第13話 病院にて

文字数 4,944文字

「上腕骨近位端骨折ですね」
「わかりやすく言ってもらえませんか?」
「上腕部の骨の上の方に、肩関節に嵌っているコブのような部分がありますね、その部分が二つに割れています、コブと棒状の部分の間にもかなり大きな亀裂が見られます、ですが幸いなことに腱や神経に大きな損傷はないようです」
 病院に搬送されたリックは様々な検査を受け、医師の説明を受けていた。
「直りますか?」
「直りますよ、日常生活に支障がない程度には」
「ボールは投げられますか?」
「投げられるようにはなるでしょう、ですが、リックさんはサンダースのクォーターバックでしたね?」
「ええ」
「残念ながら完全に元通りとまでは行かないと思います、どうしても可動域の制限は残るでしょう、どの程度元に戻るのかは現時点ではわかりません、今後の経過とリハビリ次第ですね」

 リックは医師の説明を冷静に受け止めていた。
『もう投げられない』と言う診断結果も覚悟していたからだ。
 だが、結果は『元通りとは行かなくとも、また投げられるようになるかもしれない』と言う、ひと筋の光明が見えるものだった。
 おそらく一年前ならすぐさま引退を決めていただろう。
 だが、今のリックは、なんとしてもサンダースに戻りたいと思った。
 ランダース時代は別として、この10年ほどはチームメートと言えども一年後には敵に回っているかも知れないと言う状況が続いていた、心からチームの一員になっていたとは言えなかったのだ、だがサンダースは違う、一緒に海を渡ってフットボール未開の地に降り立ち、フットボールを根付かせるべく奮闘してきた仲間、一つ一つの試合、一つ一つのプレーがすべて感慨深いものだ、今はまだその仲間たちの元から去りたくはない。
 今年は流石にもう無理だとしても、来年はまた一緒にプレーしたい、ティムの控えに回っても良い、サンダースの仲間と苦楽を共にしたい。
 リックはそう強く思い、リハビリに立ち向かう決意を固めた。
「肩にプレートを埋め込んで固定する手術を行います、相談される方はいらっしゃいますか?」
「どのみち手術は必要なんでしょう?」
「ええ、それも早い方が良いですね」
「だったらやってください、先生が最良だと思う方法で、俺は出来るだけ早くフィールドに戻りたいんです」
「わかりました、では後ほど手術承諾書を作成して来ますのでサインをお願いします、詳しい説明はその時に」

 しばらくすると、ジム、ビル、ティムが病室にやって来た。
「どうなんです?」
 真っ先に口を開いたのティムだった。
「肩にプレートを埋め込んで固定するそうだよ」
「それで……元通りに直るんですか?」
「そこはなんとも……術後の経過とリハビリ次第だそうだ」
「可能性はあるんですね?」
「完全に元通りとまでは行かないそうだよ、どこまで戻せるかは俺次第だな」
「あなたなら大丈夫ですよ」
「リハビリは頑張るよ、だが詳しいことは骨に聞いてみなくちゃわからないな……ところで試合はどうなった?」
「何とか勝ちました」
「何とか?」
 その問いにはビルが答えた。
「35対24だ、あの後タッチダウンを1本取ったが3本返された」
「そうですか……」
 リックにはおおむね想像がついた、やはりティムはまだ積極性を取り戻せていないようだ、得点もさることながら、こちらが攻撃に費やす時間が短くなれば相手に多く時間を与えることになる、今のところはまだサンダース・ディフェンスの要となっているのはベテラン勢、出番が長くなればスタミナも消耗する、前半は3点に押さえられていた相手から21点も取られたのはおそらくそう言うことなのだろう。
「ティム……」
「はい」
「次に同じような試合をしたら負けるぞ、バイ・ウィークに言ったことを思い出してくれ」
「……わかりました……」
 ティムはうなだれ気味に答えた、この若者のこんな姿は見たくないのだが……。
 しばしの沈黙が流れたが、それを破ったのはビルだった。
「ところで手術はいつだ?」
「今手術の承諾書を作ってもらっているところです、出来るだけ早く受けたいんですが」
「内容の説明は?」
「承諾書にサインする前に」
「では私も一緒に聞こう」

 医師が戻ると4人で説明を聞き、翌日手術が行われた。


 翌週、サイドラインには右腕をベルトで身体に固定され、更に三角巾で右腕を吊ると言う痛々しいリックの姿があった。
 ティムが心配だったのだ。
「ティム、わかってるな」
「今日は無様な真似はしませんよ、見ていてください」
 先週とは打って変わって明るい表情に変わっていた。
 ビルからティムがどんな練習をしているかは聞いていた、ビルも『ティムは変わったよ』と言っていたので期待していたのだが、『自信に満ちた』とまではいわずとも、かなり取り戻しているように見える。

 今日はアリゾナ・フェニックスをホームに迎えての一戦、攻撃力に優れたチームだ。
 相手に攻撃時間を多く与えると一方的な展開でやられかねない、このゲームが終われば2週間はロードのゲーム、東京のファンに無様な試合を見せるわけにはいかない。
 そしてプレイオフ争いを演じている同地区のライバルでもあり、ここまで9戦を終えてサンダースは5-4,フェニックスは6-3とリードされている、今日勝てば並ぶが、敗れると2ゲーム差に引き離されてプレーオフが遠のいてしまう、負けられない一戦だ。

 だが、リックの心配をよそに、ティムは輝きを見せた。
 ゲームプランの基本はラン中心に時間を使いながら得点し、相手に極力時間を与えないと言うもの。
 オープニングドライブ、ケン・サンダースとクリス・デイビスのラン攻撃を続けて2度のファーストダウンを更新すると、3シリーズ目のファーストダウンでミドルパスを狙ったが、パスプロテクションが破られた、ティムはディフェンスから逃げながらもジミー・ヘイズに投げるモーションを見せる、そしてランに備えて上がり気味だったセイフティが慌てて下がろうとするのを冷静に見極めて自分のランに切り替えてタックルに来たセイフティを振り切った、残るはコーナーバックだけ、ジミーがコーナーバックを上手くブロックしてくれると、スピードに乗ったティムは追って来た逆サイドのコーナーバックも振り切ってエンドゾーンに駆け込んだ。
 42ヤードを走り切ってのタッチダウン!

「どうですか?」
 サイドラインに戻って来たティムはリックにそう訊いたが、それは質問ではなかった、顔は『どんなもんだい』と言っていたのだ。
「やるもんだ」
 リックは左手でティムをどやしつけて祝福した。

 幸先良くタッチダウンを挙げたサンダースだが、さすがにフェニックスの攻撃陣は強力で、終わってみれば31点を許していたのだが、サンダースはそれを上回る34点を挙げて勝利した。

「いいぞ、ティム、その調子だ、俺をプレイオフに連れて行ってくれよ」
「インターセプトが余計でしたけどね」
 この試合、ティムの成績は25本のパスを投げて17本成功、パス獲得ヤードは253ヤード、走っても42ヤードの独走を含めて108ヤードを稼ぎ、タッチダウンパスも2本決めた、ただしインターセプトも一本喫している、ティムはそのことを気にしているのだ。
「気にするな、あれはコントロールミスではあったが判断ミスじゃないよ、20本以上投げればコントロールミスなんか誰にでも一つや二つは有る」
 実際、そのインターセプトはボールが少し高く浮いてレシーバーが弾いてしまったのを相手にキャッチされたもの、そしてティムの口ぶりに弱気になっていた頃の面影はない、気に病んで引きずることがなければ、ミスはミスとして反省することはもちろん良い事に違いない。
 リックの目から見れば、まだ危なっかしい判断もいくつかあった、だが自分の力を過信していた頃の無謀さはだいぶ消えている、それに加えて積極性も取り戻したのだからはっきり『成長している』と言えるだろう。
 サンダースはこれからロードの2試合を戦うために日本を離れる、治療のために帯同できないのが残念だが、クォーターバックコーチの経験もあるビルがいるのだから……。
 今自分がしなくてはいけないのは肩を治すこと、リックはそう自分に言い聞かせてチームメートと別れた……。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

「まだ無理は禁物よ、プレートで固めてあるだけでまだ骨はきちんとついたわけじゃないんだから」
「そうだな……」
「焦っちゃダメ、きちんと治すには今が大切なのよ」
「確かに……焦っても今シーズン間に合うわけでもないしな」

 リックは病院で療養士の高橋由紀のサポートを受けてリハビリを開始した。
 由紀はアメリカ留学の経験があり英語が堪能、その際に大学フットボールチームのトレーナーも経験していると言うことでリックを担当することになったのだ。

 由紀が言うようにまだ骨はしっかりついてはいない、無理をして亀裂を広げたりすれば元も子もない、それはわかっているつもりだが、プロスポーツ選手として生きて来たリックは思うように動かない肩に苛立ち、つい無理をしようとしてしまう。
 
「今日はこれくらいにしておきましょう」
「もう少し、どうかな?」
「ダメ」
 そう言って微笑まれるとリックも納得せざるを得ない。

 ベッドに戻るとスマホが点滅していた、ジョシュからのショートメールが入っていた。
【肩の調子はどうだ? それはそうと話したいことがあるんだ、都合のいい時に電話してくれ】
 予定されていたリハビリが終われば夕方の回診まで別にやることもない、リックはスマホを置くこともせずにジョシュの番号にカーソルを合わせた。

「リックだ」
「ああ、メールを見てくれたんだな」
「お前、まだ日本にいたのか」
 既にプロ野球のシーズンは終わっている、それなのにまだ日本にいると言うことは……。
「何も聞かずに『おめでとう』って言ってくれ」
「おめでとう、何に対して言っているのか大体想像は付くがな」
「多分ビンゴだ、彼女がプロポーズにイエスと言ってくれたよ」
「改めて言わせてもらうよ、おめでとう」
「ありがとう」
「アメリカには帰らないのか?」
「すぐにはな、彼女の両親にちゃんと挨拶して、許しを貰ったら彼女を連れて帰って母親に会ってもらうつもりさ」
「チームとの契約は?」
「済ませた、2年契約だ、年棒も少しだけアップしたよ」
「そりゃ良かった」
「できればもう少し長い契約が欲しかったが、2年でも契約満了の時は36歳になるからな、そこまでは通らなかった」
「俺は2年契約なんて結んだことがないよ」
「俺も初めてさ」
「式とかはどうするんだ?」
「まだ何も……だが来年のキャンプが始まるまでにはきちんとしたいと思ってる」
「日本で?」
「ああ、日本で、俺の今のチームメートはほとんどが日本人だからな」
「その時は知らせてくれ、アメリカにいても飛んで来るさ」
「ありがとう……悪いな、嬉しくて誰かに話したくなってさ、その時真っ先に浮かんだのがお前の顔だったんだ」
「そう言ってくれれば俺も嬉しいよ」
「じゃあな」
「ああ、お幸せに」
 
 電話を切ったリックは暖かい気持ちに包まれた。
 ジョシュとは子供時分からの付き合い、高校までずっと一緒だった、大学は別々になり、その後もフットボールと野球に道は分かれて会う機会は随分と減ったが、ずっと連絡を取り合い友情を暖めて来た仲、『ジャーニーマン』としての境遇も同じで気持ちもよくわかる。

(そうか、ジョシュはもうジャーニーマンじゃなくなったんだな、キャリアの終わり近くにはなったがちゃんと居場所を見つけられたんだ、ひょっとすると日本に住むとか言い出すかもな……)
 ジョシュの婚約者にはまだ会っていないが、電話で言ってた通り、日本の女性は優しくて控え目で美しい……きっと彼女もそうなんだろうな……。

 そんなことを考えていると、ドアがノックされた。
「どうぞ」
「リック、ジャージを忘れてたわよ、Tシャツのまま戻って来ちゃったのね」
「ああ、そうか……わざわざありがとう」
「それじゃ、また明日」
「ああ、また明日……」
 由紀はそれだけで出て行ったが、それからしばらくの間、なんとなく彼女の髪の香りが残っているような気がした……。
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