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文字数 2,434文字

 どこまで話したかしら、精霊さん。まだそこにいるの、鬼火さん? あなた、一人ではないわね。二人? 三人? まあいいわ、数なんて。三人で一人なのかもしれないし。
 宴はぶじお開きになり、夜もふけて、静かに。わたしは夫のかたわらで、じっと横たわっていました。あの人の寝息をたしかめて、そっとベッドから降ります。服を着て、隠していた瓶をとり出し、杯とならべてお盆に乗せます。そっと、そっと。
「グロッホ」
 ひどい。ぜんぜん起きてるじゃない。
「どこへ行く」
「ちょっとね」
「それは何だ」
「はちみつ酒」
 ああ、めんどくさい。せっかくわくわくしてたのに。
 ふりむくと、マクベタッドは上半身を起こし、片ひじをついてわたしを見すえています。さっきまでさんざん愛しあったのに、月明かりで見る彼の裸は新鮮。なんていい男なんだろうとわたしはあらためてうっとりしてしまうのだけど、いまはそんなことを口に出せる雰囲気ではありません。
 ゆっくりと起きあがり、わたしのほうへ歩いてきます。回りこむようにして行く手をふさぎ、わたしからお盆をとり上げてしまいました。ふきんに包んでお盆の下に隠していたナイフも。そして、ベッドに腰かけて片手でひたいを押さえ、深々とため息をついています。
「おまえをひもでしばってつないでおくわけにもいかないからな、犬じゃないから。どうしてこういうことを考えつくんだ」
「大丈夫、あなたは寝ていらして。ひとりで行ってくる」
「は?」
「だってダンカンはもうべろべろだったもの、わたしがさんざん飲ませておいたから。それで寝酒を持ってこいなんて見えすいてるじゃない。かりにわたしに乗っかってきても、ものの役には立たないわよ。で、一突きすれば、正当防衛になるでしょ」
 夫はベッドの、自分の座っている隣のところを、ぽんぽんとたたきました。ここへ座れということです。怖いお顔も素敵。
「聖書のユーディトにでもなったつもりか。ひとりで乗りこんでいって敵将の首をとったという美女の」
「あら、ユーディトはばかよ。()る前に寝ちゃってるもの。わたしは寝ないわ。くさい男は嫌い」
 フウ、と、フクロウのするどい声が、夜のしじまを刃のように切り開いていきます。フウ。
「あなたのお役に立ちたいの」
「こんなことをおれが望んでいるとでも?」
「望んでいないの?」
「いない」一瞬、ほんの一瞬だけ、早すぎる答えでした。わたしは唇に指をあてて、しっ、と言いました。
「他のみんなは望んでいるわ、あなたが王になることを。べつにわたし、王妃さまになって冠がかぶりたいわけでも、ぶどう酒を好きなだけ飲んでみたいわけでもないのよ。そんなのどうでもいい。ただ、あの口先だけの低能男が人の上に立っているのが、どうしても、どうしても許せないの。スコシアはこのままじゃだめになる。あなたもそう思うでしょう?」
「それとこれとは別だ」
「どこが別なの」
「ダンカンはいま、うちの客人だ。彼を敵から守るのが、おれたちの――」
「あいつ自身が敵よ。わたしを手込めにしたがってるのよ。これを許したら、次はかならずこのマリの州に侵入してくる。先手を打たないと」
「だとしても、おまえが行く必要は」
「ほかに誰が?」
「おまえ、人を殺したことがあるか」
「ないわ」
「あれは嫌なものだぞ。戦場でも。いつまでも感触が残る。おまえは知らないんだ」
「知らないけど、知ってるわ。だって人を斬って帰ってきた晩のあなたは、ふだんより激しいから。今夜みたいに」
 夫の目がかっと見開かれ、そのまま、まばたきを止めました。
 かわいい、かわいいひと。宝物。わたしは夫の頭を抱いて、左右のまぶたにそっとキスしました。あなたは優しすぎる。清潔すぎる。甘すぎる。野心はあっても、そのための邪心がない。
「わたし、全世界がマクベタッド・マク・フィンレックの足もとにひれ伏すのを見てみたいの。そのためなら、わたしなんてどうなってもいいのよ。どうせ、いったん捨てたいのちをあなたに拾ってもらっただけだから」
「そんなこと言わないでくれ」
「言うわ」
「おまえには関わらないでいてほしいんだ、こういう汚らわしいことに。家にいて、家を守っていてほしいんだ。それだけじゃ不満なのか」
「家を守るって何?」ぜったいに泣かないと、泣くのは卑怯だとかたく決めていたのに、いったんあふれ出すと涙が止まりませんでした。「わたし、家にいても、何もすることがないじゃない。子どもも産めない。育てる能力もない。あなたのベッドのお相手をするだけ。このままじゃわたし、ただの愛人じゃない。あなたの妻になりたいの」
 こんなにあなたを困らせているのに、どうしてあなたはわたしを棄てないのだろうと思います。いつか棄てられるのでしょうね。そうしたらその場で死のうと思います。でも、そのときまでは――そのときが一分一秒でも先のことでありますように。こんなふうにしか愛せなくて、ごめんなさい。わたしだって、こんな女になりたくなかった。
「わかった」低いお声でした。「とにかく、おまえはここにいてくれ。一歩も部屋から出るなよ。おれが行ってくる。ダンカンと話してくる」
「話すの?」
「おまえの言うとおりなんだ」手早く服を身に付けていきます。「みんな不満なんだ。このままではかならずまた分裂が起こる。もう戦はたくさんだからな」
「話して通じると思うの」
「わからない。でもおまえを人身御供にさし出すよりましだ」
 フウ。フクロウは泣きつづけていました。フウ。待つのは苦手。一歩も出るなと言われたけれど、耐えられなくて扉を開けて、立って待っていました。闇。長い廊下、壁沿いに小さな灯り。フウ。あなたはナイフを持っていかなかった。本当に話をするつもりだった。曲がり角に巨大な影がのび、それがあなたの影だとわかるまで、わたしはどのくらい立って待っていたのでしょう。歩くあとに、ぽたり、ぽたりと、血。ダンカンの剣。ダンカンの血。
「グロッホ」あの人は淡々と言いました。「殺してきた」

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