第3話 幸せの幸子さん

文字数 2,007文字

幸子さんにお世話になった男は、どれぐらい居るだろう?
この場合の“お世話になった”は、歌舞伎町の夜の会話の中に必ず出てくる、あのこと・・・・
つまり性処理の事ではない。
いや実は、あの事なんだが・・・・
幸子さんは、直接当事者としてお世話するわけではなく、その当事者たちを紹介するのを生業としている。
いわゆる俗にポン引きと呼ばれている職業だ。
歌舞伎町でも女性は、珍しい。

40年以上の長い年月にわたり歌舞伎町でその仕事をしているので、一日に5人としても年間で約1000人、40年間とすれば4万人以上の男たちが、幸子さんのお世話で欲望を叶えたことになる。
それだけの男たちがお世話になったのに当事者の男たちだけでなく、毎日街を見続けてきた歌舞伎町雀たちも交番のおまわりさんたちも誰も幸子さんの本当の名前を知らない。
何となく《幸子さんという名前らしい》と、いうことだけが伝わっている。

40年もの長い間幸子さんがこの仕事を続けられてきたのには、彼女なりの仕事のルールがある。
それは、絶対にトラブルを起こさないということを守り通しているからである。
勿論、人間の本能の一番基本的な欲求をお金にしている仕事柄当事者の女性たちの間でのトラブルは、日常茶飯事である。
しかし幸子さんは、紹介した時点で自分の役割を完全に隔離して例えトラブルに遭遇した女性たちが警察に捕まって調べられても自分には、たどり着けない様な工夫をしている。

まず、幸子さん自身がそのような仕事を40年間も続けているその手の女性には、見えない。
さすがに最近は、年齢を感じさせる皺が顔に刻まれているので、普通の婆さんにしか見えないが、それでも物静かな佇まいで、《やりて婆あ》とは対極にいるような、敢えて言えば裕福なお屋敷に住んでいるご婦人という風情すら感じる。

150センチぐらいの小さな体で静かに歩き、静かに男たちに声をかける。
それも「遊んでいかない?」とか、「いい子が居ますよ」とかの街頭のポン引きたちが日常的に使うようなセリフじゃない。
夜遅く酔っ払ってふらふら歩いている一人の男をターゲットにして声をかける。
それもすぐ女性を買ってくれそうな若い男じゃなく、できるだけ老人の男たちに狙いを定めている。

その男たちの正面から近づいて、すれ違いざまに「あら、今日は、ずいぶんご機嫌に飲んだのね」とか、「もう一杯どう?」とか特別の親しみを込めてフレンドリーに小さな声でつぶやく。
すると、声を掛けられた男たちは、酩酊した中でいきなり親しく声を掛けられたので、「うん?誰だったけ?」と、きょとんとする。
そうすると、もう幸子さんの術中に嵌った様なもので、幸子さんは、男の腕に腕を絡め、
「もぅ一軒行きましょうか?」と歩き始める。
いきなり、ラブホテルなどには、行かずに近くの中国人クラブに入っていく。
クラブに行くと、ホステスたちが居て、普通のお客様もいる。
「ここは、私の店だから安心して飲めるわよ」
酩酊の中でも、ぼったくられないかとか、危ない人種の美人局が出てこないかと疑心暗鬼の男も、明るい雰囲気の普通のクラブに入ったものだから警戒心を解き放つ。

「私のお酒だから自由に飲んで」と、ウイスキーのボトルを出させた幸子さんは、水割りを作り、極めて親しげな微笑みで男と乾杯をする。
そして、何とカラオケまで歌って欲しいとねだる。
その間もかなり濃く作った水割りを客と何杯も杯を重ねる。
1時間ほど経過してさらに飲み続け、気分よくなった男に
「かなり酔ったわね~。近くで休みますか?マッサージの上手い綺麗な娘用意しましょうか?」と、聞いてくる。
男は、本当の事情を知ったものの、さらに楽しいことを紹介してくれるのかと首を縦に振る。

すると、てきぱきと会計をして、店を出る。
実は、このクラブは、幸子さんの店でも何でもない。
ただ、店の経営者やママとは、フリーで客を連れてきてフリーで会計をして、取り分を半々と決めているだけの約束にすぎない。
そういう店が数店歌舞伎町のあちこちにある。

店を出たとたんに道路で待っていた若い女性が、「こんばんは~」と、それまで幸子さんが絡めていた男の腕に今度は、自分の腕を絡めてくる。
後は、想像どおりの楽しい男女の世界が待っているというストーリーだ。
このストーリーだと、万が一警察の手入れなんかで摘発されても自由恋愛ということになり、立件されない。

そのうまい出来合いの男と女の物語が毎晩続いている。
そして、今夜も幸子さんは、酔っ払った男の傍に近づいて小さな声で
「しばらくね~。元気だった?」と、声をかける。

かなりな資産をため込んでいるらしいという話をする人もいるが実は、本当に名前のとおり幸せを世話しているんじゃないのか?という人も居る。
はたしてどちらなのかは、誰もわからない。
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