第5話 海を渡った初恋 その1

文字数 3,517文字

天野雅人が歌舞伎町の雀荘“ちょんぼ”に顔を出したのは、大学を卒業して大手電機メーカーのPANASHIBAに入社した時の新入社員歓迎会の夜だった。
新入社員歓迎会そのものは、府中工場開発部15課に配属された10人だけの小さな単位だったが、場所は、府中じゃなく新宿のホテルでそれなりに贅沢に行われた。

令和以前1990年代のまだ21世紀を迎える前の電気メーカーは、世界的な巨大企業だったので、世間的な格式から平社員クラスでもフランス料理のコース料理が出てくるような時代だった。
天野は、世間的な知名度は、そこそこのランクであったが、一応都内の私立大学の工学部卒だった。
しかし、他のメンバーは、さらに有名なAランクの有名大学出身ばかりであったし、15課は、花形の昇降機開発部だったから将来的にも有望視されている新卒ばかりだった。
その中でたった一人、二浪して大学に入った天野は、歳ばかりでなくいかにも冴えない新入社員という雰囲気をまとっており、異質な社員だった。

歓迎会がお開きになって、新宿で自由解散となった天野は、人生に於いて初めて心の解放感を感じてうきうきした気分で歌舞伎町を散策した。
人生に於いて初めてという形容は、二十歳代の青年にはそぐわない言葉かもしれないが、まぎれもなく人生で初めての解放だったのである。

西部新宿駅横のアメリカンブルバードの通りを歩いているうちに雀荘“ちょんぼ”の看板が目に入った。
《初めての方、歓迎!安心して遊べます。●1 ●1,2》
●1 ●1,2は、掛け金のレートを表している。 
点数千点ごとに100円で 1,2は、2着には、千円、1着には、二千円のウマと呼ばれるご祝儀(懸賞金)が付くという符丁で表示されている。
表向き掛け事は、法律に反しているので処罰対象なのだが、ゲームとしてだけの場所代では、経営が成り立たないので、実際には、掛け金が存在する。
だから実態は、まぎれもないギャンブル場としての経営である。
東南廻しの半荘でハコテンという持ち点が全部無くなるような負け方で4着になっても5000円あれば済むというその店の掛け金相場を表している。

財布の中に5万円ほどの金が入っているのを確認した天野は、4,5回全部ハコテンになっても払える金額のレートであるし、いざとなれば、有り金全部無くなっても自宅の大山までは、最悪歩いて帰れる・・・・ひとつ遊んでみるかと意を決めて、雀荘の扉を開けた。
麻雀は、予備校時代にクラスメートと数回卓を囲んだだけのわずかな実戦経験で、あとは、ゲーム機だけで覚えた。
勝つはずがないことなど当たり前なのは、自分でもわかっていたし、むしろ負けて財布の中の金を全部失くしてしまおうという気持ちすらあった。
歌舞伎町で初体験でしかもフリーの雀荘に入るという無謀とも思える行動も何故か楽しめるような気がしていたのである。

店の中では、1卓だけがたっていた。
夜と言っても、8時台の割と早い時間だったが、白沢と山ちゃんと店長の熊とプー太郎の笠野が卓を囲んでいた。
「あっ、お客さん。すぐ入れますよ」と、店長の熊が牌を伏せて立ち上がった。
フリーの雀荘では、店長やメンバーと呼ばれる店員が空いている席に客と同じゲームメンバーとして入って場をつなぎ、新しいお客さんが来ると案内することになっている。

天野を譲った席に座らせて、おしぼりやお茶を持ってきた熊は、他のメンバーを紹介した。
「白沢さん、笠野さん、山ちゃん・・・・そして、お客さんは?」
「天野といいます。よろしくお願いします」
天野は、初めてということもあり、丁寧な言葉で挨拶をした。
そして熊は、ルールとレートを説明した。
「わからないことがあったら、私が、店長の熊がいますので何でも聞いてください。お客さんもいい人ばかりですので安心して遊んで下さい」
童顔の山ちゃんが、「はは!いい人ばかりだってよ。このメンバーで。はは!」と、
すっとんきょうな声を出して笑った。
「何だよ!俺が悪い人みたいじゃねえかよ」と、プー太郎の笠野がわざと怒ったような声で応えた。
白沢は、黙ったままお茶を飲んでいた。

ゲームは、慣れない天野のところに来るとつっかえながらも進行した。
ほとんど素人同然の天野は、しどろもどろになりながらもなんとか就いていったが、毎回ラス(4番目の順位)を引いてお金が出ていくばかりだった。
半荘4回が終わった時点で、
「兄ちゃん、初めだからその辺にしといた方がいいよ。まあ、今度また遊びに来な」
白沢が声をかけた。
その声を待っていたように
「はい、ありがとうございます。ではそうさせていただきます。また、今度遊びに来ますので、ぜひよろしくお願いいたします」
と言って、天野は丁寧に挨拶をして負け金と場所代金を払って店を出た。
財布の中身は、ほとんど無くなっていたが、大山までのタクシー代くらいは、残っていた。

タクシーの中で、天野は、嬉しさを爆発させていた。
初めての社会人としての経験・・歌舞伎町・・初めての一人で入った雀荘・・・何もかもが嬉しかった。

タクシーは、渋谷の大山の自宅に着いた。
大きな門構えに天野と大きな表札がかかっている。
天野は、そのまま門をくぐって中に入って行くように頼んだ。
大山は、都内では、知る人ぞ知る超のつくリッチな住民が住むお屋敷が立ち並ぶ。
運転手は、お屋敷そのものは、この住所ならおかしくないが、天野の風体からは、まさかこんな大豪邸の住人だとは思えなかったので少し驚いた。
門をくぐると屋敷までは、まだ50mほどの距離があった。
その途中には、車が数台並んでいるガレージがあり、天野をおろしても庭の中でUターンをして出て来れるほどの広さがあった。

天野は、代々医者の家系の名門である天野家の長男であり父親は、新宿医科大学の名誉教授を務めている医学界の重鎮だった。そして日本医師会の理事でもあった。
母親は、皇族の血筋の銘家の出だった。
十歳上の姉が一人いたが、その姉も文京医科歯科大学の教授をしているという名実ともにセレブのファミリーであった。
しかし、そのセレブファミリーの中で長男であり一人息子である天野だけが、普通の私大の出身で、就職先は、一応世界でもトップクラスの電気メーカーではあったが、一介のサラリーマンとしての職についているのは、不思議である。

それには、生い立ちが関係していた。
天野は、生まれてから2歳になるくらいまで、言葉を発しなかった。
そして、幼稚園から小学生になる時期に軽い発達障害と診断された。
現代では、発達障害にも入らないほどの軽い行動障害だったのだが、銘家の出身である母親は、それを家系の恥と考えて、できるだけ家と学校以外の社会とは隔離した育て方をした。
天野より先に誕生した姉の智代が、普通の女の子より活発で才能にあふれた子供でさすが天野家の長女として小学校、中学校、高校と成績もよく評判も集めていたので、なおさら、その姉に比較されて母親の愛情を受けることなく育った。
家では、お手伝いの畑野にだけ育てられたといってもよいぐらい母親は、天野に構わないで、長女の智代だけに愛情を注いだ。

姉の智代は、トップの成績で父親の新宿医科大学を卒業して自分も医学部の教授にまで登ったが、弟である天野とは、子供同士仲良く遊ぶということもしなかった。
父親も日本医師会と大学病院の重責からほとんど家を留守にしがちだったので、天野に父親としての触れ合いを見せることは少なかった。

姉の智代とは違い、名門小学校、中学校、高校ではなく普通の地区の学校に通わされて、天野家の人間であるということは表に出さないように育てられた。
小学校時代には、普通の子と比較すると少し行動障害があるように見えたが、中学、高校と育つにつれ、格別普通の子と違う障害があるようには見えないように順調に育ち社会的なコミュニケーションもとれる少年から青年になっていった。
しかし、幼少期の家庭環境から特に親からの愛情に乏しい境遇で育てられたので、自己主張も少なく、他人との軋轢が生じると自分から身を引いてその場を取り繕う目立たたない性格になっていた。
母親と、姉の強烈な個性から来る自分への微妙な風当たりから自然と女性を避けるようになり、幼少期から現在に至るまで女性との付き合いもなかった。
ただ、根は、優しい男であったし、他人との軋轢を自然に回避する処世術を身につける生き方の中でにこにこと笑顔を絶やさない雰囲気は、敵を作らないものでもあった。
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