上に空。最期にあなたが見た空は、晴れていた? 何が見えて? 丘の向こうに海はなかったの、断崖は、波しぶきをよけてはばたく海鳥の群れは? きっとあなたは微笑んでおられたのでしょうね――これで、楽になれると。眠れると。マクダフに感謝しなくてはね。わたしがあなたの血を吸いつくしたのよ、マクベタッド。それでもあなたは、とうとうわたしを棄てなかった。棄てるのがめんどくさかったのよね。まあ、いいか、とつぶやいて、指をぽきぽきと鳴らして戦場へ出ていくあなたが目に見えるようよ。あなたはそういう人でした。かわいいひと。わたしの、たった一人のひと。こんなに愛していても、死ぬときは一人なのね。だったら、生まれてくることに何の意味があるの。生きていくことに何の意味があるの。
 決戦の直前に、思いがけないことがありました。
 夢かと、思いました。向こうから、鎖帷子(くさりかたびら)を着た、神のような若者が歩いてくるのです。わたしの前まで来て、ためらい、はにかんだ笑顔を見せました。ああ、その笑いかたが、髪も目も何も似ていないのに、こんな奇跡ってあるの、その笑いかたが、マクベタッドにそっくりなのです。
「母上。お久しゅうございます。そして――お別れにまいりました。父上から初陣のお許しをいただきました。どうか、母上の祝福をたまわりますよう」
 ひざまずいて、頭を垂れています。かすかにふるえています。こんな清らかな頭に、わたしなどの手でさわっていいの? あまりにもおずおずとふれたので、ルーラッハは思い違いをしたらしく、やはり、というような、哀しい目でわたしを見上げました。
「父上から、うかがいました。何もかも」なおもためらっていましたが、言葉では伝えきれないと思ったのか、わたしの手を取って、そっと唇に当てました。「信じていただけないかもしれませんが、感謝しています。わたしを生んでくださって、ありがとうございました。そして、わたしを愛そうとしてくださって。父上と母上の息子で、わたしは、幸せでした。思い残すことはありません」
 ルーラッハ――何を言っているの?
「どんなに、お辛かったでしょう」彼はもう流れる涙をぬぐおうともしませんでした。「本当に――わたしを愛そうとしてくださって、ありがとうございました。父上には、生きて母のそばにいてやってくれと言われましたが、でも、わたしは、父上のご恩にも報いたいのです。どうか最後のわがままをお許しください。マクベタッド・マク・フィンレックの息子として死なせてください」
 ルーラッハは、正真正銘の天使でした。あの子の髪の毛一本にいたるまで、汚らわしい血など一滴も流れていませんでした。マクベタッド、〈生命の息子(マクベーサ)〉という名のあの人が、光と水を惜しみなくそそいで育てたおかげでした。もしかしたらあのギラコムガンも、同じように愛されて育ったなら、こんなまっすぐで美しい人間になれたのかもしれなかった。そして、そして、わたしは――
 あなたを愛そうとしたことなど一度もない、ルーラッハ。愛してしまわないように必死だったのです。幾度も殺されかけて、魂まで殺されかけて、怒りと憎しみにすがって立ちあがることを覚えてしまったわたしは、世界にひたすら、(いな)と言いつづけて生きてきた。あなたを愛してしまったら、自分に非道なはずかしめを与えたこの世界を許すことになる。それが、できませんでした。なんて愚かだったのだろう。許せばよかったのです、あなたを思いきり愛せばよかったのです。答えは、とうの昔に、あの人とあなたが与えてくれていたのに、いまこのときになって気づくなんて、これがわたしへの天罰なのだ。
 わたしはルーラッハを抱きしめて、ありったけのキスを浴びせました。涙にむせんで、思っていることの十分の一も言えませんでした。愛しているの。愛しているの。ずっと愛してきたの。ルーラッハも泣きながら、もうそれでじゅうぶんですと言いました。さようなら、母上。父上のもとへまいります。あのかたは、あなたとぼくにすべてを捧げてくださいました。今度はぼくが、あのかたに捧げる番です。
 行かないで、ルーラッハ。行かないで。
 行かないで。
 マクベタッド。

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