第1話 ジャーニーマン

文字数 7,544文字

 
 ジャーニーマン(Journeyman)は、プロスポーツでいくつものチームを渡り歩く選手のことである。直訳すると「旅人」という意味だが、「流しの職人」という意味で用いられる。
 トレードされたり、解雇されてもすぐに別のチームで必要とされて契約に至るケースが多い。 アメリカのプロスポーツは移籍が頻繁に行われるため、該当する選手にしばしばこの言葉が用いられる。 (ウィキペディアより)

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「さて、これからどうしたものかな……」
 リック・カーペンターは車の中でつい声に出してしまった……誰が聴いているわけでもないのだが……強いて言うならば自分自身への問いかけだった。

 リックはプロフットボールプレーヤー、ポジションはクォーターバックだ。
 今季はシカゴに在籍して4勝12敗、自身のクォーターバックレイティングも81、NFL入りしてから12年経つが、公式戦出場がなかったルーキーイヤーを除いては最も奮わないシーズンを過ごした。
 そして今日はチームの事務所に呼ばれ、来季の契約を結ばないと言い渡された。
 実はそんなことは初めてではない、と言うよりもこの12年で8回目になる。

 リック・カーペンターは『ジャーニーマン』として知られている。
 彼は状況判断に優れた、沈着冷静で堅実なクォーターバックと評価されている、だからこそ12年間現役を続けて来られたのだ。
 彼には観客を熱狂させられるロングパスはない、肩の強さで言えば平均以下なのだ。
 ピンチをチャンスに変えられる機動力もない、脚自体はそう遅い方ではなかったのだが3年目のシーズンに膝の怪我をしてからは機敏な動きは影をひそめ、あっさりディフェンスに捕まることが多くなった。
 身長は5フィート10インチ、大型のディフェンスラインが揃うNFLでは少なくともあと4~5インチは欲しい所だ、体重は180ポンド、やや細身の体型で、タックルを受ければあっさりとひっくり返されてしまう。
 要するにプロのフットボール選手としては、体格も身体能力も凡庸、と言うより平均をだいぶ下回る。
 だが、彼のクォーターバックとしての頭脳は凡庸ではない、冷静にリスクを回避し、常にチームの勝利のために最良と思われるプレーを選択できるのだ。
 だが、そのことは観客にとっては退屈なクォーターバックと映る。
 実力が上のチームと相対した時、イチかバチかのスリリングなシーンは期待できず、番狂わせを演じることはめったにない。
 相手の実力が下の場合も退屈だ、徐々に引き離して堅実に勝利を収めるものの、スタンドやTVの前のファンがお祭り騒ぎになるような大勝は期待できない。
 インタビューを受けても評論家のような受け答えに終始し、大口を叩くこともなければユーモアを交えて聴く者を魅了することもない。
 ルックスも性格がそのまま表れ、端正な顔立ちではあるものの今一つ人を引き付ける魅力に欠ける。
 要するにスター性には決定的に欠けているのだ。
 プロスポーツは真剣勝負であるとともに興行でもある、オフェンスチームの要であり牽引車でもあるクォーターバックはチームの顔、スター性があり、スタジアムを沸かすことが出来る選手が望ましい。
 チームの首脳陣から見れば彼ほど信頼が置けるクォーターバックは多くはないが、良くも悪くも地味なのだ。
 
(そろそろ潮時かも知れんぜ……)
 リックの中の別の彼が囁く。
 膝の古傷にシカゴの冬は堪えた、脆弱なOLに加えて古傷を抱える脚、数えきれないほどのサックを浴び、昨今は鎮痛剤なしで眠れる日は数えるほどだ。
 毎年のように所属チームが変わり、その都度見知らぬ土地で暮らすのにも少々疲れた。
 この先現役を続けていても同じようなシーズンを続けて行くのだろうと思うと、内なる声に頷いてしまいたくもなる。
(まあ、良くここまでやって来れたものだな……)
 そう思ってしまう。

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 12年前、リックは大学で講義を受けていたのだが、講義が終わるのを待ちかねていたかのようにチームメイトが飛び込んで来た。
「おい、リック、講義なんか受けてる場合じゃないぞ」
「なんだよ、藪から棒に」
「ドラフトだよ、お前、クリーブランドにドラフト指名されたんだぜ」
「え?……」

 NFLのドラフト会議が行われていることは知っていたし、1巡目、2巡目が指名される初日はテレビ中継もされるのでリックも見ていた。
 だが正直なところドラフトにかかるとは思っていなかったので、一人のフットボールファンとして興味を持っていただけだ。
 事前にいくつかのチームから打診は受けていたが、いずれも『もし指名したらよろしく』と言った程度のもの。
『もし指名したら』だ、『ぜひ指名したい』ではない。
 ドラフト外で誘いを受けるかもしれないと言う程度のことは考えていたが応じるつもりはなかった、学業でも良い成績を収めていた彼は地元の上場企業への就職も内定していたのだ。
 もとより野心家ではない、自分がプロで通用するとは考えていなかったし、彼の性格からして安定した生活を求める気持ちも強かったのだ。
 だが……。
「君を6巡目で指名させてもらったよ、一度こっちへ来てもらえないか? 条件等のことで相談したい」
 ドラフト会議が終わってしばらくすると電話が入った。
 クリーブランド・ランダースのGM、ジム・ブラウンからの直々の電話だった。

 ジムは名GMとして名高い。
 NFLでは支配下選手の年棒総合計の上限を厳格に定めるサラリーキャップ制が取られるとともに、ドラフトは前年度の成績が悪かったチームから順に指名して行く完全ウェーバー制も取られている、いずれも各チームの戦力の平均化を画策した制度だ。
 それもかなり厳格に。
 当然常勝チームを作ることは難しい、好成績が続けば選手の年棒は上がり、スター選手と言えどもチームバランスを考えれば放出しなければならなくなることもある。
 しかも成績が良ければドラフトでも指名順位は下位になるのでドラフトの目玉となるようなスター選手を指名することも出来ない。
 そんな中でランダースはこの10年以上にわたって好成績を挙げ続けている、それはジム・ブラウンの眼力によるところが大きいことは間違いない、ドラフトの下位で指名した選手が成長を遂げて数年後には活躍するようになるケースが多いのだ。
 
 自分にはNFLは無理だと考えていたリックだったが、ジム・ブラウンに見込まれたと言う事実はリックの心を揺さぶった。
(とにかく話だけでも聴こう、ジム・ブラウンに会えるだけでも光栄だし……)
 そう考えたリックはクリーブランドに飛んだ。

「会えて嬉しいよ、ジム・ブラウンだ」
「リック・カーペンターです、お会いできて光栄です」
 ジムとの会談はお決まりの挨拶と握手から始まったが、すぐに本題に入って行った。
「ドラフト指名されたのは正直言って意外でした、僕のどの辺りを見込んでくださったんですか?」
「何と言ってもクォーターバックとしての頭脳が抜群に良いからね……私はコンバイン(ドラフト候補性を一堂に集めて行う、入団テストのようなもの)の結果は重視しない、重要なのはあくまでゲームでどういった働きが出来るかだ、どれだけ身体能力に優れていてもゲームでそれを発揮できなければ意味がないからね、正直言って君の身体能力は今一つだ、しかしそれを補って有り余る頭脳を持っている、見込んだのはそこだよ」
 ジムはそう言って『決め手になった』と言うビデオを見せてくれた。
「ここだ……このシーンでワイドレシーバーがコーナーバックを振り切っているな、そこへ投げ込めばタッチダウンを取れる可能性が高い、そのことには気づいていたんだろう?」
「ええ、まあ」
「だが君はサイドライン沿いへのショートパスを選択した、そしてフィールドゴールに繋げて逆転勝ちだ……この瞬間、そこまで計算したんじゃないかな?」
「確かに……コーナーバックを振り切っているのは見えていましたが、セイフティがそれに気づいて動き始めていましたから」
「そこまで見えているのは大したものだ、プロでも思い切って投げてしまうクォーターバックは多いよ、だがビハインドは僅か1点、残り時間を考えればフィールドゴールでも充分なケースだ、セイフティが追いついて来てパスをカットされる可能性、追いつけなくてもワイドレシーバーがドロップしてしまう可能性、そして少々遠いがフィールドゴールが成功する可能性、それらをとっさに計算して、少しでも勝利の確率が高くなるプレーを選択した、違うかね?」
「小心者なんですよ、より堅実な方を取りたくなるんです」
「私の目に狂いはなかったわけだ……正直に告白するが、君はドラフト外でも取れると見ていたんだ、だが7巡目に君を狙っているチームがあると言う情報が入ってね、オフェンスラインを指名するつもりだったが急遽変更した、君を逃したくないと思ったものでね」
「僕も正直に言います、卒業後は一般企業に就職するつもりでした、ドラフト外ならお断りしていたでしょう」
「そうか、そこまでは読めていなかったよ、結果的に指名して良かったわけだ」

 即答は避けたが、ジムとの会談はリックの心を大いに動かした。
 そして熟考の末に答えを出した。
(サラリーマンにはいつでもなれる、だがプロの選手になるチャンスは今を置いては今後あるはずもない)
 
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(若かったな……)
 リックは車の中でひとり苦笑した。
 リックが大学に入学した頃、チームには2年生のシーズンから早くもスターターを任されたスタークォーターバックがいた、彼はドラフト5巡目で指名されてプロ入りしたが、出場機会を得られないまま3年でカットされている、プロのレベルとはそういうものだ、その厳しさは良く知っているつもりだった。
 自分程度の身体能力ではプロでやっていけないのではないか、と言うことは当然考えていた、そもそもドラフト6巡目で指名されるクォーターバックは『うまく行けば控えクォーターバックくらいには成長してくれるかも知れない』と言う程度の期待度であることももちろん知っていた。
 それでも『あの』ジム・ブラウンが認めてくれたと言う事実が彼を突き動かした。
(あの時ドラフトされていなかったら、されたとしても断っていたら……)
 おそらくは今頃落ち着いた暮しを送り、子供もいたかもしれない……そう言う生活を退屈だと考える気持ちはリックにはない、むしろ毎年のように住む街が変わり、来季の契約が得られるかどうかを心配し、新しいチームのシステムに慣れることに心を砕く生活は、安定を好む彼の性格からして望ましいものとは言えない。
(まあ、長い人生の内の12年だ、これも経験だったさ……)
 毎年数百万ドルの年棒を得ていたし、浪費癖はなく、サイドビジネスには手を出さず、スキャンダルとも縁がなかったので一生を安楽に暮らせる蓄えは充分にある、のんびりと暮らすのも悪くない……。
 そう考えてまた苦笑した。
 どうも無意識のうちに『そろそろ潮時』と言う考えに傾いているようだ……。

▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽   ▽

 ランダースに入団した当初、当然のことながらリックは『控えのまた控え』。
 1年目からロースターには加えてもらえたものの、それはいわばエースと控えクォーターバックが揃って負傷してしまった場合に備える『保険』として、出場機会はゼロだった。
 だが、転機は2年目に訪れた。
 その年、プレシーズンゲーム開幕を目前にしてエースクォーターバックが負傷した。
 負傷そのものはそう深刻なものではなかったが、大事を取って欠場したエースに代わって初戦に先発した控えクォーターバックの出来が散々で、第2クォーターからリックと交代した。
 第1クォーターの大量失点が響いてゲームには敗れたものの、リックは堅実にチームを前進させ、あわや逆転と言う所まで導く上々のデビューだった。
 だが、プレシーズンゲームは勝負は二の次の調整の場であり、戦力になりそうな選手を試す機会でもある。
 1戦目、2戦目辺りではチームの主力は顔見世程度の出場にとどまり、試してみたい選手が多く出場機会を得るのはごく普通の事、リックの活躍も同じで、試してみたい選手の中では予想より良かった、と言う程度に受け止められ、地元のメディアでも大きく取り上げられるようなことはなかった。
 第2戦にリックが先発し、最後まで出場し続けて勝利を収めてもその評価は大きくは変わらない。
 第3クォーターバックから第2クォーターバックに格上げされるかも知れない、と言う程度のものだった。
 第3戦にはエースクォーターバックが復帰して先発したが、顔見世程度の出場にとどまり、リックが後を引き継いで連勝。
 プレシーズンゲームの最終戦となる第4戦、前半はエースが出場してリードされ、後を引き継いだ控えクォーターバックが更に引き離され、第4クォーターからはリックが出たが、点差を3点詰めることが出来ただけで敗れた。
 地元メディアはリックを評して『控えクォーターバックに成長した』と報じたが、開幕戦の先発はエースと信じて疑わなかった。
 だが、レギュラーシーズンの開幕戦、スターターに指名されたのはエースでも控えでもなく、第3クォーターバックだったはずのリック、チームは28-21で勝利を収め、その試合でリックはクォーターバックレイティング87を記録した、驚くような数字ではないが充分な及第点、公式戦初出場のクォーターバックとしては文句のない成績だった。
 そして第2戦、第3戦もリックが先発して3連勝、スコアは24-21と27-21、快勝と言えるほどのスコアではないが、3連勝のランダースは地区のトップに立った。
 そして充分なコンディションであるにもかかわらず出場機会を得られなかったエースがトレードを要求すると、ランダースはこれ幸いとばかりに彼を放出し、複数の若い選手を獲得した。
 エースクォーターバックは生え抜きのスター選手であったが、契約ごとに年棒が高騰していて、サラリーキャップ制の下ではチーム編成の上でお荷物になりつつあったのだ。
 チームはその年11-5の好成績で地区優勝を果たし、プレイオフ初戦では敗れたものの、好成績を保ちつつ若返りにも成功、リックも最終的にレイティング92を記録し、文句のないスターターとして定着した。
 翌年、リックはレイティング89と少し成績を落としたものの、チームは連続で地区優勝を果たした。
 しかし、3年目のシーズン中盤、リックはひざを負傷してシーズンアウト、彼の後を引き継いだのはウィル・モラー、リックの翌年にドラフト3巡目で指名されたクォーターバックだ。
 ウィルも身長には恵まれないが、体つきはがっちりしている、鉄砲肩と言うわけではないが平均的な肩の強さは備えている、そして何と言っても脚が使えるのが強みだった。
 むやみに走りたがるタイプではないが、パスプロテクションが破られても容易には捕まらず走りながらでも正確なパスを投げられる、そしてレシーバーがカバーされていると見ればランプレーに切り替えることもできた。
 リックが離脱した時、チームは4-2だったが、シーズンが深まるにつれてウィルは輝きを増して行き最終成績は11-5、地区優勝を果たして、敗れはしたもののスーパーボウルにまで駒を進めることが出来た。
 そしてその年のシーズンオフ、リックは翌年の契約を得られなかった。
 ジム・ブラウンGMは自分を見出してくれただけでなく、2年目にスターターに抜擢されたのもジムがヘッドコーチに進言してくれたからだと知っていた。
 だが、今度はそのジムにカットされたのだ。

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 ランダースからは契約を得られなかったと言え、リックのような堅実なクォーターバックを必要とするチームはいくつもある。
 ロスアンゼルスからのオファーを受けたリックは移籍した、ロスアンゼルスもまたエースクォーターバックを怪我で欠くシーズンを迎えようとしていたのだ。
 条件も破格と言って良いものだった、ドラフト6巡でランダースと3年契約を結んだ時、リックの年棒は『その他大勢』並みだったが、LAでは主力級の評価を受けたのだ。
 だが、翌年エースが怪我から復帰すると、リックはまたも翌年の契約を得られなかった。
 そして、そこから『ジャーニーマン』としての選手生活が始まった。

 リックが求められるのはクォーターバックに問題を抱えているチームに限られる。
 その時期上げ潮に乗っているチーム、黄金期を迎えているチームならば控えクォーターバックにも人材がいる場合が多く、若く経験不足であってもチーム全体の力で盛り立て、成長を促すことが出来る。
 リックを欲するのは長年エースに頼って来たが、そのエースの力が落ちて来ると共に低迷期に入ってしまったチーム、即戦力にと期待してドラフトしたクォーターバックが伸び悩み、クォーターバックを固定できないでいるチーム、そんなチームばかりだ。
 そんなチームがリックに求めるのはスタジアムから客足が遠のく悲惨なシーズンを送らずに済むこと、ゲームの途中でファンが帰路についてしまうような情けないゲームをしない事、その二つに尽きる。
 そしてそのどちらにもリックは応えられる。
 大きく勝ち越すことは出来なくとも次の試合にファンを繋ぎ止めることはできる。
 序盤で勝敗が決してしまうようなゲームはほとんどなく、負けるにしても最終クォーターまで望みを繋げられる。
 だが、ドラマチックな大逆転を演じることはあまりなく、相手チームを完膚なきまでに叩きのめすようなゲームもない。
 そしてスター性には乏しいから年棒はそれなりの額で済む。
 リックはそんなクォーターバックなのだ。
 そしてそれらは『ジャーニーマン』の要件に一致する。
 彼はあくまで『代役』なのだ。
 エースが復帰したり、生え抜きのクォーターバックに仕える目途が付けば必要がなくなる、すると翌年の契約は得られず、また別の悩めるチームから声がかかって移籍する、その繰り返しだ。
 
 そして今年もシカゴから翌年の契約が得られずにフリーエージェントとなったリックに、次のチームからのオファーはまだない。

「本当に潮時かも知れないな……」
 リックはもう一人の自分からの示唆ではなく、自分の口からそう独り言を漏らした。
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