第3話 ビル・ミラー

文字数 3,175文字

「ハロー、ビル・ミラーですが」
「私だ、ジムだよ」
「やあ、ジム、また釣りのお誘いですか? それともバーベキュー?」
「いや、ビジネスの話なんだ」
「悠々自適の生活を送っていらっしゃると思っていましたが、いったい何を始めようと言うんですか?」
「トウキョウ・サンダースのGMをね」
 それを聞いたビルはしばらく絶句した。
「……やはりあなたはフットボールの虫ですね、それで私にサンダースの話を持ちかけて来るという事は……」
「わかっているだろう? 君にクラブハウスの清掃係をやってくれとは頼まんよ、自分の机の上も片付けられない男だからな、だが、フットボールチームの問題なら君ほど的確に片付けられる男を私は他に知らないのでね」
「私もあなたと同じでこの3年はコーチ業から離れているんですがね」
「だが、テレビで解説をしているだろう? 綿密なリサーチをして、充分な考察を加えてからマイクの前に座っていることはテレビ中継を見ればわかるよ」
「……サンダースですか……ミスター・タナカはあなたをどうやって口説いたんです?」
「一切口出ししないから、私が思うとおりのチームを作ってくれとね」
「全くの新チームですからね、ゼロからのスタートになる、大変な仕事じゃないですか」
「どうも私はフットボールとなるとワーカホリックになるらしいな」
「ははは、そのようですね……ジム……」
「なんだい?」
「ゼロからのスタートと言う点については私も抵抗し難い魅力を感じます」
「そう言うと思ったよ」
「しかし、私の一存だけでは決められないのですよ」
「わかってるよ、何しろ地球の裏側に出来るチームだからな」
「5分待ってもらえますか?」
「5分?」
「キャロルは庭で土いじりをしているものでね、彼女の了解を取らないと」
「ああ、もちろんだよ」
「このまま切らずに待ってもらえますか?」
「いいとも」

 ビルは1分後には電話に戻った。
「お供しますよ、トウキョウへ」
「ありがとう……キャロルはなんと?」
「目を真ん丸にしていましたがね、そのあと大きな溜息をついて、どうせ反対しても無駄なんでしょう? とだけ……理解ある妻に感謝しないといけませんね」
「私もキャロルに感謝しないとな」
「ジム」
「なんだい?」
「キモノってのはいくら位するものですかね」
「いや、私も知らないが……どうしてだね?」
「トウキョウへ付いて行く条件がキモノとオビをプレゼントすることなんですよ、キョウユウゼンとニシジンオリとかいうものに憧れていたらしいんですがね……」

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 NFLではまずポジションごとのコーチを置き、その上に攻撃チームを総括するオフェンシブコーディネーター、守備チームを総括するディフェンシブコーディネーターを置く。
 そしてチーム全体を総括する、監督に当たるポジションがヘッドコーチ、そしてコーチングスタッフを含めたチーム編成を任されるのがGMになる。
 コーチ陣の間に不協和音が響くようではどんなに優秀な選手をそろえたチームでも充分に機能しないが、逆にがっちりかみ合えば少々戦力的に劣るチームであっても快進撃を見せる可能性もある。

 ビル・ミラーはこれまで常にジムの後釜に座って来た。
 ジムがランダースのクォーターバックコーチに迎えられた時にアシスタントコーチとなり、ジムがオフェンシブコーディネーターに昇格するとクォーターバックコーチに、ジムがヘッドコーチになればオフェンシブコーディネータとなり、常に片腕となって来た。
 そして、ジムがGMに就任するとヘッドコーチとなり、二人三脚でランダースを常勝軍団へと導いた。
 ジムが勇退した後のGM職にビルが着かなかったのは、実はその間のランダースの成績があまりに素晴らしかったことに起因する。
 ジムがヘッドコーチに就任した頃のランダースは低迷期にあり、ジムはそのチームを建て直した、そしてビルがその後を継いで、GMとなったジムと常勝ランダースを築いたのだが、その栄光の日々は少々長すぎた。
 完全ウェーバー制ドラフトと厳格なサラリーキャップの下では有望な新人を獲得することも、実績のある選手をFAで獲得することもできない、それを補ったのは選手の潜在能力を見抜くGMと、獲得した選手の能力を引き出すヘッドコーチだったと言うことだ。
 だがドラフト時には評価が高くなかった選手でも長く活躍すれば年棒は上る、するとやはりサラリーキャップを圧迫してしまうから、せっかく育て上げた選手を放出してまた次の選手を育成しなければならない、しかし、育成が必ずしも上手く行くとは限らないし、サンダースのオーナーとなったエドワードのように、これからと言う選手を怪我で失うこともままある、長期間にわたって勝ち続けることはぎりぎりの綱渡りを続けて行くようなものなのだ。
 綱渡りを続けていれば神経は磨り減る、これと見込んだ選手が伸びなかったり怪我をしたりすればFAなどで補わなければならず、徐々にひずみも広がって行く、それを修正するのにまた神経をすり減らし、時には貢献度の高い選手でも非情にカットしなければならない。
 GMのジムも、ヘッドコーチのビルも、そんな綱渡りの日々にすっかり消耗してしまい、ランダースを離れたのだ。

 しかし、新チームをゼロから作り上げるという仕事は魅力的だ。
 また違った難しさはあるが、尽力の先には希望の光が待っている、負ければ叩かれる常勝チームを維持して行く仕事とは違う。
 ジムもビルも新チームと聞けば、低迷していたランダースを建て直して上昇気流に乗せた頃のやりがいに満ちた時期を思い出し、血が騒ぐのを抑え切れないのだ。


 数日後、ジムはビルの家にいた。
 二人ともクリーブランドを離れてはおらず、車で30分ほどの距離に住んでいるのだ、だから釣りやバーベキューもしばしば一緒に楽しんでいる。
 ビルの家を訪ねたのは、ジムは既に妻を亡くしているのでもてなしてやれないと言うのがその理由。
 実際、ジムがランダースのGMから勇退したのは、長年支え続けてくれた妻を亡くした心労も大きかったのだ。
 そしてクリーブランドのレストランでジム・ブラウンとビル・ミラーが会っているとなればどうしたって目立つ、釣りやバーベキューなら良いが、レストランでは仕事の話をするには不向きなのだ。
 
「ジム、いらっしゃい」
「やあ、キャロル、すまないね、ビルを駆り出して」
「しかたがないわ、ビルもあなたもフットボールのこととなればほかの事は全部どこかへ吹っ飛んでしまうんですもの、でも、私も日本は楽しみなの、アメリカにずっといたんじゃ出来ない経験ができそうで……キモノも着られるしね」
(ジム……どうやらキョウユウゼンとニシジンオリとやらはセットで1万ドルは下らないらしいですよ)
 ビルがジムにそう耳打ちするとキャロルがわざとらしく咳払いして笑った。
「コーヒーはここに置くわね、私はキッチンに行かなきゃ、ジム、夕食は食べていけるんでしょう?」
「それは嬉しいね、こころのところ外食ばかりだったからね」
「任せておいて……じゃ、どうせサンダースのお話なんでしょうから私は外すわね、用があったら声をかけて、大抵はキッチンにいると思うから……ミスター・タナカのお店からレシピと食材を分けてもらったの、楽しみにしてて」
 キャロルはそう言ってリビングを後にした。
 その足取りが軽いことに二人の男は胸をなでおろしたが、ジムは大事な話があってやってきたのだ。
「まずはオフェンシブコーディネーターとディフェンシブコーディネーターですね」
「ああ……君は誰が適任だと思う?」
「あなたは?」
「いや、君の方が今現在のNFL事情には詳しいだろう?」
「ならば候補を挙げましょう、決定権はあなたにあることに変わりはありませんがね……」


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