第12話 おいらは、ドラマー  1話完結短編

文字数 3,619文字

《おいらはドラマー
やくざなドラマー
おいらが叩けば嵐を呼ぶぜ》      引用 歌詞より

もう昭和も遠くになりにけりで、知っている人が少なくなっている歌だ。
今は亡き石原裕次郎が、“嵐を呼ぶ男”という映画の中で歌った主題歌だった。
主演も石原裕次郎本人で、映画の中で街の悪役たちを痛めつけるクライマックスの前にドラムを叩きながら歌う姿に聴衆たちが喝采をあげた歌として大ヒットした。

歌詞と歌詞の間に《この野郎、かかって来い!最初はジャブだ…… ホラ右パンチ……おっと左アッパー…… 畜生、やりやがったな 倍にして返すぜ、フックだ》というセリフが入る。
このセリフが、戦後の復興から景気の上昇とともに混沌とした世相を打ち破る勇ましいセリフとして大いに受けた。

90年代のバブルの少し前、歌舞伎町の西武新宿駅の横の通りに2階建ての飲食店が長屋のように連なっているビルがあった。
現在は、取り壊されて、建築中のホテル跡地になっている。
1964年の東京オリンピック以前の時に建てられた古い建物で、いかにも昭和のレトロな雰囲気のする喫茶店や飲食店が並んでいた。
その2階は、今でいうスナックに近い小さな夜の店が多く、小さくてもクラブという名前で呼ばれていた。

その中の一つに、パールというカラオケクラブがあった。
カラオケクラブと言っても、80年代の初めの頃は、カラオケの一番初期の8トラックカラオケという今では、その装置を目にすることもないほどのレガシーな機械なので、ほとんどの人は知らないと思う。
カセットテープを弁当箱みたいに大きくして1センチほどの幅の磁気帯びに8本の音楽を録音している細い帯があるので、8トラックと呼ばれる。
その弁当箱みたいなテープをカラオケの機械にガシャンと差し込んで曲を選択すると音楽がかかる。
当時は、1曲歌うごとに100円とか店によっては200円とかのコインを入れて音楽がかかるようになっていた。
1箱のテープの箱に4曲から8曲程度しか録音されてなかったので、曲ごとに一々テープを取り出しては、曲目を変えなければならないので大変な装置だったが、とにかく世の中にカラオケなるものを初めて登場させたのが、この8トラックなのだ。
素人がマイクを握ってプロ歌手と同じ様にバックミュージックをかけながら歌うという世の中になかった文化を初めて実現させた歴史の転換点としての功績は大きい。
ちなみに余談だが、このカラオケを発明したのは、日本人であるが、この発明者は、特許を取ってなかった。
もし、この人が特許を取っていたら大金持ちになったことだろうというのは、今でも語り草になっている。

話をクラブ・パールに戻す。
ここは、伝説の雀士白沢がまだ若い時にお母さんと慕っていた大野というママがやっていたクラブで、カラオケもいち早く導入した小さいながら人気の店だった。
大野ママは、今の芸能人だとマツコ・デラックスのような体形をしていたし、従業員の女性たちもどちらかというと熟女系ばかりだったので、色気より癒しを求めてプライベートで飲むというサラリーマンなどが多かった。

その中に竹田さんという客がいた。 通称、竹ちゃん。
竹ちゃんは、パールの創業の1960年から1986年まで26年もの間、土日と祝祭日を除いては、毎日パールに飲みに来ていた。
そして、その26年もの間、かならず1曲だけカラオケを歌う。
それが、冒頭の歌の《おいらは、ドラマー》だった。
どんなに他の客から別の歌をリクエストされてもこれ以外の曲は、歌わない。
とにかくこの1曲だけを歌う。
そしてセリフのところに来るとほぼ絶叫型になり、マイクを左手に握り替えて右手でパンチを繰り出して、ふりを付けて歌う。

あまり馴染みじゃない客は、1曲だけを毎日絶叫する竹ちゃんに良い顔をしない人もいたが、馴染みの客は、「竹ちゃんのこの歌を聞かないと一日が終わらないね~」と、絶賛するほど店の名物になっていた。

1986年の2月の寒い日だった。
白沢は、久しぶりにパールに顔を出した。
実は、パールには、白沢の内縁の妻である安井という女性がホステスをしていた。
内縁と言っても、同居している訳ではないし、生計を一緒にしている訳でもない。
ただ単に気の向いた時白沢が安井の家に寝泊まりをして、時々自分のやっている電気店に戻って寝ているという程度の付き合い方だった。

「あら、紘ちゃんずいぶんご無沙汰じゃない。しかもやっちゃんの所にも顔出してないらしいじゃん。どこ遊び歩いているの、ちゃんと堅気になりなさい」
と大柄の大野ままはその体躯から出る大きな地声で白沢をたしなめた。
          ※紘ちゃん=白沢紘一  やっちゃん=安井

堅気と裏の世界とのはざまに居る白沢にそういう口を利けるのも大野ママだけである。
何しろ白沢が若かりし頃、少々食い詰めていた時期に飯を食わせていたのは、大野だった。
食べさせていたと言っても、男と女の色恋的な感情はなく、どちらかというと不良の息子を温かく見守ってご飯を食べさせている母親というような世話の焼き方だった。

「まあ、そういわないでくれ。ちゃんとまともに飯食っているよ」
と言いながら、安井が作った薄い水割りを飲んでいた。
「あれ?そういえば、竹ちゃんがいないじゃん。竹ちゃんは?」
「竹ちゃん、癌が見つかってね・・・・今、入院中なの」
「癌?どこの癌? 病院は、どこ?見舞いに行かなくちゃなあ」
「ところが、何かもうダメだって・・・胃を半分以上切ったらしいんだけど・・」
「へ~、あの元気な竹ちゃんがね~」

噂をしていたら、現れるという迷信は、本当だった。
店の入り口のドアがゆっくり開いたかと思うと、竹ちゃんが現れた。
しかし、サラリーマン時代は、スーツ姿だったが着ていた服は、病院の診察服の水色のガウンだった。
「竹ちゃん! 病院から来たの!」
大野ママが大きな声で声をあげると、入り口のドアまで迎えに行った。
そして、よろよろと歩く竹ちゃんを介抱するようにして、何時もの席に着かせた。
白沢と安井に軽く会釈をした竹ちゃんは、誰の目にもわかるかなり重篤な症状が顔に現れ、どす黒い色をしていた。
やせ細り、目だけがギラツキ、整えていないヘアスタイルと剃っていない髭面が一層、病気の深刻さを表わしていた。

竹ちゃんは、心配して傍についていた大野ママに聞かれるともなく、自分で病状を語り始めた。
「末期の水ならぬ末期の酒を飲みに来たよ。もう後ひと月も無いだろう。病院に居てもしょうがないし、抜け出してもわからないから探してもいないだろう。もっとも一杯だけ飲んだら、すぐに帰るけどな」
表情を緩くして口元に笑みさえ浮かべ、そう言った。
「え・・・酒飲むの?」
「ああ、オールドパーを薄く薄くして水割りくれ。だから・・・、末期の水だから、本当の最期さ」

竹ちゃんは、大野ママが作った薄いオールドパーの水割りを少しだけ飲むと小さい溜息をついた。
その顔には、念願を成就した安堵の色が見られた。
店の空気は、静かに止まったままだったが、全員が同じフィーリングを共有している穏やかな時間が流れていた。

そして、少しの時間が流れた後、「歌。いつものあれを頼むよ」と今度は、はっきりとした口調で竹ちゃんが言った。
「はい、何時ものあれね」
大野ママは、もう全ての覚悟を決めている様に静かな口調で返事をすると、カラオケの機械に8トラックテープを差し込んで、200円を投入して、《おいらは、ドラマー》をかけた。

竹ちゃんは、席から立ち上がり、片手にマイクを持つと何時もの様に歌い始めた。
声だけは、かっての竹ちゃんだったが、歌う姿は、病院の診察服でやせ細った腕にマイクという格好で、その場の状況をそのまま物語っているシーンだった。

セリフの《この野郎、かかって来い!最初はジャブだ…… ホラ右パンチ!》のところにくると、声が大きくなり、むしろいつもより迫力があった。
しかし、繰り出された右パンチは、弱弱しかった。

最期まで一曲歌い終わると、竹ちゃんは、誰にともいう訳ではなくお辞儀をして、座った。
「ママありがとう。お愛想して」
「いいわよ、今度見舞いに行くからさ、その時手ぶらで行くから。タクシー呼ぶから、下まで送っていく」
竹ちゃんは、大野ママに手を握られて、歩き出した。
そして、白沢の方を向くと
「白沢さん、ありがとう。今度は、あっち側で会おうね。会う時オールドパーと8トラ持って来て、頼んます」
と満面の笑顔で声をかけて、出て行った。

訃報は、一月もせずに1週間ほどでパールにもたらされた。
パールでは、ビルが取り壊される最後の日まで、《おいらはドラマー》の曲がカラオケで、かけられることは無かった。
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