妹vs兄
文字数 4,377文字
いつも自分より人のことばかり。高校卒業後すぐに就職して、長年あのブラック企業で働き続けたのだって私の学費を稼ぐためだった。私もバイトするって言ったのに、そんな時間があったら勉強して遊んで青春を楽しめとかぬかすし。自分はどうだってのよ?
何が一番損かって、それを当たり前のことだと思っていて人の感謝も素直に受け取ってくれないところだ。私は父や母と同じくらいあなたに感謝してるんだから、いちいち謙遜したり遠慮したりする必要は無いのよ、兄さん。
話は変わるが、私は人に“魔女っぽい”と言われがちだ。
それは何故かと問うと、みんなしばらく考え込んで、大半が同じ言葉を返す。
なんとなく、雰囲気がと。
「失礼な話よね」
「え? 何が?」
唐突な一言に驚く夫。ちゃんと前を見なさい、運転中でしょ。
「さっき言われたじゃない社長さんに。なんだか君は魔女っぽいなって」
「ああ、言われてたね」
「いくらなんでも心外だわ。あの人やニッカさんの方がよっぽど人間離れしてるじゃない。漫画のキャラクターに『君、漫画みたいだね』って言われた気分」
「はは、きっと服装のことを言ってるんだよ」
「服?」
自分の体を見下ろす。これのどこが魔女だって言うの。
「ただの黒いゴシックドレスじゃない」
「いやあ、うーん……世間一般のイメージだと、それは魔女っぽいと思うよ」
「そうなのかしら?」
だとすると、今まで私を“魔女っぽい”と評した人達への評価も改めなければならない。私、こういう服が大好きなのよね。南米の奥地でだって意地でも着続けたんだから。
「でも私、魔女はホウキで飛ぶものだと思うの」
「ん? ん~? そう、だね?」
夫は、また始まったぞ、あるいは嫌な予感がするぞ、という表情になった。
「飛べるホウキ、開発してみない?」
「その前に訊くけど、君は考古学者だよね?」
「妻の職業をちゃんと覚えていたくれたのね、嬉しいわ」
「僕は言語学者なんだよ」
「そうね」
「空飛ぶホウキを開発するのは、どこかのエンジニアの仕事じゃないかな?」
「どこにいるかわからないじゃない。自分で作った方が早いわ」
「君はやっぱり魔女だと思う」
まあ失礼ね。この服装以外のどこが魔女だって言うのかしら?
「友美もそのうち魔女になるのかなあ」
「大丈夫よ、あの子は半分友くんの遺伝子を受け継いでるもの。ほどほどに大人しくなるはず」
「だといいけど」
また失礼なことを言った夫の耳に、ふーっと息を吹きかけてやった。
「わひゃっ!? う、運転中だよ!!」
「知ってるわ」
空港から走ること一時間、目的地に到着した。早速インターホンを鳴らす。
「ハロー、兄さん! 友美、お母さんが帰って来たわよ!!」
「お父さんもいるよー」
玄関を開けて呼びかけたら、すぐに愛しの娘が居間から駆け出して来た。
「おかーさん!」
「友美ぃっ!!」
感動の再会。しっかりと抱きしめる。
でも──
「おかえりー」
「あら? ただいま」
意外と軽い反応ね。生まれて初めて一ヶ月も離れてたんだから、もう少し泣いて喜んでくれたりするものと期待してたんだけど。
「友美、お父さんもいるよ」
「おかえりー」
「うん……」
友くんもあっさりした反応に落ち込んでしまう。まあ、彼の場合はいつものことだ。
「無事に戻ったか、ご苦労だったな」
「あ、お義兄さん、ただいま戻りました。一ヶ月もの間、ありがとうございます」
「気にするな、俺も友美のおかげで楽しめた」
「たのしかった」
あらそういうこと。思った以上にここでの生活が面白かったのね。流石は私の娘。
ならいいわ。むしろ、泣いて抱き着かれるよりずっといい。
「ありがとう、兄さん」
「うむ」
兄は相変わらずの仏頂面で頷いた。
「そうそう、それで夏休みの自由研究に“兄さん観察日記”を提出したら思ったよりウケちゃって、しばらくの間うちの学校で兄さんの真似をするのが流行ったのよ」
「あー、あったあった。近所のガキどもがみんな豪鉄みたいな喋り方になってな。いやあ、あん時ゃ笑った笑った」
「俺は笑えんかったぞ」
「ははは……」
私達が帰って来たことを聞きつけ、裏の吉竹さんも遊びに来た。私にとってはもう一人の兄みたいな人。友美も加えた五人でちゃぶ台を囲み昔話に花を咲かす。まあ、友くんと友美にはわからない話ばかりだけれど。
「いやあ、それにしてもあの美樹ちゃんがなあ、立派なママさんになったもんだ」
「そうでしょ?」
ゆるくウェーブのかかった茶髪をさらりとかき上げる私。ちなみに脱色しているわけでなく地毛だ。母譲りのこの髪色のおかげで学生時代にはよく教師に目を付けられたものである。もちろん口で言い負かして認めさせてやったけれど。私には常に自分の好きな格好をする権利がある。何人たりともそれを侵させはしないわ。
「そうだ、友美はお母さんみたいになりたい? お父さんみたいになりたい?」
車内での会話を思い出した私は、膝の上の我が子に訊ねてみる。
すると娘はじっと正面の兄を見つめた。
「おじちゃんは?」
「んん?」
自ら選択肢を追加してきたわ。これは想定外。
けれど、もちろんオッケーよ。
「おじちゃんみたいになりたいの? それでもいいわよ」
「ううん」
「あら、違うの?」
「おじちゃんのおよめさん」
「えっ!?」
友くんがうろたえる。この発言には流石の私も硬直する。
でも友美の言葉には続きがあった。
「みたいなひと」
「そ、そう」
「お義兄さんのお嫁さん、みたいな……?」
「おい豪鉄、オメエ、まさか……」
あら吉竹さんは何か知ってるみたい。問い詰められて兄さんは珍しく目を逸らす。
「やっぱりかテメエ! ヒヨコだな!? おい、どこまでいってやがる!! 正直に白状しやがれ!」
「ヒヨコ……って、麻由美ちゃん!?」
しばらく前に再会して、それ以来たまに友美がお世話になっているとは聞いてたけれど、そういう間柄だとは全く聞いてなかったわよ、兄さん?
「ちょっと、私にも詳しく聞かせてよ。麻由美ちゃんと付き合ってるの?」
「まだだ、まだ、そういうことにはなっておらん」
「まだ? まだってことは、その気はあるのね?」
「……まあ、な」
ジーザス。
「美樹ちゃん!?」
友くんが私を見てびっくり仰天した。吉竹さんも兄さんを問い詰めるのを忘れてしまう。兄さんまでそんなに驚かないでよ。
「おかーさん?」
「大丈夫よ友美。ちょっと、嬉しいだけ」
ぽろぽろ零れた涙を拭い、娘の体をギュッと抱きしめた。
「そっかあ、よかったあ……」
兄さん、このまま一生独身で暮らすのかと思ってたわ。普通ならとっくに婚期を逃している歳だし、いいかげん麻由美ちゃんも別の誰かと結ばれてるだろうなって。
「よかったね兄さん。私はもちろん賛成よ。麻由美ちゃんなら安心して任せられる」
「お前は俺のお袋か……それに、まだ決まってはいないと言っただろう」
「決まったようなもんよ」
あの麻由美ちゃんが断るはずないじゃない。
夜も更け、友美を寝かせた後、居間へ戻ると兄さんと吉竹さんはまだ飲んでいた。
「ちょっと大丈夫? 吉竹さん、そんなに飲んで明日どうするの?」
「なんでえ忘れたのか。明日はうちは定休日よ」
「あ、そっか」
そういえばそうだった。吉竹さんのお店、週一で休むのよね。
とはいえ飲み過ぎな気がする。
「ほどほどにしなきゃ駄目よ」
「う~ん、美樹ちゃんが言うなら、このくらいにしとくか」
「そうだな」
頷いた兄さんは顔色一つ変わっていない。多分吉竹さんと同じくらい飲んでるんだろうけど、この人は父に似てうわばみなのだ。酔ってる姿も二日酔いになった姿も見たことが無い。
ちなみに私もざるよ。大学時代、よからぬ目的で酔い潰そうとしてきた馬鹿を何十人と轟沈させてやった。
で、全く飲めない友くんと結婚したの。
「じゃあ、帰ぇるわぁ」
「送って行かなくて平気か?」
「ほどほどにしたから大丈夫だって。すぐ裏だしよ」
「いや、やはり危ない。ついて行く」
「まったく、心配性だなあオメエは」
ま、それがうちの兄さんよ。
吉竹さんもわかってるから、それ以上はつっぱねず大人しく兄さんに付き添われ帰って行った。
しばらくして戻って来た兄さんは、私の手元を見てフッと笑う。
「よく撮れておるだろう」
「うん。隣の市の写真屋さんだっけ? 良い腕してるわ。今度私達も友美と行こ」
アルバムのページをめくりながら頷く。先週兄さんと麻由美ちゃんがうちの子を連れて行ってくれたという写真屋さん。そこで撮られたお姫様なうちの子の姿にさっきから私の目は釘付けだ。
「可愛いわあ、うちの子、めっちゃ可愛いわあ」
でも、もちろん、
「こっちの子も可愛い。麻由美ちゃんの娘さんよね?」
「ああ、歩美という」
「お母さんと一字違いね、覚えやすい」
「……」
なにその顔? ちょっと嬉しそうじゃない。
「兄さん、さっきは勢いですぐに賛成しちゃったけどさ」
「ん?」
「大丈夫? 麻由美ちゃんと結婚するなんてことになったら、この子の親にもならないといけないのよ」
「そうだな」
だがまあ、と兄は落ち着いた様子で言葉を続ける。
「当面、それは目標に留めて“おじさん”程度の付き合いでもよかろう」
「まあそうね、いきなり“お父さん”になるのは無理か。お互いに」
「うむ……そういえば友也は?」
「友美と寝てる」
友くんはビール一杯でダウンした。まったく極端な義兄弟だわ。
「少し、あやつが羨ましくなった」
「へえ?」
「友美が生まれた瞬間から“父”だろう」
「なに言ってんの、そんなわけないでしょ」
「む?」
そう、そんなわけない。誰だって最初は初心者だ。
「兄さんが昔、教えてくれたんじゃない。あの黒焦げの野菜炒めを残さず食べてさ。誰にだって最初はある。ちょっとずつ上達していけばいいって。私も友くんもそうやって少しずつ親になっていったのよ。いや、まだその最中かもね」
「……そうか」
そうなんです。だから大丈夫。
「兄さんならきっと、良いお父さんで良い旦那さんになれるわ」
「お前が言うなら、そうなんだろう」
兄さんはコップに半分だけ残っていた清酒を一気に飲み干し、立ち上がる。
「さて、そろそろ寝るぞ。お前らのおかげで踏ん切りも付いた」
「それは良かった」
本当は私達、今日中に自分の家に帰るつもりだったのよね。でも、兄さんも友美もあんまり寂しそうな顔をするもんだから一日延長しちゃった。
「すまなかったな」
「いいのよ、兄さんはもっとわがままを言っていいの」
素直に受け取ってよね。でないと渋滞するわよ。私にはまだまだ、あなたに返さなきゃいけない恩がたくさんあるんだから。
うちの兄 損な性格 治らない
「まあ、それが兄さんよね。愛してるっ」
「よさんか」
背伸びしてほっぺにキスをすると口をへの字に曲げて照れ隠し。本当にもう相変わらずなんだから。