第7話 ウォー・ルーム

文字数 5,663文字

 東京サンダースのGM、ジム・ブラウンは『ドラフト・マスター』の異名を取る。
 ジムがそう呼ばれるのは、上位で指名した選手のほとんどが活躍するばかりでなく、下位で指名した選手からも中心選手に育って行く確率が抜群に高いのだ。
 それはもちろんジム個人の力ばかりではなくスカウトの眼力も必要だ、だがそのスカウトを任命するのもGMであるジムなのだ。
 そして、彼を信頼してすべてを任せてくれるオーナーをはじめとする経営陣の存在も欠かせない。
 クリーブランド・ランダースではヘッドコーチとしての実績があったので、オーナーは一切口を出すことはしなかった、そしてサンダースのオーナー、エドワード・タナカも元NFLのクォーターバックでヘッドコーチ時代のジムの薫陶を受けた人物、全くの新チームであり、東京と言うフットボール未開地を本拠地とするチームを所有するに当たってもジムを全面的に信頼してくれたのだ。

 NFLのドラフトはホールを3日間借り切って行われる、全米人気NO.1のスポーツなので注目を集めることは当然としても、それだけではないドラマがあるからだ。
 フットボールではポジションごとに大きく異なる能力が要求される、注目度の高いドラフト候補であってもチーム編成を鑑みて見送られることもあれば、あっと驚くような選手が上位で指名されることもある。
 野球ならば優れたピッチャーはチーム編成にかかわらず指名される可能性が高いし、優れたスラッガーも同様だ、しかし、例えばキャッチャーのように特殊なポジションであれば、既に良い選手を擁しているチームならば見送る可能性が高く、必要としているチームならば上位で指名する可能性がある、フットボールでは全てのポジションがそのような特殊性を持つのだ。
 そしてNFLのドラフトは完全ウェーバー制、つまり前年度最下位のチームから順に指名権が与えられる、あらかじめ指名順が決まっているのでどの選手がどこで指名されてリストから外れるのか、その見極めが重要になる。
 もうひとつ特異な点はドラフト順のやり取りができることにある、ぜひ欲しい選手がいて、その選手は自チームより先に指名されてしまうと予想できる場合、より上位の指名順を持つチームに交換を申し込むのだ。
 当選見返りは必要になる。
 例えば指名順10番目のチームがランニングバックに人材を欠いているとする、そしてぜひとも欲しいランニングバックは9番目のチームも狙っていると分析した場合、それより前の指名順を持つチームに『手土産』をつけて指名順の交換を申し込むのだ。
『手土産』は多くの場合下位の指名権、例えば1巡目10番目を5番目と交換してもらうために、2巡目の指名権を手土産にして差し出す、と言う具合だ。
 その辺りの駆け引きも腕の見せ所であり、20分の制限時間内に少しでも有利な条件を引き出そうと各チームの控室は上へ下への大騒ぎとなる、ゆえにその控室は『ウォー・ルーム』と呼ばれる。

 東京サンダースとロンドン・エクスカリバーズは新設チームなので1番と2番のドラフト順位を与えられている、コイントスに破れたサンダースは2番目。
 だがジムは全く落胆していなかった。
 おそらくロンドンは話題のクォーターバック、ジョニー・ラッセルを指名するだろう、彼は体格を含めた身体能力に優れ、矢のようなパスを投げる、大学時代は目の覚めるようなパスで何度もチームを勝利に導いた。
 だが、ジムの目から見ると彼は『クォーターバック脳』に欠けている。
 身体能力は申し分ないのでプロでも通用はするだろう、だが大成は出来ないと踏んでいるのだ。
 ジムにはティム・ウィルソンと言う意中のクォーターバックが居る、彼のクォーターバック脳を高く評価しているのだ、プレーが崩された時でも自力で道を拓くことが出来る脚があるのも魅力だ。
 だが、身体が小さく鉄砲肩も持っていないので前評判はそれほど高くない、2巡目でも充分に指名できると考えているのだ。

 ドラフトが始まった。
 注目の『いの一番』はやはり例のジョニー・ラッセルだった、誰もが順当と考えるところだろう。
 続いてジムが指名したのは守備の要となるミドルラインバッカー。
 例のクォーターバックが居なければ今年一番の目玉となるはずの選手、身体能力、判断力に加え、真面目な努力家であることも申し分ない。
 ミドルラインバッカーは高いスキルが必要なポジションなのですぐにそこを任すわけには行かないが、エキスパンションドラフトで大ベテランのミック・ハウアーを獲得できている、1年目はアウトサイドラインバッカーとして起用してベテランのプレーを学ばせるつもり、ハウアーが引退する頃にはディフェンスの要を安心して任せられる選手に育つだろうと踏んでいるのだ。
 もちろん身体能力はすぐにでもプロで通用するだけのものを持っているので、アウトサイドラインバッカーとしてなら1年目から活躍してくれると期待している。

 1巡目の終盤、カンサスシティからトレードアップの申し入れがあった、欲しかったワイドレシーバーがまだ残っていたのだ。
 一方、ここまでクォーターバックの指名は1人だけ、2番手と目されているクォーターバックがまだ残っていてティム・ウィルソンの指名はないと踏んだジムはその申し入れに応じ、3巡目11番を手に入れることが出来た。
 2番手クォーターバックは1巡目30番で指名され、カンサスも目論み通りワイドレシーバーを指名できた。
 そこからは落ち着かない時間が過ぎて行く……ティムの指名はないだろうと予測してトレードダウンに応じたものの、予測は予測に過ぎない……とりわけ2巡3番目に別のクォーターバックが指名された後は気が気ではなかったが、ジムは無事にティム・ウィルソンを指名することが出来てほっと胸をなでおろした。
 が、それも束の間の平穏だった。
 3巡目、ジムはオフェンスタックルのジョージ・マイヤーを狙っていたのだが、2巡目の15番で別のオフェンスタックルが指名されたのだ。
 その選手は少々動きが鈍いものの巨漢でパワフル、2巡目30番の指名権を持つピッツバーグがオフェンスタックルを必要としているのはわかっていたが、その巨漢を指名すると予測していた。
 だが、彼が消えてしまったとなればマイヤーを指名する可能性が大きい。
 再びサンダースのウォールームは慌ただしく動き始めた。
 2巡目16番から29番までの指名権を持つチームとの交渉が始まったが、サンダースがオフェンスタックルを必要としていることは見透かされている、レフトサイドには中堅どころのデビッド・コールを獲得したものの、ライトサイドのオフェンスタックルはまだ空席に近い、前のチームから放出された選手がいるに過ぎないのだ。
 当然、大きな見返りを要求して来る、29番目のシアトルは3巡目2番+11番を要求して来た、完全に足元を見られている……粘り強く各チームに打診したところ、25番目のオークランドが3巡目2番に加えて4巡目の2番で応じると回答して来た、それでもかなり大きな見返りだ。
「どうしますか? シカゴがマイヤーを指名するとは限りませんし、3番手のオフェンスタックルも悪い選手じゃないと思いますが……」
 スタッフの問いかけにジムは首を振った。
「いや、リックに約束したんだ、どうしてもマイヤーが欲しい」
 ジムは4巡目の指名権と引き換えにジョージ・マイヤーの指名に成功した。
 だが、3巡目11番を残せたことで、ワイドレシーバーのジミー・ヘイズを獲得できたのは大きかった。
 彼はティムの大学時代からの盟友、身長はやや物足りないが抜群のスピードを誇る、ティムとのコンビネーションが出来上がっていることも鑑みれば順位以上の『買い物』だった。

 5~7巡目はトレードアップ・ダウンもなく順当に指名を続け、サンダースは狙っていた選手をほぼ堅実に獲得することが出来た、
 
▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 サンダースの陣容はほぼ固まって来たが、とりわけ特殊なポジション、キッカーがまだ決まっていない。
 ただ、キッカーがドラフトされることは稀であり、FA市場で話題になることもあまりない。
 評論家たちも『ジム・ブラウンのことだ、どこかにあてがあるのだろう』くらいに軽く考えていた。
 隠し玉とも言うべき選手がサンダース入りを希望していて、引き止めようとするチームと話し合いを重ねているとまでは考えも及ばなかったのだ。

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「アスカ、どうしても行くのかい?」
「わがままなのはわかってます、でも日本にチームが出来るとあっては……」

 オークランド・バンデッツのオフィスで、首脳陣は苦りきった表情を浮かべていた。

 和田飛鳥。
 現在NFLで活躍するただ一人の日本人、バンデッツのキッカーだ。
 元々バンデッツにはキッカーとしては異例のドラフト1巡目で迎えられ、期待に違わず長年活躍していた名キッカー、コワルスキーがいた。
 それゆえ、飛鳥がバンデッツに迎えられた時は当然のように控扱いだった。
 だが、そのコワルスキーが怪我で戦列を離れると、代わって出場した飛鳥が大活躍を見せてチームはプレイオフに進み、スーパーボウル制覇にまで辿り着いた。
 バンデッツでスーパーボウルリングを手にするという夢を、思っていたような形ではなかったものの、飛鳥によって叶えられたコワルスキーだが、飛鳥にポジションを奪われてしまったことも事実だ、しかし、彼は飛鳥と握手を交わして移籍して行ったものだ。
 飛鳥は飛距離だけを取ってみれば少々物足りない、しかし、正確無比のキックは50ヤード以内のフィールドゴールならほぼ確実に決めてくれるだけではない、コーナーを正確に突くキックオフにも定評がある。
 キックオフでコーナーを狙った場合、狙いがずれて直接サイドラインを割ってしまうとサイドラインを通過した時点から相手の攻撃となる、だが飛鳥はほぼ確実にコーナーに落とせるのでリターナーは一方向にしか活路を見いだせないのだ、それどころかキャッチできなければエンドゾーンを背にしての攻撃となり、思い切ったプレーができなくなる。
 そしてオンサイドキックのシチュエーションでは地元ファンは大いに盛り上がる。
 キックオフでは10ヤード以上飛べば攻守どちらのチームにもボールを押さえる権利がある、オンサイドキックとは10ヤードぎりぎりの地点にボールを蹴り、リターンチームとボールを奪い合うプレー、ビハインドを許して時間切れが近い時や前半終了間際にしばしば用いられる作戦だが、相手もそれは重々承知していることなので成功率は非常に低い。
 しかし、10ヤード程度なら飛鳥はほとんど狙ったところにピンポイントでボールを落とせる、あらかじめボールの落下点が正確に判っていれば押さえられる確率はぐっと上がる、そしてそれが逆転勝ちに結びついたゲームも少なくない。

 飛鳥の契約は昨年で切れたがチームは再契約を強く望んで来た、しかし飛鳥はサンダース入りを熱望していたのだ。
 彼を引き止めたいバンデッツは年棒の大幅上積みを提示して引止めにかかったが、飛鳥の熱望を翻らすことは出来なかった。

「コワルスキーにも申し訳ないと思っています、彼は僕のアイドルでしたし、こちらに来てからは師とも言うべき存在でした。 彼からスターターの座を奪った時、バンデッツのキッカーはお前に任せたぞとまで言われたんですが、その時はまさか日本にチームが創設されるとは想像もしていませんでしたから……彼には電話しましたが、理解してくれましたよ」

 そこまで言われてはバンデッツのGMも首をお手上げだった。

「仕方がない……日本で頑張ってくれ、ただし、ウチと対戦することがあったらお手柔らかに頼むよ……」
「理解して頂いてありがとうございます」

 ホテルに戻った飛鳥は荷造りを始めた。
 元々オークランドと東京の二重生活、しかもシーズンの半分はロードなのでアパートを借りてはおらずホテル住まいを続けて来た、それゆえに荷物はごく少ない。

 5年前、コワルスキーに憧れて入団テストを受けに来たオークランドの地。
 テストに合格して、初めてコワルスキーに会った時の事、彼の飛距離を間近で見て、そのパワーに圧倒されたこと、ライバルとして冷たく接されたこと、そして彼が怪我をして自分が代わってフィールドに立った時に貰った、厳しくも的確なアドバイス、彼がチームを離れる時交わした握手の力強さ……これまでの人生のハイライトだった。
 オークランドはサン・フランシスコの下町に当たる街、ブルーカラーが多く住み少々荒っぽい土地柄、だがそれ故にバンデッツのファンは熱狂的なことでも知られる、そんな街に有って飛鳥の背番号『2』のジャージを来て応援してくれるファンも多い。
 そんなファンに支えられて過ごした5年間……様々な思い出が胸をよぎる。
 
 オークランドは第ニの故郷、大切な地ではある。
 しかし、飛鳥は万感の思いを込めてトランクの蓋を閉めた。
 本当の故郷に灯ろうとしている、フットボールの灯を大きく燃やすために。

 ホテルを出た飛鳥はタクシーを止めた。

「え? もしかしたらアスカ・ワダ?」
 タクシーを運転していた黒人に声を掛けられた。
「そうだよ」
「もしや、サンダースに?」
「そうなんだ、応援してくれたファンには申し訳ないけど、やっぱり日本にチームが出来るとあっては、どうしても参加したくてね」
「そりゃ当然だね、うん、サンダースに行っても応援するよ、あなたは俺たちの誇りだったから……いつまでもオークランドの家族だよ」
「ありがとう……」
 アスカはそう答えて目を閉じた。
 見慣れたオークランドの街はもう目に焼き付けるまでもなく、心に焼きついている。
 車窓からその街並みが流れて行くのを見ていたら、涙がこぼれてしまいそうだったから。

 
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