からだふぁん管理人の独り言|進行形|家族と友人

文字数 820文字

 20年の歳月がたっても、耐性が出来て化学物質過敏症から脱出する方法がなかなか見つかりません。

 化学物質過敏症になって出来なくなったことはとても多くて、手足が皮膚炎でボロボロなので、握手はできずサンダルも履けません。1週間から10日ほど動けなくなるのを覚悟すれば、交通機関も使えるし、無事に帰ってくることだって出来るのですが、それでも人混みの多いところはいかれませんし、衣類についた香料がひどくなり始めた頃から、美容室に行っていません。

 髪を何年も伸ばすありさま…。丸めてお団子にして結い上げた長い髪を鏡で見つめてため息をつき、自宅で聞く打ち上げ花火の音に心を痛めていますが、一時期は随分と過敏状態の緩和が進み、初日の出だって見に行きました。だから、諦めずに、日々努力をしています。


【家族|友人|ボランティア】
 離れていった家族や友人たちに、もう2度と会えないと覚悟をしていました。それが「過敏症のコントロール」を始めて7年目にして、やっと、少しづつ、びくびくしながらでも、友人、子供、孫にも笑顔で会えるようになりました。

 家族が私のもとに戻って来たのです。

 友人たちは月1回のペースで食事と散歩に連れ出してくれます。そして屋外にキッチンがある、まかないのボランティアにも参加し、揚げ物など家庭では食べられない料理を満喫しています。

 みな、化学物質過敏症だからと特別扱いせずに、無理せず、時々立ち止まって歩けなくなってしまう私を、動けるまで黙って見守り、せかさず声もかけず、それが当たり前のように、時間を一緒に共有してくれるのです。

 2011年の「化学物質過敏症を乗り越えて」の初版時には考えられなかった事が私に訪れたのです。

 失ったものを取り戻すことが出来たのですから…、それは私にとって奇跡としかいいようがありません。

 精神的に追い詰めず、待ち続けてくれた家族、友人など周囲の人の優しさも、化学物質過敏症を忘れることに役にたっています。


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