第8話 ルーキー・キャンプ
文字数 5,945文字
7月、サンダースのルーキーキャンプがサンディエゴで始まった。
東京にチームが置かれることが急遽決まったため、スタジアムや練習フィールドはともかくトレーニングルームなど付帯設備の整備が間に合わなかったのだ、サンディエゴには数年前までチームが置かれていたが現在は移転してしまっていて空き家状態になっている、その施設を利用するためだ。
プレシーズンゲームまで、サンダースはここを拠点とし、東京へは開幕から移転することになる。
ルーキーキャンプとは、ルーキーや2~3年目でまだ試合出場経験がない、あるいはごく少ない選手を集めて行うミニキャンプ。
強制参加ではないが、出場機会を求めたい若手にとっては練習の場であるとともにアピールの場でもある。
スタータークラスやベテランは参加しないのが常だが、そのルーキーキャンプにふらりとリックがやって来た。
ティム・ウィルソンを見ておきたいというのが一番の理由、そして新人レフトタックルのジョージ・マイヤー、同じく新人ワイドレシーバーのジミー・ヘイズも見ておきたかったのだ。
もちろん首脳陣にとって、リックのその熱意は大歓迎だ。
「マイヤーはどうだい?」
仮設スタンドに陣取るリックの隣にジムがやって来た。
「動きが良いです、スピードで振りきられる心配はなさそうですね」
マイヤーと対峙しているのは、元のチームでディフェンスエンドのスターターまであと一歩と目されていた選手、ポジションを求め、このキャンプに向けて充分にトレーニングを重ねて来たであろう彼が、ブロックを外そうと激しく動き回ってもマイヤーは楽々と付いて行けている、この様子ならばプロのスターターに対してもスピードで負けることはなさそうだ。
しかし、一流のプロならばこのスピードにパワーが加わる、振り切られなくても押し込まれてしまえばクォーターバックの背後は脅かされる、体重がそれほどあるとは思えないマイヤーはその点が不安材料だ。
だが、ジムがマイヤーの指名にこだわった理由もわかる、スピード不足を改善することは難しいが、栄養学的に計算されつくした食事と充分に練られたトレーニングメニューの両輪をきちんと守れるならば筋肉でウェートを増すことは可能だ、彼の欠点を改善することは難しくない。
ジムがドラフト指名でこだわるのは素質だけではない、真面目で練習熱心であることも重視する、常勝ランダースを率いていた頃に良い選手を育成するしかなかったことから重視するようになったのだが、それは新設チームでも同じだ。
マイヤーは1年目には多少苦労するだろうが、2~3年目には良いレフトタックルになりそうだ。
「ティムとヘイズのコンビネーションなんですが……」
「ああ、あのプレーはプロでは通用しないだろうな……」
ティムは取り立てて強肩と言うわけではないのでヘイズのスピードを生かしきれていないように見える、ティムが走りながらレシーバーを探すシチュエーションになると、ヘイズは急ブレーキをかけて振り返るのだ、ヘイズの俊足は光る物があるからヘイズをカバーしたコーナーバックは急にストップされるとすぐには止まれずに前方に取り残されてしまう、その瞬間を衝いてティムはパスを通す、いわゆるランバックと呼ばれるプレーだ、しかし、それはカレッジレベルでは通用してもプロでは難しい、プロのコーナーバックならヘイズのスピードをもってしても簡単に振りきられるようなことはないから急ブレーキにも対応できるだろうし、さらに一流ともなれば読まれてしまう可能性がある、ランバックはインターセプトされる危険と隣り合わせなのだ。
「俺が指導してもOKですか?」
「ああ、むしろお願いしたいくらいだ」
「では……」
リックは腰を上げてフィールドに向って行った。
その背中を見て、ジムはリックの心の内を察した。
リックは現役生活を終えるタイミングを模索している、そのタイミングは来年、再来年と言った近い将来なのだろう。
だが、今季中にティムにスターターの座を奪われるとも考えていない、ティムの現時点での実力を見極めたのだ。
だからこそ、2年目、3年目のティム、自分の引退を受けてチームをけん引することになるであろうクォーターバックを成長させておきたい、そう考えているに違いない……。
そしてそれはジムが望んだことでもある、その点についてもリックは新生サンダーズにとって必要な選手なのだ。
「ティム、会えて嬉しいよ、リック・カーペンターだ」
「初めまして、ティム・ウィルソンです、ロスアンゼルス時代のあなたのプレーを見てました、まだジュニアハイスクールの頃でしたが」
リックがロスアンゼルスに在籍したのは8年前の1シーズンだけ、当時のロスアンゼルスはオフェンスラインが弱く、リックは思うような成績を残せなかった。
おそらくティムの印象にはリックはあくまで臨時のクォーターバック、それもあまり大したクォーターバックではない、と言う形でしか残っていないだろう。
そのシーズンでは不名誉なリーグ新記録となる数のサックも浴びた、ティムの印象に残っているのはディフェンスラインに捕まってフィールドに叩きつけられ、ファンのため息を浴びるリックの姿なのかもしれない。
「今のプレーは危険だぞ、カレッジでは通用したかも知れないが、プロではインターセプトの餌食になる、こちらを向いた形でインターセプトされたらそのままエンドゾーンまで一直線と言うことにもなりかねない」
「いえ、まだトレーニングを始めたばかりでタイミングは少し甘いですが、シーズンインの頃にはピタリと合わせて見せますよ」
「……ならいいが、ランバックのパターンはリスクが大きいことは頭に入れておいてくれ」
「わかりました」
そう答えたティムの口元には微かな笑みが浮かんでいた。
リックはレシーバーがこちらに振り返ったり戻ってきたりするランバックのパターンはごく短いパス、それも極めて速いタイミングでしか使わない。
プロのコーナーバックの嗅覚は鋭い、彼らに時間を与えることは非常に危険だと身に沁みて知っているのだ。
リックは常にリスクとリターンを天秤にかけてプレーする。
3~40ヤードを一気に稼ぐロングパスは観客にとってはエキサイティングだが、インターセプトでボールを失うリスクも大きい。
味方ラインのパスプロテクションが破られた時、逃げ惑いながらパスを投げるのも危険だ、確実に空いているレシーバーが見つかれば良いが、僅かな隙を見つけて投げることはしない、走りながらではコントロールを乱す可能性があるし、リリースまでの時間がかかる分、こちらからは余裕が失われ、相手には余裕が生まれてくる、そんな場合は投げ捨ててパス失敗にしてしまうか、その余裕もなければ大人しくサックされてしまった方が傷は浅くて済む。
それゆえ、リックのパスはせいぜい10ヤード位の、それもサイドライン際のものが多い、そう言ったパスは成功の確率が高く、危険だと思えば投げ出してしまえるからだ。
そもそもジャーニーマンであるリックが在籍するチームは再建途中だったりチーム力が下り坂であったりする場合が多い、そんなキャリアを通して、リスクを回避して確実にボールを進める、そんなスタイルを確立して来た。
リックの考え方はそのようなものだ。
だが、走れるクォーターバックであるティムの感覚は違う。
ディフェンスに追われるシチュエーションになっても常に活路を探し、光明が見えればリスクを冒してもチャレンジしようとする。
カレッジからの相棒であるヘイズもそんなティムを良く知っているから様々なパターンを駆使して一筋の光明を作り出そうとする。
二人のコンビネーションが上手く行っている間はそれでも良い、観客にとってはスリリングでエキサイティングなプレーに見える、そしてそれが見事に決まったならばティムとヘイズの能力と勇気に大きな歓声を送る。
だが、上手く行かなかったら? ディフェンスの能力の方が上回ったならば?
リックが12年を過ごし、今年ティムが飛び込んできたNFLとはフットボール最高峰の舞台、冒したリスクはそのままダメージに変わる可能性がある、それが度重なれば試合は壊れ、観客は試合終了を待たずにスタジアム後にするだろう、そしてそんな試合が続いたならばスタジアムから足が遠のいてしまう。
ティムが高い能力を持っていることについて疑問の余地はない。
取り立てて強肩というわけではないが、走りながらのパスでも正確なコントロールを発揮できる。
身長は物足りないが、動きの良さで充分にカバーできる。
視野が広く危険を察知する能力にも長けているから、パスプロテクションが破られてもタックルを回避しながらターゲットを探せる、そして、いざとなったら自分でボールを持って走ることも出来る、それらはリックにはできないことだ。
そして何より、わずかな隙を見つけてパスを通す嗅覚を持っている、こればかりは教えられて身に着くものではないし、経験から得ることも難しい、持って生まれたセンスなのだ。
リックから見ても、それらの能力はプロで通用するレベルにあると思う。
ただ、その能力を過信し過ぎているきらいがあるのだ、このままプロの洗礼を受けると自信を失いせっかくの才能も磨かれないままに錆びついてしまう可能性がある。
NFLとカレッジとではディフェンスの能力が違う、通る筈のパスがインターセプトされ、かわせる筈のタックルを食らい、ランに切り替えても止められてしまった時、カレッジでは通用したプレーが通用しないとわかった時、それでも自分の能力を信じられるかどうか……。
ドラフトでのクォーターバックの指名は難しいと言われる。
カレッジでは光り輝いていた選手が輝きを失ってしまうことは珍しくない、しかし、逆にさほど期待されていなかった選手がプロの厳しいプレーで磨かれて光を放つようになることもある。
それはひとえにプロの壁にぶち当たった時に、自分の能力を生かせる道を見つけられるかどうかにかかっているとリックは考えている。
自分は……能力が高い選手だとは思っていない、ドラフトにかかるかどうかさえ懐疑的だったくらいだ。
だが、自分の能力の限界を知り、プロでも生かせる部分を磨き、プロでは通用しない部分は封印してリスクを回避する事でここまでやって来た。
ティムの能力の限界は自分より遥かに高いと思う、自分はせいぜいいぶし銀の輝きしか放てなかった、だから『ジャーニーマン』なのだ。
だが、ティムがプロでのプレーの厳しさを知り、その中で持てる能力を100%発揮できたとしたら、彼はまばゆい光を放つサンダースの顔とも言うべき選手になれるだろうと思う、ティムはジャーニーマンで終わるような素材ではない、何よりあのジム・ブラウンが将来のエースと見込んだ男なのだ、そしてリックの目にもその可能性が見えた。
いくつか技術的なアドバイスもしたが、技術的なことに関する限りティムは真剣な表情でそれを聞き、その場で実践してみたり質問して来たりもした。
リックのパスは自分のパスより正確だと認め、素直にそのアドバイスを聞く耳は持っているようだ。
ただ、自分がカレッジで培って来たプレーがプロでは通じないと指摘されることは納得できないらしい。
(あなたにはこれは出来ないでしょう? それで何がわかると言うんです?)。
ランバックのパターンは通用しないと指摘した時、ティムの目はそう語っていた。
リックが仮設スタンドに戻ると、ジムはまだそこに座っていた。
「ティムはどうだい?」
「能力は高いですね、アドバイスに耳も傾ける姿勢も持ってます」
「技術的なことに関してだけはな……」
「まるで話している事が聞こえていたみたいですね」
「聞こえちゃいないさ、でも様子でわかるよ、さっきのプレーを完璧に出来る自信はあると言ったんじゃないか?」
「その通りですよ」
「だが、実際にはそうじゃない、君ならあのプレーはやらない、リスクが大きすぎるからな」
「やらないんじゃなくて、出来ないんですよ、俺は典型的なポケットパッサーですからね、走りながら投げることなんか出来ないんですよ」
「そうかな、もし出来たとしても君ならやらないような気がするが」
「……多分ね……」
「君はプロの怖さを良く知っているからな、君をドラフトしようと決めた時の事は話したことがあったな」
「ええ、初めてお会いした時に」
「2年目のプレシーズンゲームでもそんなことがあったんだよ、プレシーズンゲームは若手にとっちゃアピールの場だ、ところが君は勝利の確率が高いプレーを選択した、それも何度もね、その時『こいつは使える』と思ったんだ……君は充分に期待に応えてくれたさ」
「ウィルが出てきたらあっさりカットされましたがね」
「そのことについちゃ、謝る気などないよ、ウィルを使った方が勝てると思ったからさ、実際勝っただろう?」
「その通りでした、謝ってもらいたいだなんて思っちゃいませんよ」
「ただね、ウィルも君のプレーを見て成長したことは間違いない、クォーターバックコーチの所に試合のビデオを持ち込んで、この場合は、その場合は、と質問攻めにしたらしいからな」
「そうだったんですか……それもあってサンダースに俺を?」
「そうさ」
「で、ティムが成長したらお払い箱ですか?」
「君の方が上だと思う限り君を使う、ティムが君を追い越したと思ったらティムを使う、シンプルな話さ」
「当然ですね……実はそろそろ引退を考えてます、この1~2年の内になると思いますよ」
「そうかい?」
「鎮痛剤なしで眠れる体を取り戻したいですからね、実際、俺程度の素質で良く12年もNFLでやって来れたものだと思っているんです、ジャーニーマン止まりでしたが、自分でも良くやったと思っているんですよ」
「君が近々引退するとしたら、ティムには余程頑張ってもらわないとな」
「そのために俺が出来ることは何でもしますよ」
「ティムの成長が予想より早ければシーズン途中で交代するかも知れんぞ?」
「構いませんよ、そうなっても今年の年棒が減るわけでもありませんからね、働かずに給料を貰えるなら文句ありません」
「ははは……そうか……」
ジムはリックの肩をぽんと叩くと腰を上げた。
リックは軽く手を挙げると、またフィールドに目をやった。
そして……ジムが仮設スタンドから降りる際に、リックに向って覚えたての日本式お辞儀をしたのを視界の隅に捉えていた。
そうせずにいられなかったジムの心情を察するからこそ、リックはそれに気付かなかったフリをしてフィールドを見つめ続けていた。