第4話

文字数 3,384文字

 孝司の夕食はカップ焼きそばだった。小さなこたつの上には空になったカップ焼きそばの容器と缶ビールが置かれている。猫の姿に戻ったペコは、キャットフード。孝司は寝転がって腰から下をこたつにつっこんで、肘枕をしてスマホと睨めっこしている。
ペコはこたつの脇でテレビを見ている。テレビの歌番組では女性タレントが最近ヒットした自分の曲を歌っている。ペコの横にはコハダ探偵事務所からの帰り道に買った、値札が付いたままのレディースの白いパーカーとブラウス、デニムのスキニースリムパンツが畳んで置いてある。ペコの人間用の外出着だ。
「そんなにずっとスマホを見ていると目が悪くなっちゃうよ」
 孝司に背を向けテレビを見ながらペコは言った。が、孝司は応えない。
ママにずっと注意されてたじゃない。
「ママとか言うな」
やっと答えたが、姿勢は変わらずスマホから目をはなさない。
「それに、毎日そんなもの食べてるの?体こわしちゃうよ」
「お前の人間用・・いや外出用の服を今日買わなかったら、もっといいもん食ってるよ」
 ペコはシカトして大きなあくびをした。孝司はおもむろにスマホの画面をタッチして耳にあてた。ペコがなんとなく首だけでふりかえり孝司の様子を見てみると、瞬きもせずに一点を見つめて相手が電話にでるのを待っている。
スマホからもれ出てくるコール音と、テレビから聞こえる歌番組の女性歌手の歌声が重なる。時計の短針は十一に近づこうとしている。静かだった戸外からは救急車のサイレンが遠くから小さく聞こえる。
孝司はスマホを耳からはなすと、画面を睨みつけて乱暴にタッチしてベッドの上にぞんざいに投げた。 そして肘枕をしたまま目を閉じた。
そのまま寝るの?
「ああ」
歯。磨いてないよね。
「ああ」
お風呂入ってないよね。
「ああ」
長さんに怒られるよ。
「いつの話だよ」
いかりや長介だよ。
「知ってるよ。うるさいなあ」
着替えもしてない。
「風呂も着替えも朝にする」
テレビも点けっぱなし。
「うるせえなあ。お前が消せよ。見てたんだから」
猫に言わないでよ!この手、いや前足でどうやってリモコン使えってのよ!
ペコは前足を上げて肉球を孝司に押しつけた。
 孝司はめんどくさそうに、こたつの上にあるリモコンを手にとり、テレビを消すと「お前も早く寝ろよ。明日は調査で忙しいぞ」と言って目を閉じた。
猫は夜行性なの。
「ああ、そうかい。そうだったね。おやすみ」乾いた声でそう言うと孝司はすぐに寝息を立てだした。
 ペコはベッドの布団の上に沈んだスマホに目をやった。スマホの画面は暗く、メールやコールを受信した気配はない。孝司が電話していた相手は想像がつく。
おやすみ。孝司。
 ペコは前足をたたむと、そこに顔をうずめ、目を細めて孝司の寝顔を見た。寝顔は子どもの頃と変わんないな。

 名刺にある住所は、新宿と中野の間にある幹線道路沿いに面した雑居ビルの三階、三〇一号室であった。警察の調べのとおり空き物件であった。入り口の自動ドアには「ペナント募集」と張り紙がされている。孝司は階段を降りて一階にある集合ポストへとむかい、三〇一号室のポストの扉の隙間から中を覗いてみたが、宅配ピザや水道修理などの広告チラシがたまっているだけだった。ポストにもペナント募集とテプラが貼られている。長きにわたり空き物件なのだろう。やはり架空の会社か・・・・
 雑居ビル周辺を歩いてまわっていたペコが戻ってきた。
「この姿だとどうにももどかしいわ」
「どういうこと?」
 ペコは昨日買った白いパーカーと、デニムのスキニー姿で、両手を腰にあてて首を横に傾いでいる。
「うーん。猫の魂が叫ぶのよ」
「なんだそりゃ?」
「走れ!跳べっ!て」
「なるほど。確かに人間の姿だと機動性に欠ける。しかしなあ・・・・・」孝司は顎に手をやって、しばし考えてからポンと拳で手のひらをたたくと「よし!やってみよう!」とペコを見た。

雑居ビルのむかいにある、スーパーの多目的トイレのドアの前。孝司はそわそわと不自然に目をパチクリさせながら周囲の様子をうかがっている。「まだか?」と背後のドアに声を潜めて言ってみたが返答はない。
 車いすをヘルパーさんに押してもらいながら、買い物荷物をかかえたお婆ちゃんが、レジカウンターからこっちに来るのが視界の端にはいった。このトイレを使用する可能性は高い。「ペコ!まだか?」孝司は声を押し殺してドアに向かって言った。
 お婆ちゃんが近づいてくる。ヘルパーさんと目が合ってしまった。やはり使うのか?やっぱりそうだ。あの車椅子の軌道の先はこのトイレだ。いや。でもトイレの前を通過すると、すぐにスーパーの出入り口だ。通り過ぎるだけの可能性もある。ヘルパーさんとお婆ちゃんはすでに孝司の三メートル前方に近づきつつあった。
ヘルパーさんと目が合った。孝司は軽く会釈して愛想笑いを浮かべた。ヘルパーさんは怪訝な顔で会釈を返した。さらに近づいてくるとヘルパーさんとお婆ちゃんの軌道の先はトイレからは外れ、出入り口に向かっていることがわかった。大丈夫だ。孝司は胸をなでおろして、近づいてきたお婆ちゃんにも笑顔で会釈した。その瞬間、多目的トイレのドアの裏からシャカシャカシャカシャカ!という音が無遠慮に響きだした。ペコが開けろと爪でドアを引っ掻いている。しつこく長くそのシャカシャカ音は鳴り響く。ヘルパーさんとお婆ちゃんは孝司の前で立ち止まり、不審そうに多目的トイレのドアを見つめる。シャカシャカシャカシャカとペコの引っ掻く音が加速する。
 もうダメだ。ごまかしようがない。孝司が後ろ手でドアを引くと隙間からニャニャ!と猫の姿のペコが勢いよく飛び出していった。ヘルパーさんとお婆ちゃんが声をそろえて「ええええっ!」と、目と口を丸くさせてびっくりしている。その隙に孝司も「ええええ!」と驚いたふりをしながら急いでトイレに入り、ペコの服を回収すると顔を見合わせて驚いているヘルパーさんとお婆ちゃんに、真剣な顔でこう言った。
「あのお客さん、猫を被っていたようです」と言ってスーパー出入り口に走っていった。

 細い路地を走り、ごみバケツの上をキックして、ブロック塀の上に乗り移るとペコは耳をピンと立てて周辺に注意を働かせる。猫の聴力は人間の五倍。狩りをするために必要な能力だ。この聴力でネズミなどの獲物の気配を感じ取るのだ。
ペコは大きく目を見開いて耳を動かして周囲の気配や音を聞き分ける。気になる方角に素早く顔を向けてはゆっくりと塀の上を歩いていく。「ニャラララララー」と警戒する鳴き声を出して立ち止まると、塀からぴょんと飛び降りた。そこは駐車場だった。駐車されている数台の車を観察しながら周囲の音に耳を澄ます。
 孝司は雑居ビルの階段や廊下に何か手がかりになるようなものがないか調べてから、ビル周辺の歩道や路地もくまなく見て回った。結局気になるものは何も無かったので、歩道の植え込みに腰をかけてペコの帰りを待つことにした。
タバコを一本吸い終えるころにペコが戻ってきた。白い毛が、風に揺れている。孝司に近づくと、足元に座って前足をペロペロと舐めている。孝司はペコの額を人さし指で軽く押して言った。
「何か収穫はあったか?」
 青緑の目だけで、孝司を見た。
うるさい街ね。頭痛くなっちゃった。何匹か猫もいたけどあの子たちは慣れっこなんだろうね。
「だから何か収穫は?」
そんな簡単に見つかるもんじゃないでしょ。とにかくいろんな音や声、会話がたくさんあったってことだけよ。
「まあ。猫ごときが大したことできるわきゃねえわな」と孝司は片眉と口の端を上げて笑った。
 ニャニャッ!とペコは孝司の脛を軽く引っ掻いた。
「何すんだよ!この野郎。昼めし食わせねえぞ」と孝司は慌てて足を引っ込めて、ペコの額をはたこうとするが、ペコは華麗に身を引いてかわす。通りすがりのОLたちが足を止め、クスクス笑いながらふたりを見ている。「行くぞ。バカ猫!そのかっこじゃ電車乗れねえぞ」
そう言い捨てて孝司は立ち上がり、ペコの服を手に先ほどのスーパーに向かった。



*ご拝読ありがとうございます。今年より毎週木曜日の更新となります。
 



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