第11話 開幕
文字数 8,412文字
(ここが俺たちのスタジアムか……)
プレシーズンゲームを終えて東京に移動したサンダースは空港からのリムジンで本拠地になる東京スタジアムに直行した、キャンプからトウキョウ・サンダースを名乗っていたが、施設整備の関係で今日初めて自分たちのホームとなるスタジアムを訪れたのだ。
2002年のサッカーワールドカップに合わせて建設されたスタジアムなので新しいとは言えないが、充分整備されていて古さは感じない。
誰もがここを本拠地とする初めてのフットボールチームになるのだという興奮に包まれる中、リックと飛鳥は手放しで喜んではいられなかった。
「空のスタンドと言うのは寂しいものだな、飛鳥」
「ええ、ここを常に満員にしなければならないんですよね」
「簡単なことではないんだろう?」
「ええ、確かに……大学時代はサブグラウンドで随分試合しましたが、3,600人しか入らないスタンドが満員になることは滅多になかったですよ」
「NFLと言うブランドだけで乗り切れるものではないな」
「ええ、日本の大学フットボールとは全然違うんだというプレーを見せ続けられなければね……」
「やるしかないな、もうここまで来てしまったのだから」
「ええ、やるしかないです」
二人は決意も新たにしていた……。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
新生サンダースの処女航海は雲ひとつない青空に恵まれた。
チケットは早々に売り切れ、スタジアムは初めて開催されるNFLの公式戦、それも東京をホームとするチームの開幕戦と言う華やかなムードに包まれていた。
対戦相手は同じNFC西地区に所属するサンフランシスコ・ゴールドラッシャーズ、80年代には伝説級の名クォーターバックを擁して黄金期を築いた日本でも人気の高いチームだが、スタンドにはサンダースのレプリカジャージを着た観客が目立つ。
サンダースの面々は真新しいユニフォームに身を包んで出番を今か今かと待っている。
千歳緑と呼ばれる、冬でも色あせることのない松葉をイメージした深緑をジャージとヘルメットに採用し、パンツとゼッケンには山吹色が配されている、どちらも日本の伝統色、ヘルメットのマークも雷神をデザイン化したもの、アメリカを象徴するようなフットボーラーのいでたちに『和』の要素を盛り込んだデザインだ。
サンダースの入場を待ち受ける観客の頭上で雷鳴が轟いた、この日のために工夫を重ねて制作された花火だ。
そして名前をアナウンスされた選手たちがゲートをくぐって次々にグラウンドに飛び出して行く。
「アメリカと変わらないな、日本じゃフットボールはあまりメジャーなスポーツじゃないってワイフが言うもんだから心配したが、杞憂だったみたいだな」
盟友・センターのマット・ゴンザレスが嬉しそうに言った。
確かにアメリカでの開幕戦と同様、大きな歓声で迎えられている。
「そうだな」
リックも笑顔を返した。
日本にもフットボールファンは沢山いることはジョシュに聞いた、熱心さではアメリカのファンに引けを取らないとも聞いているが、それを裏付けるような歓声だ。
しかし、ジョシュからアメリカとはファン層の厚さがまるで違うことも聞いている。
今日、スタジアムを埋めてくれている観客に愛想を付かされたらチケット待ちのファンはどれ位いるかわからない。
毎年、毎試合この雰囲気を維持して行くためには今日の観客のハートを掴むだけでは足りない、フットボールファンの層を厚くして行くことが必要なのだ。
そして、それはサンダース次第、当然毎試合勝てるわけではないが、次もまた見に来たくなるような試合を続けて行かなければならない。
先発オフェンスライン各々の名前が呼ばれ、マットが走り出して行った。
そしてバックス陣、やはりケン・サンダースの名前が呼ばれた時の歓声はひときわ大きかったが、和田飛鳥への歓声はそれを上回るものだった。
コールも『アスカ・ワダ』っではなく『和田飛鳥』、オーナーのエドワード・タナカが直々に指示した呼び方だ。
そして最後に呼ばれたのはリックの名前だ。。
グラウンドに飛び出して行くとケンや飛鳥にも劣らない歓声。
リックはちょっと戸惑った、ジャーニーマンたる自分は良くも悪くも『代役』、入場セレモニーで受ける歓声もそれなりのものだった、だが、アメリカを遠く離れたこの東京ではそうではなかった、新生サンダースを引っ張る司令塔にふさわしい歓迎を受けたのだ。
リックはちょっと胸が熱くなり、アドレナニンが身体を駆け巡るのを感じた。
チームメートが作る円陣の中央に迎え入れられた彼は、いつになく声を張り上げた。
「わかってると思うが、日本じゃフットボールは新興スポーツみたいなもんだ、だから今日来てくれてる観客を一人も手放しちゃいけない、次の試合も、その次の試合もここに呼び戻そう、そのためにしなくちゃいけない事はわかってるな? ゴールドラッシャーズをサンフランシスコまで蹴りとばすぞ!」
その檄に呼応して、サンダースの選手たちは鬨の声を上げた。
飛鳥のキックオフで試合開始。
精密にコントロールされたボールは敵陣深く、5ヤード当たりのサイドライン際に飛んだ。
それをキャッチしたリターナーはフィールド中央へ向けたコースを取り、リターナーを守ろうとするゴールドラッシャーズと倒そうとするサンダースの選手が激しくぶつかり合う。
日本ではプレシーズンゲームやカレッジのオールスター戦が行われたことはあるが、最高峰たるNFLの公式戦は初めて開催される。
その最初のプレーで繰り広げられた肉弾戦の迫力は、非公式戦のものとは明らかに違う。
これを待ち望んでいたファンは多い、スタジアムのボルテージは一瞬で沸点に達した。
結果、サンダースの勢いが勝り、リターナーは縦に切れ上がるチャンスを見つけられないまま、フィールドの中央近く、10ヤード地点で倒された。
自陣深い地点からのゴールドラッシャーズの攻撃。
サイドラインのコーチが最初に選んだのは中央付近を衝くランプレー、しかしサンダースが誇るディフェンスタックル・グレイとミドルラインバッカー・ハウアーのベテランコンビが前進を許すはずもない。
セカンドダウン、ゴールドラッシャーズは短いパスを選択し、まだ経験の浅いサンダースのコーナーバック陣はそれを通されてしまうが、大ベテランのセイフティ、ウッズがレシーバーをサイドラインから押し出し、サードダウン残り3ヤード。
ゴールドラッシャーズは横パスを通してエースランニングバックの個人技に期待したが、ドラフト1巡ルーキー、ラインバッカーのデイブ・ルイスが素早く飛び込みランアフターキャッチを封じた、期待のルーキーがもぎ取った3ヤードのロスにスタンドは大いに沸いた。
ゴールドラッシャーズがパントを選択すると、リターナーの位置に立ったのはケン・サンダース。
エースランニングバックは通常リターナーの位置には入らない、守備側がスピードに乗って迫って来るキッキングゲームはどうしても怪我のリスクが高くなるからだが、新生チームの最初の公式戦、最初の攻撃機会と言うこともあり、ケンが自ら願い出たのだ。
エースの早々の登場にスタンドの歓声は高まる中、ケンはボールをキャッチした。
通常キッキングチームのメンバーは控えの選手たち、しかしサンダースの場合はスターティングメンバーと大きな差がない選手が多い、良いプレーを見せられれば来週には自分の名前が入場セレモニーで呼ばれるかもしれないのだ、モチベーションは高い。
それに加えて新天地、新チームの初めての攻撃、モチベーションはさらに上積みされている。
ケンが走り出すとくさび型のラインが構成されてケンの行く手を阻もうとするディフェンスの選手を次々とブロックして行く、ケンはスピードを緩めることなく相手の第一陣を突破することが出来た、ここからはケンの見せ場だ、鋭いカットで相手をかわし、スピードに乗った当たりで弾き返して行く。
相手第二陣がようやくケンをタックルすることに成功した時、ボールはハーフラインを少し超えていた。
相手陣内45ヤード地点からサンダースの攻撃、早くもチャンス到来だ。
リックが率いるオフェンスチームがフィールドに入る。
気をはやらせた選手たちの中で、リックは冷静だった。
ここはまず20ヤードボールを進めることが目標になる、25ヤード地点まで進めば飛鳥は確実にフィールドゴールを決めてくれるからだ。
サンダースにとっては全くの初陣だが、相手に取っても新シーズンの開幕戦、モチベーションは高い、その出鼻をくじくためにも先制点を取ること、それが最も大切だ、タッチダウンを取るに越したことはないが、それは結果として付いて来れば幸運、それがリックの考え方であり、この状況ではサイドラインも同じ考えだ。
フォーメーションはI、最後尾にはリターンをしたばかりでまだ息が上がっているケンに代わって進境著しいルーキーのクリス・デイビスが入っている、彼の持ち味はスピードと相手をひらひらと蝶のようにかわして行く身のこなし、オープンへのランを警戒しているに違いない。
「ハット! ハット! ハット!」
カウントスリーでオフェンスチームが一斉に動き出す、マット・ゴンザレスからのスナップを受けたリックはまっすぐ走り込んで来たフルバックのゲイリー・パーカーにボールを託した。
センターのゴンザレスと右ガードのデイブ・ジョーダンが相手ディフェンスラインをブロック、ゴンザレスのブロックは完璧だったが、新人のジョーダンは少し押され気味だ。
しかし馬力のあるパーカーはその狭い隙間をこじ開けて、タックルに来た相手ラインバッカーを道連れにするような形で倒れた。
5ヤードのゲイン、センターを衝くランプレーとしては上出来だ。
オフェンスチーム全体を落ち着かせるために、最初のプレーはファンブルなどでボールを失うことなく、着実に前進することが肝要だ、その意味においてパーカーほどの適任者はリーグ全体を見回してもそうはいない。
続くセカンドダウン、スナップを受けたリックがドロップバックすると相手のディフェンスラインがリックを潰そうと押し寄せて来る、だが、リックは素早くボールをリリース、ターゲットは大きく右へ走り出たランニングバックのクリス・デイビスだったのだ。
ほぼ真横に投げられたボールをキャッチしたクリスはサイドライン沿いを駆け上がる、追いすがって来たラインバッカーはクリスのスピードについて来れず、コーナーバックは中に切れ込んだワイドレシーバーのジミー・ヘイズをマークしていて戻れない。
クリスはそのまま7ヤードを稼いでセイフティに押し出されたが、相手陣内33ヤード地点でファーストダウンを獲得した。
スタンドはサンダースの着実な前進に大歓声を上げている、ムードは上げ潮だ。
ここでクリスに代わってケンがフィールドに入って来ると歓声は更に高まった。
相手も当然ケンのランを警戒しているのはわかり切っているが、新チームの開幕戦でエースの登場とあれば観客の期待に応えないわけにはいかない。
スナップを受けたリックはケンにピッチ、オープンを衝くランだ。
漏れて来たラインバッカーをハンドオフで外したシーンに観客は沸き立ったが、上がって来たコーナーバックにジャージを掴まれると、セイフティも加勢に上がって来てケンはサイドラインを押し出された、5ヤードのゲイン、まずまずのプレーだ。
セカンドダウンはパス失敗、サードダウンでは再度ケンにボールを持たせてセンターを衝いたが、4ヤードのゲインで惜しくもファーストダウンには届かなかった。
相手陣内24ヤード地点でのフォースダウン、東京でのもう一人のスタープレーヤー、和田飛鳥の出番だ、スタンドはケンの登場時と変わらない声援でフィールドに入る飛鳥の背中を押した。
ゴールエリアとスナップ距離を含めて41ヤードのフィールドゴール、そう難しいフィールドゴールではないが易しいとも言えない、だが飛鳥のキックは飛距離こそ平均的だが正確性は群を抜いている。
ティムがスナップを受けてホールド、飛鳥が思い切り良く右足を振り抜くと、ボールはゴールの真ん中を通過して行った。
狙い通りの先制点、東京のファンは沸き立った。
だが、ゴールドラッシャーズは剛腕クォーターバックが率いるチーム、経験不足のコーナーバック陣では防ぎきれない、たちまちタッチダウンを奪われてしまい3-7と逆転を許してしまった。
その後は一進一退。
ランを主体にショートパスを交えてコツコツと前進するサンダース、ミドルパスを連発して一気に前進するゴールドラッシャーズ。
前半は13-17とリードを許してハーフタイムに入った。
「後半はパスラッシュを強化してパスの出所を押さえよう」
ディフェンシブコーディネーターの指示が飛んだ。
サンダースの守備体型はラインメン4人にラインバッカー3人の4-3,それを3-4としてラインバッカーがクォーターバックに襲い掛ろうというのだ。
当然ノーズタックルのグレイとミドルラインバッカーのハウアーの負担は大きくなるが、ルイスのスピードは生きる、そしてランに対して手薄になる分、フリーセイフティのウッズが上がり気味になって補う、ベテラン3人の経験と能力に賭ける作戦だ。
そしてオフェンスチームにも指示が飛ぶ、時間を消費するランプレーをさらに増やして相手の攻撃時間を削ぐ作戦、守備の要となるベテラン3人のスタミナにも配慮しなくてはならないのだ、だがリックなら上手くやってくれるだろうと言う目論見だ。
後半はサンダースのキックオフ、コフィンコーナーを狙った飛鳥のキックは狙い違わず飛んだがバウンドはサンダースにとって不運なもの、ボールはエンドゾーン内に転がり、ゴールドラッシャーズ陣25ヤードからの攻撃となった。
果たして相手クォーターバックはスナップを受けるとドロップバック、前半成功していたミドルパスを狙って来た。
作戦通りラインバッカーのルイスがレフトタックルのブロックをかいくぐってクォーターバックに襲い掛かるが、大きく外側に膨らまされた分届かない、ギリギリのタイミングだがクォーターバックはパスを投げた。
サイドライン際でワイドレシーバーとコーナーバックが競り合うが、パスは僅かに右に逸れ、ワイドレシーバーはコーナーバックに押し出されてフィールド内に足を残すことが出来ずにパスインコンプリート。
(それでいい)
サイドラインでビルは頷いた、サック出来ればなお良い事は確かだが、クォーターバックに投げ急がせ手元を狂わせることが出来れば目的は達せられる、パスを通されなければ良いのだ。
次のランは5ヤード進まれたが、サードダウン5ヤードで再びパス、短いパスを予想していたサンダースはそのパスをカットし、パントに追い込んだ。
自陣35ヤード付近からのサンダースの攻撃、パーカーをリードブロッカーに付けてケン・サンダースが右オフガートを衝く、だがそれはフェイクで、ハンドオフしたように見せかけて反転したリックは、ボールを抱えて左オフタックルを衝く。
前半に有効だったサンダースのランと言うこともあり、相手ディフェンスはフェイクにかかった、ディフェンスチーム全体が右に動き、左はがら空き。
とは言え、リックはお世辞にも俊足とは言えない、フェイクに気づいたラインバッカーが反転してリックを追って来る、リックは右ワイドレシーバーの位置からモーションして来たクリスにラテラルパスをする動きを見せる、しかしこれもフェイク、外に気を取られたラインバッカーの内側をすり抜けたリックは更に前進を試み、25ヤード進んだところで自らスライディングした。
突っ込んで行けばもう3~4ヤード稼げるところではあったが、サイドラインに押し出されて時計を止められるよりインバウンズでダウンすることを選んだのだ。
相手エンドゾーンまであと8ヤード。
リックはケンにボールを2度続けて渡し、ゴール前1フィートにまで迫ると、最後はクォーターバック・スニークで自らボールを持ち込んで20-17と逆転に成功した。
その後、ゴールドラッシャーズがショートパスを多用してきたが、それは想定の範囲内、『捕られても良いから出来るだけインバウンズで倒せ』と言う指示が飛ぶ。
ディフェンスが疲弊して崩壊することを恐れ、相手にも時間を使わせる作戦だ。
結果、相手に2本のタッチダウンを許したが、サンダースもタッチダウンとフィールドゴールを挙げ、2ミニッツウォーニングを迎えた時、30-31と1点のビハインドを背負っていた。
サンダース陣40ヤード地点からサンダースの攻撃、点差は僅か1点だからフィールドゴールで逆転できる、むしろ相手に時間を残さずにボールを敵陣25ヤード辺りまで進められれば理想的だ。
マット・ゴンザレスのスナップを受けたリックはケンにボールを渡すと見せかけて、逆サイドに走り出していたクリスにボールをピッチ、クリスは12ヤードを走りサイドラインに押し出されないように、ボールを掻き出されないように細心の注意を払ってインバウンズで自ら膝をつくようにして倒された。
次はケンがオフガードを衝く、3ヤードのゲインに留まったが、相手は堪らず一つ目のタイムアウトを使って時計を止めた。
セカンドダウンはパスに有利なショットガン・フォーメーション、だが、スナップを受けたリックは右に走った、そしてタックルに来たディフェンスを引き付けられるだけ引き付けて追うように走って来たケンにピッチ、ケンはラインバッカーを振り切って10ヤード走り、インバウンズで倒された。
ボールは相手陣内35ヤード、残り時間は1分35秒、サンダースのファーストダウン。
ここまで来れば飛鳥の実力をもってすればフィールドゴールの成功率は高い、もうファーストダウンは必ずしも必要ない、25ヤードまで出来るだけ近づけば良いのだ。
リックは3回続けてケンにボールを持たせて前進を図る。
相手も残り2回のタイムアウトを使って時計を止めるが、3回目のランでケンはファーストダウンを獲得、もう相手に時計を止める術はない。
リックはフルバックのゲイリー・パーカーに2回続けてボールを持たせて5ヤード進み、残り3秒でタイムアウトを取った。
20ヤード地点からのフィールドゴール、飛鳥ならば100%に近い確率で決めてくれる。
野球で言うならばサヨナラゲームのシチュエーションで飛鳥が登場するとスタンドは大いに沸き立った。
日本で初めて開催されたNFLの公式戦、そして逆転勝利のフィールドゴールを狙うのは日本人初にして唯一のNFL選手、和田飛鳥なのだ。
飛鳥はいつものルーティン、すなわちスパイクの大きさを利用して助走を始める位置を決め、ゴールポストの先端に取り付けられたテープを指差して風邪を確認して僅かに立ち位置を調整すると助走の構えに入る。
ロングスナップは僅かに高かったが、ホルダーに入ったティムは難なくキャッチしてスムースにボールをセット、そして走り込んで来た飛鳥の右足が一閃。
バールはゴールポストの真ん中を通過し、サンダースのメンバーが飛鳥を中心に輪を作った。
新生サンダースは本拠地で幸先の良い初勝利を挙げたのだ。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
スタンドからの大歓声を浴びながらロッカールームに戻った選手たちは興奮冷めやらない様子で歓声を上げ続ける、その中でリックはどっかりと椅子に腰を下ろした。
プロ13年目、経験豊富なリックにとってもこの一勝は特別なもの、それと同時にいつになく神経をすり減らすものでもあったのだ。
「よくやった」
ビルが手を差し伸べて来て、リックはその手を力強く握り返した。
ビルにとってもこの一勝は格別なもの、そしてリック同様神経をすり減らすものであったことは間違いないのだ。
「よくやった、新しいチームの門出を祝う勝利だ! まだまだ先は長いが、今日はこの勝利を心から喜ぼうじゃないか、今、我々は日本にNFLの灯をともした、歴史的な一勝だ!」
ビルが大きな声で演説すると選手たちからも歓声が上がる。
そして、ひときわ陽気なマット・ゴンザレスが叫ぶ。
「俺たちは誰だ!? 俺たちはトウキョウ・サンダースだ!」
マットの周りに人差し指を突き上げた選手の輪が出来た。
「俺たちはトウキョウ・サンダースだ!」
「サンダース万歳!」
「GO! サンダース!」
そう口々に叫びながらぴょんぴょんと飛び跳ねる選手たちの輪に、遅ればせながらもリックも加わって行った。
プレシーズンゲームを終えて東京に移動したサンダースは空港からのリムジンで本拠地になる東京スタジアムに直行した、キャンプからトウキョウ・サンダースを名乗っていたが、施設整備の関係で今日初めて自分たちのホームとなるスタジアムを訪れたのだ。
2002年のサッカーワールドカップに合わせて建設されたスタジアムなので新しいとは言えないが、充分整備されていて古さは感じない。
誰もがここを本拠地とする初めてのフットボールチームになるのだという興奮に包まれる中、リックと飛鳥は手放しで喜んではいられなかった。
「空のスタンドと言うのは寂しいものだな、飛鳥」
「ええ、ここを常に満員にしなければならないんですよね」
「簡単なことではないんだろう?」
「ええ、確かに……大学時代はサブグラウンドで随分試合しましたが、3,600人しか入らないスタンドが満員になることは滅多になかったですよ」
「NFLと言うブランドだけで乗り切れるものではないな」
「ええ、日本の大学フットボールとは全然違うんだというプレーを見せ続けられなければね……」
「やるしかないな、もうここまで来てしまったのだから」
「ええ、やるしかないです」
二人は決意も新たにしていた……。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
新生サンダースの処女航海は雲ひとつない青空に恵まれた。
チケットは早々に売り切れ、スタジアムは初めて開催されるNFLの公式戦、それも東京をホームとするチームの開幕戦と言う華やかなムードに包まれていた。
対戦相手は同じNFC西地区に所属するサンフランシスコ・ゴールドラッシャーズ、80年代には伝説級の名クォーターバックを擁して黄金期を築いた日本でも人気の高いチームだが、スタンドにはサンダースのレプリカジャージを着た観客が目立つ。
サンダースの面々は真新しいユニフォームに身を包んで出番を今か今かと待っている。
千歳緑と呼ばれる、冬でも色あせることのない松葉をイメージした深緑をジャージとヘルメットに採用し、パンツとゼッケンには山吹色が配されている、どちらも日本の伝統色、ヘルメットのマークも雷神をデザイン化したもの、アメリカを象徴するようなフットボーラーのいでたちに『和』の要素を盛り込んだデザインだ。
サンダースの入場を待ち受ける観客の頭上で雷鳴が轟いた、この日のために工夫を重ねて制作された花火だ。
そして名前をアナウンスされた選手たちがゲートをくぐって次々にグラウンドに飛び出して行く。
「アメリカと変わらないな、日本じゃフットボールはあまりメジャーなスポーツじゃないってワイフが言うもんだから心配したが、杞憂だったみたいだな」
盟友・センターのマット・ゴンザレスが嬉しそうに言った。
確かにアメリカでの開幕戦と同様、大きな歓声で迎えられている。
「そうだな」
リックも笑顔を返した。
日本にもフットボールファンは沢山いることはジョシュに聞いた、熱心さではアメリカのファンに引けを取らないとも聞いているが、それを裏付けるような歓声だ。
しかし、ジョシュからアメリカとはファン層の厚さがまるで違うことも聞いている。
今日、スタジアムを埋めてくれている観客に愛想を付かされたらチケット待ちのファンはどれ位いるかわからない。
毎年、毎試合この雰囲気を維持して行くためには今日の観客のハートを掴むだけでは足りない、フットボールファンの層を厚くして行くことが必要なのだ。
そして、それはサンダース次第、当然毎試合勝てるわけではないが、次もまた見に来たくなるような試合を続けて行かなければならない。
先発オフェンスライン各々の名前が呼ばれ、マットが走り出して行った。
そしてバックス陣、やはりケン・サンダースの名前が呼ばれた時の歓声はひときわ大きかったが、和田飛鳥への歓声はそれを上回るものだった。
コールも『アスカ・ワダ』っではなく『和田飛鳥』、オーナーのエドワード・タナカが直々に指示した呼び方だ。
そして最後に呼ばれたのはリックの名前だ。。
グラウンドに飛び出して行くとケンや飛鳥にも劣らない歓声。
リックはちょっと戸惑った、ジャーニーマンたる自分は良くも悪くも『代役』、入場セレモニーで受ける歓声もそれなりのものだった、だが、アメリカを遠く離れたこの東京ではそうではなかった、新生サンダースを引っ張る司令塔にふさわしい歓迎を受けたのだ。
リックはちょっと胸が熱くなり、アドレナニンが身体を駆け巡るのを感じた。
チームメートが作る円陣の中央に迎え入れられた彼は、いつになく声を張り上げた。
「わかってると思うが、日本じゃフットボールは新興スポーツみたいなもんだ、だから今日来てくれてる観客を一人も手放しちゃいけない、次の試合も、その次の試合もここに呼び戻そう、そのためにしなくちゃいけない事はわかってるな? ゴールドラッシャーズをサンフランシスコまで蹴りとばすぞ!」
その檄に呼応して、サンダースの選手たちは鬨の声を上げた。
飛鳥のキックオフで試合開始。
精密にコントロールされたボールは敵陣深く、5ヤード当たりのサイドライン際に飛んだ。
それをキャッチしたリターナーはフィールド中央へ向けたコースを取り、リターナーを守ろうとするゴールドラッシャーズと倒そうとするサンダースの選手が激しくぶつかり合う。
日本ではプレシーズンゲームやカレッジのオールスター戦が行われたことはあるが、最高峰たるNFLの公式戦は初めて開催される。
その最初のプレーで繰り広げられた肉弾戦の迫力は、非公式戦のものとは明らかに違う。
これを待ち望んでいたファンは多い、スタジアムのボルテージは一瞬で沸点に達した。
結果、サンダースの勢いが勝り、リターナーは縦に切れ上がるチャンスを見つけられないまま、フィールドの中央近く、10ヤード地点で倒された。
自陣深い地点からのゴールドラッシャーズの攻撃。
サイドラインのコーチが最初に選んだのは中央付近を衝くランプレー、しかしサンダースが誇るディフェンスタックル・グレイとミドルラインバッカー・ハウアーのベテランコンビが前進を許すはずもない。
セカンドダウン、ゴールドラッシャーズは短いパスを選択し、まだ経験の浅いサンダースのコーナーバック陣はそれを通されてしまうが、大ベテランのセイフティ、ウッズがレシーバーをサイドラインから押し出し、サードダウン残り3ヤード。
ゴールドラッシャーズは横パスを通してエースランニングバックの個人技に期待したが、ドラフト1巡ルーキー、ラインバッカーのデイブ・ルイスが素早く飛び込みランアフターキャッチを封じた、期待のルーキーがもぎ取った3ヤードのロスにスタンドは大いに沸いた。
ゴールドラッシャーズがパントを選択すると、リターナーの位置に立ったのはケン・サンダース。
エースランニングバックは通常リターナーの位置には入らない、守備側がスピードに乗って迫って来るキッキングゲームはどうしても怪我のリスクが高くなるからだが、新生チームの最初の公式戦、最初の攻撃機会と言うこともあり、ケンが自ら願い出たのだ。
エースの早々の登場にスタンドの歓声は高まる中、ケンはボールをキャッチした。
通常キッキングチームのメンバーは控えの選手たち、しかしサンダースの場合はスターティングメンバーと大きな差がない選手が多い、良いプレーを見せられれば来週には自分の名前が入場セレモニーで呼ばれるかもしれないのだ、モチベーションは高い。
それに加えて新天地、新チームの初めての攻撃、モチベーションはさらに上積みされている。
ケンが走り出すとくさび型のラインが構成されてケンの行く手を阻もうとするディフェンスの選手を次々とブロックして行く、ケンはスピードを緩めることなく相手の第一陣を突破することが出来た、ここからはケンの見せ場だ、鋭いカットで相手をかわし、スピードに乗った当たりで弾き返して行く。
相手第二陣がようやくケンをタックルすることに成功した時、ボールはハーフラインを少し超えていた。
相手陣内45ヤード地点からサンダースの攻撃、早くもチャンス到来だ。
リックが率いるオフェンスチームがフィールドに入る。
気をはやらせた選手たちの中で、リックは冷静だった。
ここはまず20ヤードボールを進めることが目標になる、25ヤード地点まで進めば飛鳥は確実にフィールドゴールを決めてくれるからだ。
サンダースにとっては全くの初陣だが、相手に取っても新シーズンの開幕戦、モチベーションは高い、その出鼻をくじくためにも先制点を取ること、それが最も大切だ、タッチダウンを取るに越したことはないが、それは結果として付いて来れば幸運、それがリックの考え方であり、この状況ではサイドラインも同じ考えだ。
フォーメーションはI、最後尾にはリターンをしたばかりでまだ息が上がっているケンに代わって進境著しいルーキーのクリス・デイビスが入っている、彼の持ち味はスピードと相手をひらひらと蝶のようにかわして行く身のこなし、オープンへのランを警戒しているに違いない。
「ハット! ハット! ハット!」
カウントスリーでオフェンスチームが一斉に動き出す、マット・ゴンザレスからのスナップを受けたリックはまっすぐ走り込んで来たフルバックのゲイリー・パーカーにボールを託した。
センターのゴンザレスと右ガードのデイブ・ジョーダンが相手ディフェンスラインをブロック、ゴンザレスのブロックは完璧だったが、新人のジョーダンは少し押され気味だ。
しかし馬力のあるパーカーはその狭い隙間をこじ開けて、タックルに来た相手ラインバッカーを道連れにするような形で倒れた。
5ヤードのゲイン、センターを衝くランプレーとしては上出来だ。
オフェンスチーム全体を落ち着かせるために、最初のプレーはファンブルなどでボールを失うことなく、着実に前進することが肝要だ、その意味においてパーカーほどの適任者はリーグ全体を見回してもそうはいない。
続くセカンドダウン、スナップを受けたリックがドロップバックすると相手のディフェンスラインがリックを潰そうと押し寄せて来る、だが、リックは素早くボールをリリース、ターゲットは大きく右へ走り出たランニングバックのクリス・デイビスだったのだ。
ほぼ真横に投げられたボールをキャッチしたクリスはサイドライン沿いを駆け上がる、追いすがって来たラインバッカーはクリスのスピードについて来れず、コーナーバックは中に切れ込んだワイドレシーバーのジミー・ヘイズをマークしていて戻れない。
クリスはそのまま7ヤードを稼いでセイフティに押し出されたが、相手陣内33ヤード地点でファーストダウンを獲得した。
スタンドはサンダースの着実な前進に大歓声を上げている、ムードは上げ潮だ。
ここでクリスに代わってケンがフィールドに入って来ると歓声は更に高まった。
相手も当然ケンのランを警戒しているのはわかり切っているが、新チームの開幕戦でエースの登場とあれば観客の期待に応えないわけにはいかない。
スナップを受けたリックはケンにピッチ、オープンを衝くランだ。
漏れて来たラインバッカーをハンドオフで外したシーンに観客は沸き立ったが、上がって来たコーナーバックにジャージを掴まれると、セイフティも加勢に上がって来てケンはサイドラインを押し出された、5ヤードのゲイン、まずまずのプレーだ。
セカンドダウンはパス失敗、サードダウンでは再度ケンにボールを持たせてセンターを衝いたが、4ヤードのゲインで惜しくもファーストダウンには届かなかった。
相手陣内24ヤード地点でのフォースダウン、東京でのもう一人のスタープレーヤー、和田飛鳥の出番だ、スタンドはケンの登場時と変わらない声援でフィールドに入る飛鳥の背中を押した。
ゴールエリアとスナップ距離を含めて41ヤードのフィールドゴール、そう難しいフィールドゴールではないが易しいとも言えない、だが飛鳥のキックは飛距離こそ平均的だが正確性は群を抜いている。
ティムがスナップを受けてホールド、飛鳥が思い切り良く右足を振り抜くと、ボールはゴールの真ん中を通過して行った。
狙い通りの先制点、東京のファンは沸き立った。
だが、ゴールドラッシャーズは剛腕クォーターバックが率いるチーム、経験不足のコーナーバック陣では防ぎきれない、たちまちタッチダウンを奪われてしまい3-7と逆転を許してしまった。
その後は一進一退。
ランを主体にショートパスを交えてコツコツと前進するサンダース、ミドルパスを連発して一気に前進するゴールドラッシャーズ。
前半は13-17とリードを許してハーフタイムに入った。
「後半はパスラッシュを強化してパスの出所を押さえよう」
ディフェンシブコーディネーターの指示が飛んだ。
サンダースの守備体型はラインメン4人にラインバッカー3人の4-3,それを3-4としてラインバッカーがクォーターバックに襲い掛ろうというのだ。
当然ノーズタックルのグレイとミドルラインバッカーのハウアーの負担は大きくなるが、ルイスのスピードは生きる、そしてランに対して手薄になる分、フリーセイフティのウッズが上がり気味になって補う、ベテラン3人の経験と能力に賭ける作戦だ。
そしてオフェンスチームにも指示が飛ぶ、時間を消費するランプレーをさらに増やして相手の攻撃時間を削ぐ作戦、守備の要となるベテラン3人のスタミナにも配慮しなくてはならないのだ、だがリックなら上手くやってくれるだろうと言う目論見だ。
後半はサンダースのキックオフ、コフィンコーナーを狙った飛鳥のキックは狙い違わず飛んだがバウンドはサンダースにとって不運なもの、ボールはエンドゾーン内に転がり、ゴールドラッシャーズ陣25ヤードからの攻撃となった。
果たして相手クォーターバックはスナップを受けるとドロップバック、前半成功していたミドルパスを狙って来た。
作戦通りラインバッカーのルイスがレフトタックルのブロックをかいくぐってクォーターバックに襲い掛かるが、大きく外側に膨らまされた分届かない、ギリギリのタイミングだがクォーターバックはパスを投げた。
サイドライン際でワイドレシーバーとコーナーバックが競り合うが、パスは僅かに右に逸れ、ワイドレシーバーはコーナーバックに押し出されてフィールド内に足を残すことが出来ずにパスインコンプリート。
(それでいい)
サイドラインでビルは頷いた、サック出来ればなお良い事は確かだが、クォーターバックに投げ急がせ手元を狂わせることが出来れば目的は達せられる、パスを通されなければ良いのだ。
次のランは5ヤード進まれたが、サードダウン5ヤードで再びパス、短いパスを予想していたサンダースはそのパスをカットし、パントに追い込んだ。
自陣35ヤード付近からのサンダースの攻撃、パーカーをリードブロッカーに付けてケン・サンダースが右オフガートを衝く、だがそれはフェイクで、ハンドオフしたように見せかけて反転したリックは、ボールを抱えて左オフタックルを衝く。
前半に有効だったサンダースのランと言うこともあり、相手ディフェンスはフェイクにかかった、ディフェンスチーム全体が右に動き、左はがら空き。
とは言え、リックはお世辞にも俊足とは言えない、フェイクに気づいたラインバッカーが反転してリックを追って来る、リックは右ワイドレシーバーの位置からモーションして来たクリスにラテラルパスをする動きを見せる、しかしこれもフェイク、外に気を取られたラインバッカーの内側をすり抜けたリックは更に前進を試み、25ヤード進んだところで自らスライディングした。
突っ込んで行けばもう3~4ヤード稼げるところではあったが、サイドラインに押し出されて時計を止められるよりインバウンズでダウンすることを選んだのだ。
相手エンドゾーンまであと8ヤード。
リックはケンにボールを2度続けて渡し、ゴール前1フィートにまで迫ると、最後はクォーターバック・スニークで自らボールを持ち込んで20-17と逆転に成功した。
その後、ゴールドラッシャーズがショートパスを多用してきたが、それは想定の範囲内、『捕られても良いから出来るだけインバウンズで倒せ』と言う指示が飛ぶ。
ディフェンスが疲弊して崩壊することを恐れ、相手にも時間を使わせる作戦だ。
結果、相手に2本のタッチダウンを許したが、サンダースもタッチダウンとフィールドゴールを挙げ、2ミニッツウォーニングを迎えた時、30-31と1点のビハインドを背負っていた。
サンダース陣40ヤード地点からサンダースの攻撃、点差は僅か1点だからフィールドゴールで逆転できる、むしろ相手に時間を残さずにボールを敵陣25ヤード辺りまで進められれば理想的だ。
マット・ゴンザレスのスナップを受けたリックはケンにボールを渡すと見せかけて、逆サイドに走り出していたクリスにボールをピッチ、クリスは12ヤードを走りサイドラインに押し出されないように、ボールを掻き出されないように細心の注意を払ってインバウンズで自ら膝をつくようにして倒された。
次はケンがオフガードを衝く、3ヤードのゲインに留まったが、相手は堪らず一つ目のタイムアウトを使って時計を止めた。
セカンドダウンはパスに有利なショットガン・フォーメーション、だが、スナップを受けたリックは右に走った、そしてタックルに来たディフェンスを引き付けられるだけ引き付けて追うように走って来たケンにピッチ、ケンはラインバッカーを振り切って10ヤード走り、インバウンズで倒された。
ボールは相手陣内35ヤード、残り時間は1分35秒、サンダースのファーストダウン。
ここまで来れば飛鳥の実力をもってすればフィールドゴールの成功率は高い、もうファーストダウンは必ずしも必要ない、25ヤードまで出来るだけ近づけば良いのだ。
リックは3回続けてケンにボールを持たせて前進を図る。
相手も残り2回のタイムアウトを使って時計を止めるが、3回目のランでケンはファーストダウンを獲得、もう相手に時計を止める術はない。
リックはフルバックのゲイリー・パーカーに2回続けてボールを持たせて5ヤード進み、残り3秒でタイムアウトを取った。
20ヤード地点からのフィールドゴール、飛鳥ならば100%に近い確率で決めてくれる。
野球で言うならばサヨナラゲームのシチュエーションで飛鳥が登場するとスタンドは大いに沸き立った。
日本で初めて開催されたNFLの公式戦、そして逆転勝利のフィールドゴールを狙うのは日本人初にして唯一のNFL選手、和田飛鳥なのだ。
飛鳥はいつものルーティン、すなわちスパイクの大きさを利用して助走を始める位置を決め、ゴールポストの先端に取り付けられたテープを指差して風邪を確認して僅かに立ち位置を調整すると助走の構えに入る。
ロングスナップは僅かに高かったが、ホルダーに入ったティムは難なくキャッチしてスムースにボールをセット、そして走り込んで来た飛鳥の右足が一閃。
バールはゴールポストの真ん中を通過し、サンダースのメンバーが飛鳥を中心に輪を作った。
新生サンダースは本拠地で幸先の良い初勝利を挙げたのだ。
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スタンドからの大歓声を浴びながらロッカールームに戻った選手たちは興奮冷めやらない様子で歓声を上げ続ける、その中でリックはどっかりと椅子に腰を下ろした。
プロ13年目、経験豊富なリックにとってもこの一勝は特別なもの、それと同時にいつになく神経をすり減らすものでもあったのだ。
「よくやった」
ビルが手を差し伸べて来て、リックはその手を力強く握り返した。
ビルにとってもこの一勝は格別なもの、そしてリック同様神経をすり減らすものであったことは間違いないのだ。
「よくやった、新しいチームの門出を祝う勝利だ! まだまだ先は長いが、今日はこの勝利を心から喜ぼうじゃないか、今、我々は日本にNFLの灯をともした、歴史的な一勝だ!」
ビルが大きな声で演説すると選手たちからも歓声が上がる。
そして、ひときわ陽気なマット・ゴンザレスが叫ぶ。
「俺たちは誰だ!? 俺たちはトウキョウ・サンダースだ!」
マットの周りに人差し指を突き上げた選手の輪が出来た。
「俺たちはトウキョウ・サンダースだ!」
「サンダース万歳!」
「GO! サンダース!」
そう口々に叫びながらぴょんぴょんと飛び跳ねる選手たちの輪に、遅ればせながらもリックも加わって行った。