第6話

文字数 3,323文字



事故現場から首都高速道路沿いの歩道を、ペコと孝司は芝浦埠頭駅に向かってゆっくり歩く。ペコは巨大な首都高の高架を眺めている。とてもじゃないけどあんな高いところに飛び移ることはできないなあと思いながら、歩く速度をゆるめると孝司の背中にまわった。「なっ、なんなんだよ!」と孝司は驚いて、ふり返った。
「だって冷たいんだもん。風が」
 今日は三寒四温の寒のほうだ。陽ざしは春を謳ってはいるが、高架下は陰になり風は冬の冷たさのまま吹きつけてくる。
「寒いからって、人を風よけにすんじゃねえよ。そんなやついねえぞ?」
「猫だから」
「そういう問題じゃなくて、気持ち悪いから横歩けよ。まわりにも変に思われるし」
「電車に乗るまで。いいでしょ」とペコは肩をすくめて舌を出した。
 孝司は「フン!猫娘が」と言い捨てて走り出した。「ちょっと!ちょっと待ってよ」とペコが追いかける。ふり返りながら孝司が「どうだ!猫の姿のときのようには早く走れねえだろ」と言って意地悪く笑う。

 事故現場がだめなら、お台場で聞き込みをしようと言ったのはペコだ。結果的に事故に至ったが、歳三さんは首都高に乗ろうとしていたのではないか。お台場かどこかに用事があったのではないか。さもすると事故前にも同じルートを辿ったことがあるのではないかという推測だ。事故現場周辺を歩くとたしかに現場は首都高速入り口に近かった。何の用事もないのにここまで来ることは考えられない。何か目的があったのかもしれないと、孝司も納得した。
 ふたりはゆりかもめに乗り、首都高速の出口に近いお台場海浜公園駅で降りて、テレビ局へと続く大通りの歩道を歩く。行き交う人たちは会社員か物見遊山の観光客。建物はビルやアミューズメント施設。向かい側には東京ではおなじみの緑色のスーパーが見える。
「まったくどうしたもんかなあ。歳三さんが立ち寄りそうな所なんてここじゃまったく見当がつかねえ」
「スーパーにお買い物に来た」
「お前、馬鹿か?」
「失礼ね。猫よ」
「あのスーパーなんてそこらじゅうにあるだろ」
「うーむ・・・・・」孝司は立ち止まり両腕を組んでしばし考えこんだ。ペコも立ち止まり、孝司の皮のジャケットの裾をつまんでひっぱると「どうしたの?」と孝司の顔をのぞきこんだ。
「演技だペコ。お前が真希さんの役をするんだ。孫のふりをして片っ端からオフィスビルの通用口の警備員に、歳三さんの写真を見せて聞き込みをする」
「演技ってどうやってすんの?」
「コハダ探偵事務所に来た時の真希さんを思い出せ。祖父への疑念を晴らしたいんです、と泣きながら写真を見せるんだ」
「嘘はつきたくないわ」
わざとらしく、真面目なもっともらしい表情を作ると、ペコは両腕を組んだ。
「なんだチミは?嘘じゃねえよ。演技だよ!演技。見ず知らずの他人には簡単に情報漏らさないってのが人間社会なの。孫だって言えば同情して協力してくれるはずだ。ここは嘘も方便なの」
そう言い終えると孝司は「まったく猫の癖に人間ぶりやがって」と付け足した。間髪を入れずペコの強烈なキックが孝司のお尻に突き刺さった。

 ふたりはオフィスビルの通用口を見つけては警備員に走り寄り、ペコが歳三さんの写真を見せて情報を請うた。思いのほかペコの演技は効果的であった。あの青緑の目を潤まされて頼まれると、中高年の警備員皆さん一様に弱いようで「そうか。そうか。可哀そうにお嬢さん。どれどれ、写真を見せてごらんなさい」と警備員たちは、けっこう簡単に協力に同意して写真を手に取り真剣に見覚えがないか思案してくれた。なかには通用口の使用者名簿をめくって歳三さんの名前がないか、確認してくれる警備員もいた。
 孝司のことを、ペコの彼氏と勘違いして「彼氏さんもえらいねえ。早く見つかるといいね」と労ってくれる警備員もいた。孝司は同情をひく悲し気な表情を浮かべて「ありがとうございます」と言って心の中で「飼い主だよ」とつぶやいた。
 目につくオフィスビルの通用口の聞き込みをあらかた終えると、ふたりはガードレールにもたれて休憩することにした。
「ここも手がかりなしか」と孝司はタバコに火をつけ、ひと口吸うと空を見上げながら煙をはいた。「まだあるじゃない」とペコは体をひねって後ろをふりかえった。
「ああ。そうかゴジテレビ。ペコ。あれがテレビ局」
「へえー」
「まあ。あまり期待できないけど行ってみるか」

 結局、ゴジテレビの通用口の警備員も歳三さんを見た覚えはないとのことだった。情けを引くペコの必死の演技により、通用口の使用者名簿もひらいて確認させてくれたが、事故当日はもちろんのことそれまでの間の記録にも、歳三さんの名前はなかった。ふたりはもう一度、あの怪しい名刺のメモに立ち返ることにして、帰り道に喫茶「如月」で意見を交わしながら夕食をすませて家に帰った。
 ペコはテレビの前にすわり小さなボールに入った水を飲みながら、ちらりと時折りテレビの画面に目をやる。孝司は風呂に入っている。ビールでほろ酔いになるとそのまま寝てしまうから先に入ったらどう?とのペコのすすめに意外と素直にしたがった。
 テレビのバラエティ番組からは、押しつけがましい笑い声が聞こえて来る。ペコは退屈になってきて画面に目をやることを止め、一心に水を飲むことにしたが、何気なく聞こえてきた言葉に舌の動きがとまった。
あれ?これって―。ペコはふり返り、かけ出して浴室の折れ戸をガシガシと引っ掻いた。
孝司!孝司!早く出てきて!名刺が出てるの!
 浴室から、「んだよおおぉ」と浴室のエコーが効いた孝司の声が聞こえる。が、出てくる気配はない。ペコはもう一度ガシガシガシガシと引っ掻き続けた。
「うっせーなあー!」
 ざばん、と湯から上がる音が聞こえると、やっと折れ戸に近づいてきた。
 孝司!あれよ!あれ!嘘だと言って。
「おれは本当のことしか言わねえよ」
 バスタオルでがしがしと、濡れた頭を拭いている。
「そうじゃないの!名刺の裏のメモが出てるの!」
 半裸が許された孝司はバスタオルを腰に巻いて、ペコと並んで膝立ちでテレビの画面を見た。
「しかし大ヒットしましたねー!紗耶香さん!」司会者が大げさな表情でわざとらしく隣に座る女性に話しかける。無表情だったその紗耶香という女性は作り笑いを浮かべて「ありがとうございます」小さく頭をさげた。
「ああ。コイツな。名刺のメモの唄だろ。〈嘘だと言って〉という泣き虫の唄を、泣き虫で臆病な連中に大ヒットさせてしまった罪深きクソタレントな」
孝司。この女の人の名前を紙に書いて!
「なんでだよ」
ゴジテレビの通用口の名簿で見たような気がするの。あたし読めないけど字の形はわかるわ。
 孝司はメモ用紙に川崎紗耶香と書いてペコに見せた。
やっぱり。同じ。名簿で見た!
「そら芸能人だもんよお。テレビ局にはよく来るだろ」
 孝司は両眉を上げて、「ビール飲も」と立ち上がり、スェットの上着を手に取り頭をつっこんだ。
孝司。川崎紗耶香と書かれていた日付なんだけど、歳三さんの事故があった日と同じだったの。だからなんとなく覚えていて。
 スウェットの襟首からすぽっと頭を出した孝司の顔は、ペコが初めて見る真剣な男の表情に変わっていた。
「ペコ。こないだテレビ見てた時にもコイツ出てたよな。確か、歌ってた」という孝司の声はいつもと違い、低く鋭さをおびていた。
「うん。歌ってた」
「そのときのコイツと今のコイツと何か違いとか気づくようなことはないか?」
 ペコは青緑の目を大きく開いてテレビ画面の川崎紗耶香を見た。尻尾はしばらく左右に揺れ、やがて止まった。
「こないだ見たときは何か貼ってた。ほら、人間がケガしたときに貼るやつ」
「絆創膏だ。どこに貼ってた?」孝司は膝をついて、ペコの頭の後ろにやさしく手をあてた。
えーっとね。手。
ペコは右の前足を上げてピンク色の肉球を孝司に向けた。
「ありがとうペコ。つながりそうだな」
 どういうこと?
「歳三さんの事故現場に何があった?」
 ガラスの破片。
「割れたガラスにうっかり触ると?」
 ケガをする。
「なっ!調べてみる価値はある」孝司はニヤリと笑い、片目をつぶってみせた。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み