第15話 旅の終わり

文字数 3,186文字

 あと一歩のところでプレーオフ出場を逃したサンダース。
 しかし、10勝6敗と言う成績は新設のチームとして大健闘だったと言える、事実、同時に新設されたロンドンは4勝12敗に終わっている。
 東京で、そして日本でのフットボール人気は開幕前と比べるとぐっと厚みを増した。
 元々緻密な作戦の応酬となるゲームは日本で受け入れられる要素は充分あった、野球を例に取っても選手の能力に頼る部分の大きいメジャーリーグに比べて、日本では緻密な作戦、一球ごとに刻々と変わる戦況、と言ったものが重要視され、そこに興味を持って見るファンも多くいる、そしてフットボールもそう言った要素には事欠かない。
 サイドラインで緻密な頭脳戦が展開される一方、フィールドでは並外れたパワーと身体能力を持つ選手たちが肉弾戦を繰り広げるのだ、なじみが薄くルールが浸透していないせいで人気スポーツの座を得られていなかったが、興味を持てば日本人は勤勉だ、ルールもすぐに理解され、フットボールの魅力は広く浸透した。
 そして、その先鋒となるサンダースは、日本人の血を引くケン、純粋な日本人である飛鳥と言うスター選手が存在し、ティムもすっかり人気選手の仲間入りを果たした。


(終わってみれば良いフットボール人生だったな)
 シーズンを終え、観客がいないスタジアムに立ったリックはそう呟いた。
 肩の怪我はだいぶ長引きそうだ、来シーズンには間に合わないと医師に宣告されている、早くても復帰できるのはその次のシーズンからになる、しかも元通りのボールを投げられるようになる保証は出来ないとも言われている。
 長年にわたるダメージが蓄積している体だ、肩は治ったとしても2年のブランクを経て元のように動けるかどうか……それに賭けてトレーニングを積んで行くだけの気力はもうどこを探しても見つからないが、『やりきった』と言う満足感は心の中にどっかりと座り込んでいる。
 一年前、ジムからの電話を受ける前に既に引退を意識していた、その時はまだ気持ちの上で五分五分だったが、今回はもう現役への未練は残っていない。
 開幕戦でこのスタジアムに入場した時に、温かい大きな歓声に迎えられて少しばかり面くらったことを思い出す。
 日本のファンは、彼をエースの代役ではなく、サンダーズ・オフェンスを率いるリーダーとして迎えてくれたのだ、それはリックに大きなモチベーションを授けてくれた。
 自身のプレーだけでなく、後を託せるティムを導く情熱も注ぎ込んでくれたのだ。
 リックの胸の内は新生サンダースを率いて軌道に乗せたと言う達成感に満ちていた、若いティムも大きく成長した、バトンはしっかり渡せたのだ。
 リックの胸のうちは決まっていた、だが日本を去る前にどうしてもしておきたいことがある……。

「これは?……」
 由紀をレストランに呼び出して、そっと小箱をテーブルに滑らせた。
「指輪……かしら?」
 リックは静かに頷き、言った。
「それを左手の薬指にはめるか、右にはめるか、君の思うようにしてくれていい、もし右でもそれは感謝のしるしとしてプレゼントするよ」
「ちょっとだけ考えさせて……」
「ああ、もちろんいいとも……引退を決めたよ、まだ誰にも言っていないが」
「そう……なんだ……そんな気はしていたけど……アメリカに戻るの?」
「多分……」
「これを左に付けたらあたしもアメリカに行くことになるのね」
「ついて来て欲しい……強制はできないが」
「そんな大切なことをこの場で決めなくちゃならないのね」
「あ、いや……必ずしも今すぐじゃなくても……じっくり考えて……」
「あなたはフィールドで瞬時の判断をして来たんでしょう?」
 由紀はそう言って指輪を左にはめた。
「これがあたしの返事よ」
「……ありがとう……」
「でもね、ちょっとだけお願いがあるの」
「なんだい?」
「食事が終わったら宝石屋さんに連れて行ってくれないかしら、これじゃユルユルよ、落としちゃいそうでハラハラするわ」

 数日後、リックはジムの部屋に呼ばれた、1年契約だから当然のことだが。
「来季の契約のことだが」
「それはもう必要ないですよ、俺は引退します」
「そうか……長い間ご苦労だった……でももう一枚の契約書にも目を通してくれないか?」
「これはなんです?」
「君さえ良ければクォーターバック・コーチとしてチームに残って欲しい、まだまだティムには学ぶべきことが山ほどあるからね、彼はもっともっと良くなるはずだ」
「ジム……」
「なんだい?」
「サインするのにペンを貸していただけますか? 引退を告げるだけのつもりだったので持って来ていないんですよ……」


「美しいな……」
「ええ……」
 4月、まだリックは東京にいた、スタジアムの近くにマンションを購入して由紀と一緒に住み始めた、6月には挙式を控えている、そのための準備もしなくてはいけない、なかなか忙しいのだ。
 だが今日は暇を作って由紀と一緒に桜を眺めに来ている。
 
「短い間で散ってしまうのが惜しいが……いや、だからこそ息を呑むほど美しいのかもしれないな」
「リック」
「なんだい?」
「あなた、もうすっかり日本人ね」
「ははは……自分でもこんなにしっくり来るとは想像していなかったよ」
「アメリカに帰りたいとは思わないの?」
「どうだろう?……向こうで生まれ育ったし、故郷には両親もいるからね、全然思わないと言ったら嘘になるかな……でも……」
「でも、何?」
「もう旅は充分して来たからね、ようやく落ち着ける場所を見つけられたと言う思いの方がずっと強いな……俺のいるべき場所はここなんだってね、サンダースの本拠地で、由紀が生まれ育ったこの日本にね……」
 
 リックの旅は終わった。
 彼はもうジャーニーマンではない。
 だがサンダースと共に歩む旅はまだ始まったばかりだ、日本にフットボールをより深く浸透させると言う旅が……ただ、その旅はこれまでのように一人ぼっちではない、大事な仲間たちと、美しく優しい妻と一緒に歩む旅なのだ。

               (終)



~あとがき~
 Journeymanをお読みいただきありがとうございます。
 アメリカンフットボールを扱った作品は「Scat Back」「The Zone」に続いて3本目ですが、その都度葛藤があります。
 例えば野球やサッカーならばルールなどは周知のものと想定できるのですが、アメリカンフットボールはその点心許ないものがあります。
 最初にアメリカンフットボールを扱った作品を書いたのは「Scat Back」の基になった短編で、ある小さなコンテストに応募した作品です。
 その時短評に「ルールがわからず、試合を見たこともないので迫力が伝わってこないのが残念、ただ、他に書く人がいないジャンルを持っているのは強み」と書いていただき、書き続けています。
 「Scat Back」では注釈を多くつけたのですが、本文中に挿し込むと流れが消えてしまうので各話の最後にまとめる方法をとりましたが、やはり説明的になり過ぎるかなと。
 で、「The Zone」ではキッカーを主人公に据えてフィールドゴールと言うプレーにスポットを当ててみました。
 今回の「Journeyman」ではもう「わかる人だけわかればいいや」と開き直りまして、アメリカンフットボールを見たことがありルールも一通りは知っていることを前提に書きました。
 ただ、アメリカンフットボールを知らない方でもある程度は楽しめるように、と主人公の「旅」を軸に据えたストーリーを考えてみました。
 アメリカンフットボールをよくご存じの方にどう受け止められたか、ご存じでない方にはどうだったか、気になっている次第ではあります。
 多分アメリカンフットボール小説はまた書くと思いますので、もし感想など頂けましたら幸いで、参考にさせていただきたいと思います。
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