第15話 デスパレート・シンドローム(破滅依存症) その3 

文字数 2,355文字

高田は、その翌日も雀荘チョンボに顔を出した。
昨夜の高田の異様なノメリこみ方を気にしていた白沢も顔を出したが、普段と変わらないような顔つきをして麻雀を打っている高田を見つけ少し安心した。
しかし、その心は、すぐに裏切られた。
声をかけようと高田の打っている卓に近寄った時、一層ひどい状況になっていることに気づき、暗澹たる気になった。
スーツを着込んでネクタイをしているが、スーツもネクタイもよれよれで皺がよっているだけでなく汚れが目立つ。
そして、明らかに体臭が匂う。
服は、洗濯していないこと、本人自身が数日風呂に入っていないことは、明白だった。
典型的にギャンブルに嵌まり込んだ人間の特徴が表れている。
このような状態に落ち込んだギャンブル依存症の人間は、もはや半端な治療で復帰することは、できない。

ギャンブルに勝ってお金を得て、幸せを実現する・・・
普通の人間の思考回路ならこの夢が、実現するはずのない空想であり、そうした夢を追いかけることが、破滅への道だというという当たり前のことを考えることができる。
ギャンブルによって金持ちになるという現実などありえないから、自然と自分の心に折り合いをつけ、自制するようになる。
しかし、ギャンブルに傾倒する依存症の人間は、得られるはずのない“幸せ”に執着し、強い射幸心に昇華し高揚するから加速的にギャンブルにのめりこむ。
当然のごとくお金を得るどころか、お金が出ていくだけになるから、生活が荒れて、衣食住にお金が回らない。
そうすると、精神がすさみ、“自分は、ダメな人間だ”という自虐的な考えが心の中を占有することになる。
その自虐的なマイナスのエネルギーが、追い打ちをかけるように負けた時、瞬間的に大きく噴出する。
そして、その破滅的な精神を抑制しようとする生物的な防衛本能として、アドレナリンなどの脳内麻薬が分泌される。
この脳内麻薬は、生きようとする動物としての生存本能でもあるがゆえに、反作用として、ある種の快感にもつながる。
そうすると、その脳内麻薬の快感に一層、射幸心が刺激されるという悪循環に陥り、さらなる深みに落ちて行く。
その繰り返しが、抜け出れない依存症の道をまっしぐらに突き進む。

よく、一般的には、スリルとサスペンスを求めて、ギャンブルに嵌るというような言われ方をする。
しかし、それは、ギャンブル依存症の深い暗闇に取り込まれる前の初期段階であって、依存症が進んでしまった人間が、求めるのは、スリルのような単純な心の刺激ではない。
それは、この破滅的な自虐精神から来る、快感であり、そして心が唯一逃げ込める快楽の場所である。

つまり、解りやすくいうならば、ギャンブルに負けてどうしようもないドン底に落ちるその瞬間が無上の悦楽になるというのが本当のギャンブルの怖さである。
特に、このテーブルポーカーのように、100%間違いなく最悪な深みに沈んでいくようになっているギャンブルの場合はなおさら、デスパレートな心、滅びゆく快感がそれを増長する。
昨夜のテーブルポーカーの店で白沢が見た高田の引きつった凄みのある笑い顔は、まさしく、そのデスパレートな脳内麻薬が、爆発した瞬間の表情だったのである。
数々のギャンブルの修羅場と、そうした悲惨で凄惨な現場に遭遇してきた白沢には、それは、すぐに見て取れた。

白沢は、よれよれで匂いのする高田のスーツの肩を掴むと、「おい、ちょっと外に出よう」と言って、麻雀を止めさせた。
麻雀は4人でやるゲームであるが、白沢のその雰囲気にただならぬものを感じた他の客も店長も好意的に白沢の行動を黙認した。

すぐ傍にある、喫茶店に連れてきた白沢は、コーヒーを2つ頼むと話を切り出した。

「仕事の話があるんだけど、手伝ってくれないか?」
「仕事ですか?・・いや、仕事ならやっているんで・・・」
「その仕事が、上手くいっていないから、麻雀してるんだろ?まあ、聞いてくれ。悪い話じゃない。俺がこの先の所で電気屋をやっているのは知っているよな?」
「はい、まあ店から少しは、聞いているんで知っているけど」
「うん俺のほうもあんたが、いい大学を出て、かなり頭を使う難しい仕事をしていることも聞いて知っている。だから、あんたに仕事をやってもらいたいんだよ」
「まあ、自分でできる仕事ならやらないこともないですが・・」
「おう、そう言ってくれ。実は、結構金になる、しかも真面目な他人の役に立つ仕事だ」

真面目な仕事と聞いて高田は、少し安心した。
何しろ白沢が裏の世界では、名の知れたプロのギャンブラーだとも聞いて知っていたからだ。
「実は、俺がやっている電気屋は、近くの新宿小学校なんかにも出入りしていてな。その新宿小学校を紹介してくれた、区議会議員の先生からの依頼なんだ。新宿区民のための区民講座でパソコン教室を文化センターでやって欲しいという仕事だ。
毎週、土曜と日曜30人ほどの教室を作る。 パソコンは、15台新宿区の予算で設置するからあとは、テキストと講師だが、それを全部あんたにやって欲しい。良かったら、すぐ区役所の掲示板に出して来週の土日から始めたい。 月に8回16時間で32万円という美味しい仕事だよ。あんたには、その中から25万円払うから全部やってもらいたい。議員先生も次の選挙対策になるから乗り気だしな」

区民講座でのパソコン教室の講師ぐらいなら、朝飯前の仕事だし、報酬としてもまあまあだ。
それに新宿区の仕事なら自分の仕事のつながりにもなって、軌道に乗せることができるようになるかも知れない。
「はい、それならやらせてください。 何からやればいいですか?」
高田は、やる気になってそう返答した。
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