第13話

文字数 3,527文字

 篠宮警部からの情報によると、港東区内での詐欺事件の捜査は新たな局面を迎えていた。木戸町で土町の詐欺事件の実行犯の目撃情報が入ったのだ。すでに所轄が捜査に乗り出している。木戸町といえば源二が日曜日に訪れている。次の日曜日の尾行に失敗は許されない。現行犯で逮捕してやると息巻くペコを、「探偵は逮捕できないの」と孝司はたしなめた。
 小林工芸所見学取材最終日の土曜日の夕方。小林工芸所の前では孝司とペコの小さな卒業式が催されていた。ふたりの江戸切子の作品は桃子の手によって化粧箱に入れられ、明るい辛子色の風呂敷に綺麗に包まれていた。源二の手により恭しく二人にそれが手渡された。
「たいへんお世話になりました。心より御礼申し上げます。指導のみならず皆様にはたくさんのことを学ばされました。本当にありがとうございます」
 そう言うと孝司は慇懃に深くお辞儀をした。横でペコもそれに倣った。
「また気軽に立ち寄ってください」真輔が孝司に手を差しだし、握手をもとめた。
「ぜひ。甘えさせていただきます」
孝司は目に含みをもたせ、事前に真輔と計画した尾行について無言で確認した。
  尾行は明日実行に移される。源二が出かける時間帯は、日曜日の午後三時以降に集中している。真輔と桃子はその時間帯には在宅し、源二の動向を見張る。五郎は工芸所に控えて、小林宅とを行き来して外の様子を見張る。
 孝司とペコは小林宅向かいの堀川をわたった桜の公園で待機。源二が出かけそうだとの連絡を受けたらすぐに尾行を開始する。
 孝司とペコは何度も小林宅をふりかえり三人に手を振りながら小林宅を後にした。源二、真輔と桃子、そして五郎は二人の後ろ姿が堀川の橋をわたり、公園のなかの桜並木のなかへ消えていくまで見送っていた。
 卯月町駅前に着くやいなや、孝司のスマホがふるえた。電話に出ると真輔が慌てた口調で今さっき源二が出かけてしまったと狼狽している。
「油断していました。まさか今日出かけるなんて。どうしたらいいでしょう!」
 電話口の真輔の声は泣き声に近かった。
「今から探しに行きます。もどってくる可能性もあるので真輔さんたちは、家にいてください」
 孝司は落ち着いた声でペコに事情を話した。
「やばいじゃない!犯人が警戒して日を変えたのよ!」
 孝司は西の空に目をやった。四月の夕空はまだ明るい。腕時計を見ると短針は五時をさそうとしている。
「孝司!早く行こう!源二さんが危ない!木戸町よね」
「いや土町だ。理由はあとで説明するからとにかく一緒に土町を探してくれ」

 商店街の入り口にある、土町福福通り商店街と書かれたアーチの中心にある時計は夕陽の色に染まっていた。アーチには福福フェアーと書かれた提灯がたくさんつられている。アーチをくぐるとピーク時間を過ぎたためか客足はまばらであった。軒下の商品を片付けるなど店じまいの準備を始めている店もある。和菓子屋、理容店、蕎麦屋の前をすぎると揚げ物の香りが漂ってきた。これは肉屋の揚げ物だと孝司は思った。肉屋はラードで揚げるため、衣の味も香りも濃厚だ。七、八歳ぐらいのおかっぱ頭の男の子を真ん中に親子三人が手をつなぎ、古びた中華料理店の暖簾をくぐるのを見て、孝司は思わず目を細めた。正しい。なんと正しい家族の風景なんだ、と声にだして呟いた。八百七という八百屋では野菜だけではなく、けっこうな種類の漬物が売られている。樽に入っているべったら漬けを見るところ、かなり漬物づくりに力を注いでいるようだ。
 ペコが情報を仕入れてきた五郎ご贔屓のたい焼き屋が目に入ると、ペコはそこから目をはなさずに美味しそうでしょと孝司の袖を引いた。孝司は聞こえないふりをして、たい焼き屋をとおりすぎた。通りに揚げ物の香りが満ちてくると肉屋の店舗が見えてきた。店先では、フライヤーでコロッケやとんかつが揚げられている。揚げたてを買って帰ろうと数人の客が待ちどおしそうに店の前で待っている。
 つと肉屋から目をはなしジュースや缶ビールの自動販売機に目を移すと、その前のベンチに額がひろい白髪頭の男が座っているのが目に入った。孝司は怪しまれないようにさりげなく前を横切りながら顔を確認した。
 それは源二だった。
「孝司さん!あんれまあ、またどうして!偶然だねえ」と源二は驚いて立ち上がり、孝司に歩みよった。
「いやほんと偶然ですねえ。今日はペコのやつが五郎さんからここに美味しいたい焼き屋があるって聞いたもんで、ちょっと来てみたんです。しかし素敵な商店街ですね」
「たい焼きもいいけどそこの肉屋のコロッケが絶品でね。へへ。恥ずかしながらさっきひとりで食っちまいました」とベンチに座りなおした。ベンチには、缶ビールと肉屋の紙袋が置かれていた。
「昔っからここの肉と揚げ物が好きでねえ。今の店主は二代目なんですがね。肉の質も良いし、揚げ物の味もしっかり継いでくれたんで先代もほっとしているでしょう」
 肉屋をみると軒先のテントには丸山精肉店と書かれている。その上にはミート・ザ・ハートビートと乱暴な字で書き足されている。きっと二代目の仕業だと、孝司は頬を緩ませた。肉のミートと、出会いのミートのダブルミーニングでハートビートにかけている。二代目であろう四十代ぐらいの店主が活き活きとした笑顔で額の汗をぬぐいながら、フライヤーの前でコロッケやとんかつを揚げている。
 ご馳走させてくだせえと立ち上がろうとする源二を、やんわりと制すると孝司は「ここは私にもたせてください。ミート・ザ・ハートビート」といたずらっぽく片目をつぶって店先に向かった。
 ペコとならんでフライヤーの前でコロッケが揚がるのを待つ。ペコは顔をしかめてフライヤーを睨んでいる。
「あんな熱そうなものあたし食べられない」と頬を膨らませた。
「帰りに、たい焼き買ってあげるから辛抱してくれよ。すぐ冷めるし」と宥めるとスマホがふるえた。失礼と店主に軽く頭を下げて画面を見ると篠宮だった。
「どうしました?篠宮さん。えっ?そうですか。よかった。はい。こっちは大丈夫です。いろいろご配慮いただきありがとうございました」
 孝司がスマホを切ると「誰から?」とペコが袖を引いた。
「篠宮さん。木戸町で詐欺の実行犯が確保されたって」
「えっ?じゃ源二さんは?」
「はなから詐欺グループとの接触はなかったのかもしれない。取り越し苦労だったかな」孝司はうれしそうにほほえんだ。
 揚げ物を買い受けると自動販売機で、缶ビール二本とペコのカルピスソーダを買った。
「お待たせしました」
 孝司は源二の横にすわり、缶ビールをわたして熱々のコロッケが入った紙袋を源二のほうへ傾けた。
「いやかたじけない。ありがたく甘えさせていただきます」と源二は眩しそうな笑顔を浮かべてコロッケをひとつつまみ出して、缶ビールのプルリングをあけた。ペコはすでに両手でカルピスソーダの缶を持ち、炭酸の刺激に目をパチクリさせている。
 孝司もコロッケをひと口かじり「ほほっほ。揚げたてうめえ」と目尻をさげ、旨さに体をよじらせた。
「しかし素敵な商店街だなあ。さっき通りかかった八百屋さんの漬物もおいしそうだった」
「八百七だ!あそこのべったら漬けは間違いないよ」
 そう言って源二は缶ビールをひと口飲むと、商店街通りの奥の方をひょいと振り返った。孝司もその視線の先を追った。商店街通りの真ん中に時計塔があった。影が長くなってきている。
「たい焼きも美味しいんですってね」ペコが孝司の横から身を乗りだして、朝顔のような明るい笑顔を源二にむけた。
「ああ。うめえぞお!ペコちゃん。帰りに買ってあげるよ」
 やった!とペコは手のひらを目いっぱい広げて腕を突き上げ、ベンチの背もたれに体を大きく反らして喜んだ。
「しかし遅いなあ。女房のやつ」源二は首をのばしてまた商店街通りの奥のほうへ目をやった。
 孝司の顔から表情が消えた。
「もうちょっとしたら帰ってくるから。そしたら一緒にたい焼き買って帰ろうな」源二は優しい笑顔をペコにむけた。
 孝司は思わず源二から顔をそらした。その顔は悲しく痛ましげに歪み、目は赤く涙がたまっていた。ペコはきょとんとした顔で孝司と源二を交互に見ている。商店街のスピーカーからは閉店を知らせる「別れの曲」のメロディーが小さな音で流れていた。
 孝司は真輔さんから電話があり、静恵さんはすでに帰宅していると嘘をつき、源二を小林家まで送り届けた。事前に真輔には叱りつけないようにとお願いした。詐欺グループとの接触は杞憂で終わりそうであり、その理由についてはあらためて説明にあがると伝えた。


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