第13話 デスパレート・シンドローム(破滅依存症)その1

文字数 3,298文字

高田幸喜は、電気店“わんだーらんど”の店長で経営者である、白沢紘一の旧い友人で一時期“わんだーらんど”を手伝っていたこともある。
この高田ほど数奇で波乱万丈な人生をおくった男は、そう居ないだろう。
歌舞伎町で様々な裏社会の人間たちに出会い、そして自分自身が裏社会に属する当事者である白沢ですら見たことがない。

まず、出自からして普通の人とは、かなり違う。
母親は、明治の財界人として歴史の教科書にも登場する男爵でホテル王の妾の娘だった。
つまり、高名な人の孫になる。
その祖父は、自宅に認知した妾3人を本妻と一緒に住まわせており、認知していない妾も、両手に余るほど居たらしい。
判っているだけでもそれくらいだが、数年間イギリスに大使として赴任していたこともあるので、海外にも妾や認知されていない子供が存在しているのでは、と噂されている。
日本だけで認知されている子供も数十人という、けた違いの数だった。
祖父の葬式には、本妻,妾,子供,孫と直系の親族だけで160人が出席し、一般参列者は、2千人ほどだったというから本当の明治のVIPだった。
高田は、その孫で、しかも認知されていた系統の母親だから経済的にも学問的に不自由なく育てられた。

こうした話を高田本人から聞いていた白沢だったが、実のところは、話半分ぐらいだろうと高を括っていた。
しかし、高田の母親が亡くなった時にたまたま一緒に仕事をしていた縁で納骨に参列し、お墓に詣でたことがあったが、驚くことに事実だった。
お墓は、有名な上野寛永寺にあり、徳川家のお墓と同じ敷地のすぐ傍にあったし、寺の住職は、高名な住職だった。

幼少からの生い立ちは、それはセレブそのものだった。
小学校から高校までは、名門の慶応のレールを進み、長じて慶応大学で経済学を学び、その後早稲田大学大学院で経済学の博士号を取った。
そして、M銀行に就職し、結婚し長男を儲けた。
ここまでは、申し分のない《銀の匙を咥えて生まれてきた人間》の典型的な幸福に彩られた人生だったと言える。

しかし、高田の心の奥深い底を流れる本流には、漆黒の闇に包まれた情念が絶え間なく流れていた。
それは、明治の男爵家に繋がる家系に生まれながらも妾の系統という傍流であるが故の陽の当たらない存在を感じた幼い日から流れ始めたものであった。
そして、その黒い本流は、最初静かに露出し始めると最後は、濁流となって高田の人生を翻弄して行くようになる。

大学院のゼミが一緒だった縁で結ばれた奥さんとの間に生まれた長男は、AS(自閉症スペクトラム)という障害を持って生まれた。
しかし、当時は、まだ珍しかったMBAの資格を取得し、自らコンサルティングファームというベンチャー企業を興そうとしていた高田は、寝る間もないほどの忙しさで、家庭を顧みる暇などなかった。
勢い、子供の養育ととりわけ他の子どもより手がかかる身の廻りの世話は、奥さんだけに集中することになり、障害を診断された3歳の時には、離婚という破局になってしまった。
幸い、その頃はまだ存命中だった母親が祖父から受け継いだ遺産としての不動産からの収入もあり、経済的には、余裕があったので、養育費などの援助だけは滞らずにできていた。

最初の蹉跌は、起業してすぐの1年目に起きた。
MBAという侍業の資格にも匹敵する十分に看板になる肩書だったが、日本の実業界の中では、まだ認知度が低く顧客が増えない時が続いた。
共同経営者として迎えた清元徹に十分な役員報酬を支払うだけのクライアントを獲得できなかったので未払いの日が続いていた。
或る日、その清元から、独立して一人の会計士として企業の会計業務だけに特化した仕事をすることを告げられた。
表面では、十分な報酬を支払えないことを詫びて、お互いに元気で頑張って行こうという円満な別れ方をしたのであったが、高田の心の中で何かの小さな爆薬に向かって銃のトリガーが弾かれた瞬間だった。

それからの高田は、昼間は渋谷の松濤にある事務所で一人悶々とパソコンに向かいクライアントに対するプレゼンテーションの文書を作成する仕事に没頭し、深夜近くになると歌舞伎町の雀荘“ちょんぼ”に顔を出すという日々が続いた。
そして、深夜の1時,2時になると雀荘も店を閉めるので、今度は、近くのゲーム喫茶に顔を出してテーブルポーカーという完全に違法のギャンブルをやるようになった。
このテーブルポーカーというギャンブルは、違法性が高く、残酷な事件を引き起こす元凶として令和の現在では、徹底した摘発で姿を消してしまっている。

話は、この物語から少し離れて、ギャンブルの一般的な解説になる。
“売春が、人類の一番古いビジネスである”という説は、普通に知れ渡っているが、実は、ギャンブルも人類の誕生とともに最初から存在したといわれるほど、人間の原始欲求に一番近いビジネスでもある。
それは、得られないものを得ようとする見果てぬ夢の欲求が一時的に満たされる瞬間の喜びとして体内麻薬のドーパミンやアドレナリンを噴出させ、その作用が人間を異次元の世界に引き込むからなのだろう。
そして、その快楽の味を一度知ってしまった人間は、なかなか脱却できずに、依存症の泥沼地獄へと急降下していく。

中でもこのテーブルポーカーというギャンブルは、ゲームルールこそポーカーのルールであるが、カジノのそれと違い、ディーラーがカードを配るのではなく、テーブルにセットされたコンピューターがカードを配り、プログラムでカードをめくって行く。
ゲーマーは、そのコンピューターが配った5枚のカードから捨てるカードを選択して、役柄を作って行く。
例えば、 ♡2、♡5、♣10、♠11、♦12という5枚のカードが表示された場合
♡2、♡5、の2枚だけをキープし、残りの3枚をチェンジして♡のフラッシュを狙うか、♣10、♠11、♦12の3枚をキープして残りの2枚をチェンジしてストレートを狙うかというゲームである。
そして、成立した役柄によって、点数が表示されて最初に挿入した金額の点数から増減を繰り返していく。
役が成立しないと、金額の点数は、減っていく。
例えば、一万円札を挿入するとまず1000点が表示される。
それにワンペアだと2点、3カードだと5点、フラッシュだと10点、ストレートだと10点とかの点数が加算される。
4カードだと200点、ストレートフラッシュだと300点、ロイヤルストレートフラッシュだと1000点などの高得点も出る。
ところが、このギャンブルが、“地獄の一丁目”と呼ばれる恐ろしいところは、ここから始まる。

それは、BIG or SMALLという掛け方である。
成立した役柄の点数が例えばフラッシュの10点だったとする。
その時、画面の下の表示にこのBIG or SMALL?が出るので、BET(掛ける)を選択するとBIG or SMALLのゲームが始まる。
カードの7以上が出るとBIGであり、7以下の場合は、SMALLになる。
ちなみに’の場合は、再度BETができる。
そして、見事にBIG or SMALLを当てると、点数が単純に倍になる。
そして、それを繰り返し続けられる。
つまり、倍掛けを連続して行けることになる。
50点が100になり、200になり、400になり800になり、1600になる。
もし、先に1万円札を挿入した時の点数が1000点だったら、5回目には、合計で2600点になるので、ここでstopしたら26000円の現金を持って帰れることになる。
簡単にBIG or SMALLを何回か当てるだけで、現金を持って帰ることができる。
ただし一度外すと、その時のBETは、すべてゼロになって戻ってこない。

このギャンブルは、別名“叩き”と呼ばれる。
そう誰もが、何倍もの大きな金額を目指して狂ったようにテーブルのボタンを叩くことからその名がついている。
そして、たたき始めると地獄の街道をまっしぐらに落ちて行く。
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