第5話 決断

文字数 4,151文字

「おお、リックか、随分と遠くまで電話をかけてきたもんだな、料金がバカにならないぞ」
「いいさ、相談したいことがあるんだ」
「地球の裏側まで電話をかけて来るほど大切な相談と言うわけだな? いいぜ、何でも訊けよ」

 リックが電話したのは、東京のプロ野球チーム・シーガルズに在籍しているジョシュ・ニューマン。
 幼馴染のジョシュは野球でプロになり、メジャーにまで昇格したピッチャー、そしてリックと同様『ジャーニーマン』でもある。
 ジョシュは目を見張るような豪速球も多彩な変化球も持っていない、彼の持ち味は低目を丁寧に衝くピッチングだ、そして、シーズンを通して先発ローテーションの一角として起用し続ければ6~7勝が期待できるが、負けはそれを2つ3つ上回る.
 バッタバッタと三振を取れるわけではなく、ヒットもそこそこ打たれて小刻みに失点するが、四球は少なく粘りのピッチングで試合を壊してしまうことは滅多にない、そんなピッチャーなのだ。
 メジャーリーグでもサラリーキャップ制が採られている、優秀なピッチャーを予備としてベンチに置いておくことなどできない相談だ、だが、故障やスランプでローテーションの一角が崩れ、代わりに起用した若手もいまひとつと言うケースはままある、そんなチームにとって重宝なのがジョシュのようなピッチャーなのだ。
 華々しい活躍は期待できないまでも、試合を壊すことなく5~6イニングを投げリリーフ陣に過度の負担をかけることはない、最終的に負け数が上回ったとしてもシーズンを通してローテーションを守ってくれる、それも適度な年棒で……そんなピッチャーは必要だが、主力が復帰したり若手が伸びてきたりすれば用済みになる……リックと同じだ。
 ジョシュはリックと同い年だから34歳、少々スピードが落ち、メジャーでは通用し難くなって来て、昨年東京シーガルズに移籍したのだ。
 昨年、東京でのジョシュの成績は12勝10敗、大活躍とまでは行かないが、助っ人ピッチャーとして充分合格点の成績だ、そして今年も残留が決まり、今はキャンプインに備えて若いチームメイトたちと自主トレーニング中、日本での2年目のシーズンをより良いものにする為にはその方が良いと考え、この時期から既に日本で過ごしているのだ。
 だが、日本にとどまっている理由はそれだけではない、ジョシュはアメリカ以上に日本が気に入っているのだ。
 
「東京での生活? 心配する事は何もないよ、お前ならな」
 ジョシュは明るい調子で太鼓判を押した。
「俺ならって、どういう意味だ?」
「夜な夜な遊びに繰り出さなくちゃいられない手合いには問題もあるってことさ、オールナイトで開いているナイトクラブはないからな」
「まあ、確かに俺にはそれは必要ないかな」
 リックは飲めないわけでもないが、ナイトクラブで騒ぐより静かに読書したり映画を見たりする方が性に合う、チームメートから飲みに誘われればめったに断らないが、自分一人で飲みに出かけようとは考えないタイプなのだ。
「食い物に関しても心配はないよ、それこそ何でも揃ってる、もし急にアフリカ料理を食いたいと思ってもちょっとスマホを検索するだけでOKだ、マックやケンタッキーが食いたくなってもそこら中にあるよ、もっとも、俺は和食を勧めるがね、食生活を日本式に改めてから体調が良いんだ」
「東京は交通渋滞が激しいと聞いたが」
「それは確かにそうだな、だけどそもそも車の必要があまりないんだ、鉄道網はきめ細かく網羅されているし、驚くほど時間に正確だ、治安も全く問題がない、6~7歳の子供が一人で地下鉄に乗って通学してるのを見た時は目を疑ったよ」
「言葉はどうだ?」
「確かに一般的に日本人は英語を話せないな、だけどそう不自由は感じないよ、公共の案内板には英語が併記されてるし、カタコトの日本語でも日本人は面倒がらずに聞いてくれる、そもそもゆっくり一つ一つの単語を区切るように話せば英語を理解できる人は沢山いる、日本はほとんど日本人ばかりだから英語に親しむ機会が多くないんでヒアリングは不得意なんだ、だけど単語や文法は学校で教えてるから聞き取れさえすれば理解できるんだよ、スラングは通じないがね」
「そうか、生活面での問題はなさそうだな、それと、これが重要なんだが……日本でスタジアムは満員になると思うか?」
「う~ん、そいつは俺にもわからないな、ただ、日本人は概してアメリカの文化は好きだよ、サンダースのことも大きな話題になって盛り上がっているよ、サンダースのジャンパーを着て歩いている若者もちょくちょく見かけるくらいだから滑り出しは大丈夫だろう、問題は目新しさが薄れて来た時だな、その時チームが好調なら定着するかも知れないし、連戦連敗だとスタンドが寂しいことになるかもしれないな」
「新規のチームが5割以上勝つことは稀だが……」
「う~ん、厳密にいえば勝ち負けだけじゃない、次の試合に、次のシーズンに期待をつなげられるかと言うところだ、日本人はドライじゃないよ、勝負には負けても良い試合を見せられれば見捨てたりしないと思う」
「なるほど……だがそれは、良い試合を見せられなければ失敗するかも知れないと言うことだな?」
「そういうことだ……俺に日本の事を訊いて来たという事は、サンダースに誘われているってことだろう?」
「ああ、誘われてる」
「良いな、お前が東京に来ることになれば俺も嬉しいよ、いつ決める?」
「5日以内に返事をすることになってる」
「決めるのはお前だが、俺は東京で待ってるぜ」
「ああ、色々とありがとう」
「お安い御用だ、お互いジャーニーマンだから中々会えずにいたが、東京で会えると良いな、ああ、あと一つ大事なことを言い忘れてたよ」
「なんだい?」
「日本の女性は最高だ、優しくて控え目で美しい」
「手放しの褒めようだな」
「まあ、俺の彼女がその代表だからさ」
「ははは、なるほど」
「それでな、そろそろ彼女からフィアンセに変わってもらいたいと思ってる」
「ほう……プロポーズが上手く行くと良いな」
「ああ、そう祈っててくれ」
「もちろんだよ」
 リックは微笑みながら電話を切った。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 どうやら日本での生活に心配するような事はないようだ。
 だが、日本でのNFLの定着と言う点では懸念が残ることもまだ確かなようだ。
 メキシコシティではスタジアムの日程で躓いたが、その問題さえクリアできればチーム創設を熱望されている、リーグとしてはもし東京で失敗しても数年後にはメキシコシティに移転可能と踏んでいるのかも知れない、言い方は悪いが繋ぎのようなものと考えているフシがあるのだ。
 だが、初めて日本に創設されるチームの選手となるのであれば是が非でも成功させたい、リーグの思惑はさておいても、アメリカ人ならば誰しも新天地の開拓には夢を描く。
 
 しかし、現実的に見れば、NFLに新規加入したチームは多々あるが1年目から成功したチームはほとんどない、サンダースだって条件は同じ、移動距離が長くなる分不利かもしれない。
 リックはまだ決めかねていたが、約束の5日は瞬く間に過ぎて行った。。 

 リックは数日間じっくり考え、ジムに電話をかけた。
 ジムの考えを聞きたかったのだ、それ次第で返答するつもりだった。
 自分がアメリカを離れることになれば両親は寂しがるかも知れないが、どのみち自分はジャーニーマン、今だってトレーニングキャンプからシーズンにかけては会えないのだ、たいした違いはないし、自分には妻も子もないから引越し先が地球の裏側だろうと何の問題もない。
 返事の決め手は現役を続けるためのモチベーション、引退の二文字も頭をよぎっているだけに、モチベーションが維持できなければロクなシーズンにならないだろうと思う。
 既に一生をのんびり快適に過ごせるだけの蓄えはある、それゆえ既に下降線を辿りつつあるキャリアを新天地での失敗で終わらせたいとは思わない、それくらいなら今すぐ引退を決意した方がマシというものだ。
 だが、NFLとしても新天地となる日本で成功したならば、最高の花道となることも間違いない。

「リック・カーペンターですが」
「おお、リックか? 良い返事を聞かせてくれるのかな?」
「その前にいくつか質問しても?」
「いいとも」
「ヘッドコーチはもう決まっているんですか?」
「ああ、ビルが引き受けてくれたよ」
 その名前に心がぐっと動いた、常勝ランダースを築いたコンビが揃う新チーム、そこに誘われている選手でなくとも、フットボールファンなら誰しも興味を抱く組み合わせだ。
「それは朗報ですね」
「私も彼が引き受けてくれなければGM就任を断ったかもしれないな、で、君も良い答えを聞かせてくれるのかな?」
「いえ、もう一つ懸念があるんです」
「なんだい?」
「日本のプロ野球に在籍している友人に聞いたんですが、日本ではまだフットボールはあまりメジャーなスポーツとは言えないそうですね」
「そうらしいな」
「物珍しい内は良いだろうが、チームの成績が上らないと定着しないかも知れないとか」
「それも知っているよ、何しろ我々のオーナーは日系人だからな」
「それなのに俺で大丈夫でしょうか? 俺の生涯勝率は4割あるかないかと言ったところですよ」
「オーナーの言うには、日本人はグッドルーザーを讃える性質があるそうだ、そして戦力が劣る方を応援したがるともね……ハンガンビイキとか言っていたな、サンダースは新設チームだ、私も最初からプレイオフを狙えるとは思っていない、だが、ファンを失望させない程度に戦えるチームなら作れる自信はある、そのチームのクォーターバックには何より堅実でチームの規範になるようなな選手を望みたいんだ、それに、フットボールの魅力はパスだけではないだろう?」
「と仰るからには、良いランニングバックにあてがあるんですね?」
「ああ、ある、だけどまだチームに合流すると決めてくれない者には、それが誰かは明かせないな」
「ははは、負けました、サンダースにお世話になります、先日の条件ならば文句ありませんよ」
「そうか、ありがとう」
「で、そのランニングバックは誰なんです?」
「ケン・サンダースさ」

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