第11話

文字数 2,507文字

 チャンスは意外にも早く訪れた。純粋に心から江戸切子の作品と技術に感動する孝司を、源二が気に入るのは早かった。また源二は相撲や格闘技に造詣がふかく同じ趣味を持つ孝司とまたたく間に意気投合し、早速ふたりで呑みにいくこととなった。ペコはペコでクサヤのような臭気を放つ過剰な個性をもった五郎に興味を持っていた、いや面白がっていたと言ったほうがよさそうだ。
 一日の見学取材が終わり、孝司が工芸所前の喫煙所で一服しているとペコがニヤニヤしながら工芸所から出てきた。
「なにニヤニヤしてんだよ。土蜘蛛かなんか見つけたか?」
 ペコは薄ら笑いを浮かべたまま首を横にふった。
「ゴキブリか?」
 ペコは、またかぶりをふる。
「なんなんだよお?」
 ペコは思い出し笑いに声をふるわせながら、「五郎さんよ」と言った。
「ああ」と孝司は得心して苦笑いをうかべた。見学中のペコは切子よりも五郎の所作や、しゃべり方に注目してはニタニタと薄ら笑いをうかべていた。
明らかに面白がられているのにもかかわらず、五郎のおしゃべりは止まらなかった。それどころか、ギャラリーがいることに気分が高揚したのかいささか暴走気味であった。わざとペコが煽るため笑点のテーマを口ずさみ、林家木久扇の物まねをしながら、切子を磨きはじめたたもんだから、真輔に大目玉をくらっていたのだった。
 孝司も源二と親しくなり、これから一緒に呑みにいくことになったから、いろいろと話が聞けそうだと話すと、ペコは興味深い話をはじめた。
五郎のおしゃべりのなかで詐欺事件にかかわる話がひとつあったという。五郎が贔屓にしているたい焼き屋で金融詐欺の話を聞いたというのだ。五郎は普段づかいの買い物とは別に、わざわざ隣町の商店街までたい焼きだけを買いにいくという。そして今日も買いに行くとのことだった。
「なるほど。つけるのか。リュックは?」
「持ってきてる!五郎さん曰くパリッパリの薄皮であんこたっぷりなんだって」
「何が」
「たい焼き」、ペコはニンマリしてうなずいている。
「それはいいから。猫の姿で店に近づいて、五郎さんが店を去ってからも店主と客の話を聞き込んでこい」
 ふたりはそれぞれの役割を終えたら、夜の八時に工芸所前で待ち合わせてから帰ることにした。
 夜の空気に暖かさと湿り気を感じる。冬の足跡はもう見あたらない。孝司は仕事とはいえ日が長くなった夕刻から源二と旨い酒を呑みながら、大好きな相撲や格闘技の話を心おきなく楽しめたことを心から喜んでいた。
源二も同様であり、小林工芸所前に帰るころには、すっかり気持ちよく酔っぱらっていた。少しふらつく源二の足もとを気にしながら、小林宅の前につくと孝司は源二の肩にやさしく手をおいた。
「源二さん。今日はほんとに楽しかったです。また付きあってください」
「なんでえ。あらたまって。こちらこそだよ。ありがとよ。そうだ孝司さん。大相撲夏場所を真輔と一緒に見に行こうよ。あいつも子どもの頃から相撲が大好きでねえ」
 源二の肩越しに、小林工芸所前にリュックを背負った白い猫が歩いてくるのが見えた。
「ぜひ。お付き合いさせてください」孝司は微笑んで、力強く頷いた。

 小林工芸所前の堀川の向こうにある公園のベンチに座り、ふたりはお互いの成果を報告することにした。夜桜を公園の街灯が照らしている。ペコは猫の姿のままベンチに前足をそろえてすわっている。
ねえ。今度行こうよ。
「どこにだよ」
 ペコは真っ白い首を傾いで、孝司をじっと見た。
なんだよ。どこにだよ。
たい焼き屋。
「わかったよ。今度な。で、どうだったんだよ」
 五郎の行きつけのたい焼き屋は、この公園からふたつほど堀川を渡ったところにある土町商店街にあった。五郎はそこで三つたい焼きを買ったという。店に向かう道中の五郎は弾むように歩きながら、韻を踏んだだけの意味の分からない出鱈目なラップを口ずさんでいた、というどうでもいいエピソードについてペコが話し始めると、早々に孝司にさえぎられ本題を促された。
ペコの話によると、たい焼き屋はたい焼きが焼けるまでの間に、なじみ客同士が商店街や町の噂など、情報をやりとりする井戸端会議の場所となっているという。
お店の人の話によると警察が聞き込みに来たらしいわ。詐欺被害にあったのは土町商店街の貴金属店の店主。たい焼き屋のお客さんの話によると犯人像は痩せぎすで、高そうなスーツを着て黒縁眼鏡をかけてるって話よ。貴金属店の店主が商店街の喫茶店で犯人と思われる人物と話し込んでるのを見たんだって。
「ほかに特徴は?」
うーん。あっ!声が低かったって。小さな声で話していても低くてよく通る声だから、株がどうとか儲かるとか言ってるのが、よく聴こえたんだって。
「ほうー。上出来じゃねえかペコ」と孝司が頭をなでようとすると、ペコはひょいと首を動かしてそれをかわした。「ふんっ。可愛くねえやつ」と舌打ちをすると孝司はタバコに火をつけた。
で。そっちはどうだったの?
 孝司はタバコの煙をゆっくりとはくと、深くベンチの背もたれに身をあずけて桜を見上げた。
「真面目な人だよ。本当に誠実な人。憧れちゃうなあ。いい時間だった。絶対また一緒に呑みにいく」
それはわかったから。何かつかめたの?
 孝司は片眉をあげて意地悪そうな目つきでペコを見た。
「良い人柄ってことがつかめたんだよ。あの人に限って博打や女って線は無いな」
あっ!人柄で決めつけてる!
「魔が差すってのは誰でもあることなんだろうけど、あの人にかぎって手を汚すことはまずないな。でも詐欺に合う可能性はあるかも。人がいいし」
いったいふたりでどんな話をしてたのよ?
「相撲と格闘技」
それで人柄がわかるの?
ペコは目を丸くして孝司を見ている。
「わかるよ。好きな力士や選手の話を聞けばな」
 孝司は当たり前だろっといったような平然とした顔で、ペコをチラッと見て立ち上がった。
あたしには全くわからない世界だわ。
「猫ごときにわかってもらっちゃ困る」
 孝司が平板な声で言うと、ペコはベンチからぴょんと降りて孝司の足をひっかいた。


(次回の更新は3月7日です)
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