第7話 海を渡った初恋 その3

文字数 2,549文字

白沢は、その後も2回ほど天野をマブハイに連れて行った。
もちろん目的は、天野とキャンディをくっつけることだった。
天野は、マブハイに在籍している40名近くの他の子たちには、目もくれず、最初からキャンディ一筋だったので、目的は簡単に達成できたようなものである。

キャンディの方も天野が来た時は、普段よりいっそう明るい顔で迎えてくれたし、天野が来ている時に他の客から“場内指名”と呼ばれる指名で席を外さなくてはならない時もできれば天野と一緒に居たいという気持ちを態度に出すようになっていた。
白沢の担当であるリズは、何かというと天野のところに来て、
「天野さん、キャンディは、バージンだからね。大事にしてね」
と、いう決まり文句を言うのが常だった。

キャンディは、リズのことをお姉さんと呼んでいたが本当は、叔母さんらしい。
キャンディが19歳だとして、まだ20歳代前半のリズが、おばさんというのも変だなと思っていたが、店の他の子たちの話からすると、マブハイに在籍している女の子たちは、半分以上がフィリピンでも縁せき関係にあるらしく、従妹や叔母だとかが大勢で百人町にある店の寮に一緒に生活しているらしい。
リズが、「キャンディは、バージンだから」と、決まって言うのも別の意味があり、彼女らは、クリスチャンそれもカソリックなので、宗教的に妊娠したら堕胎が許されていない。
フィリピンは、スペインの統治を受けていた時代の名残でスペイン人との混血が多く、気質的にもラテン民族の陽気さと、性に対するオープンなところが日本人とは違っている。
その民族性というか、熱帯地方の人の典型というか、今日が幸せなら明日の事は明日に考えれば良いという楽天的な考え方をする。

天野が通うようになった後から知ったことであるが、店の中には、十代,二十代でありながら子供がいるという女の子がかなりの割合で居た。
だからこそなおさら、キャンディの正真正銘のバージンが、彼女たちの中で大事な存在であったのだ。

一週間に一回、金曜日の夕方、天野は、マージョン“ちょんぼ”に顔を出して、半荘4回程度麻雀をして、それからマブハイに出向くということを習慣としていた。
店の女の子は、売り上げとノルマがあるので、同伴と呼ばれる夕食を一緒にして、それから店に一緒に出勤するというパターンの子が多かったが、キャンディは、同伴もおねだりしなかった。
それとなくリズに、「キャンディが同伴してくれと頼んでこないけど・・・」と聞いてみたら、
「キャンディは、フィリピンの家が貧乏だから、貴方にもなるべくお金を使わせたくないのよ。だって、貴方は若いからお金ないでしょう?」と答えた。
貧乏な家庭の出身ならむしろお金を稼ごうと、同伴をおねだりするものだが、キャンディは、まず天野の懐を心配するような優しい子だった。

天野は、当時発売され始めたばかりの携帯電話をキャンディに買い与え、ショートメールで連絡する方法を教えた。

携帯電話そのものがまだ高価で持っている人が少ない時代だったので、店の女の子は、羨ましがったが、天野にとっては、たいした出費ではなかった。
自分が稼いだサラリーは、全部自分で使っても良い家庭にいるのだから当然ではあったが、マブハイの女の子たちの間では、日本人は金持ちだけど、お金を持っている人は、ほとんど中年から老年だと思われていたのである。

一週間が待ち遠しい・・・できれば、毎日一緒に居たいという気持ちで仕事中にも想いを抑えるのがつらいほどキャンディのことを好きになっていた。
それもそのはず、26歳の天野にとっては、キャンディを好きになったのが、本当の初恋だったのだ。
これまでの人生に於いて、女性に甘えてみたいという感情を抱いたのは、小さい時に世話してくた、お手伝いの畑野だけだった。
幼稚園の先生にだけ何となく母親には感じなかった、優しさにひかれたことは、あったがそれもわずかだった。
母親の笑った顔を見た記憶がほとんどない。
長じてから知ったことだったが、母親は銘家と銘家の政略結婚のために嫁いでいたというのが実情だったらしく、父親に対しても厳格な皇族の式たりに近いマナーを求めることがあった。
そしてそれを疎んじた父親は、家にいることはほとんどなく、大学教授という地位の仕事に人生のほとんどの時間を費やしていた。
さらに二人きりの姉弟である、智代も勉学やお稽古事、それに仕事では、才媛だったが、お高く留まっている冷たい女性だという評判通り、天野に姉弟としての親愛の情を見せたことがない。
天野にとって女性という人間は、自分を見下し、そして居心地を不安にする存在でしかなかった。
そこに天真爛漫で優しいキャンディがはじめて異性として登場したのであるから衝撃的な出会いになったのは、必然だった。

3か月ほどの月日が流れた。
いつも通り、金曜日の夜マブハイに顔を出した天野を迎えたキャンディに元気が無かった。
「どうした?」
天野の問いにも「・・・・」無言で応えてくれなかった。
急いで、黒服にリズを場内指名で呼ぶように伝えてリズに来てもらい、訳を尋ねた。

「来週の土曜日にgood byeパーティをやるから、寂しがっているのよ。聞いてないの?」とリズが応えた。
「グッドバイ パーティ?誰の? まさかキャンディの?」
「そうよ!聞いていないですか?」
「聞いてないよ。キャンディ!本当なの?」
「yes・・・」
「グッドバイって、フィリピンに帰るということ?何で?」
「お父さんが病気らしいから帰るのよ」
そのリズの言葉にキャンディの肩を掴んで
「それで、どうなるの?どうするの?日本に戻ってくるんだよね?」
天野は、続けざまにキャンディに問いかけた。
「心配ない、帰ってきます」
キャンディは、短く応えた。
帰って来るとの応えに、少し安心したが、何となく不安な気持ちが胸の中に膨らんで、何時もの楽しい時間が微妙な空気のまま過ぎていき、その日は、早めに店を出て自宅に戻った。
夜、ベッドに潜り込んでも、キャンディが日本に戻ってこない可能性もあるのではと考えると、なかなか眠ることができず、悶々とした夜を過ごした。
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