かるた
文字数 3,342文字
俺は今、いつもの座敷で姪の友美と向かい合っている。居間に来客時用の座卓を広げてあるのでかるたで遊ぶには手狭。こちらの方が広い。
そう、我等はかるたで戦っている。
「空を飛び 高笑いする 最悪の魔女」
「そ……そ……」
「はい」
友美が探している間に、俺が先に“そ”の札を取った。
「……」
友美は涙ぐむ。鼻もずずっと鳴らした。まだ絵札は数枚残っているものの勝敗はすでに決している。仮に残り全て友美が取ったとしても、俺の獲得した数の方が圧倒的に多い。
読み手の歩美が顔を寄せて来て囁く。
「もう少し手加減してあげてよ……」
「駄目だ」
俺はきっぱり断った。
「これは友美から挑んで来た勝負だ」
その後も結局、残りの札の半分以上を俺が取った。
しかし少しずつお前の反応も早くなっているぞ、友美。
勝敗はついたが、再び姪っ子に問いかける。
「どうする? まだやるか?」
「やるっ!!」
友美は即答した。そうか、お前はまだ諦めておらんのだな。
「約束通り五回までだ。あと三回だぞ、友美」
「うん」
必ずその三回のうちに勝ってやるぞという意気込みを感じる。
そうか、ならば俺も全力で迎え撃とう。
「かかってこい」
お前を一人前の大和撫子にするため、俺は心を鬼にするぞ。
「弟に メロメロですね 極悪の魔女」
「はいっ」
「ほう」
やりおるわ。手元にある札というのは盲点になりやすいものだが、しっかり位置を記憶していたか。
だが、枚数は十対三。依然俺が大きく上回っているぞ。
周囲では歩美、麻由美、友也が心配そうに俺達を見つめている。美樹だけはいつも通りの平静な顔だ。麻由美と美樹に抱かれている赤ん坊二人も鬼気迫る雰囲気に飲まれたのか、さっきからずっと泣かない。
「ママが好き 好き好き大好き 社会悪の」
「はい」
「あっ」
歩美が全部読み終わる前に、俺が自分の手元にあった“ま”の札を取る。
悔しがる友美をあえて挑発してみた。
「どうした友美よ、いつも遊んでいる大好きな“悪の魔女かるた”だぞ」
「うう……」
ますます涙ぐみ、俺を睨みつける姪っ子。こやつにこんな顔ですごまれる日が来るとは思わなかったな。
友美は三歳の時からかるたが好きだ。
あの本屋で俺が買ってやった。
初めて遊んだのも俺とだった。遊びながらひらがなの読み方を教えた。まあ最初の頃は文字でなく絵で識別していたようだが。
俺は毎回勝ちを譲った。俺だけでなく他の者達も。誰も友美相手に本気は出さなかった。大人が本気になったら幼児が勝てるはずもない。
とはいえ、こやつもあと四ヶ月足らずで八歳になる。流石に自分が手加減されていると勘付いてしまった。
「本気でやって!」
そう言って怒ったのだが、友也にしろ麻由美にしろ歩美にしろ友美相手に本気では戦えなかった。美樹も手抜きかそうでないか判別しにくいラインでのらりくらり戦う。
当然、友美は納得しない。いったん気が付いてしまえば大人の手加減は手に取るように分かった。
そこで俺を指名して来た。
「おじちゃんとやる!」
俺なら本気でやってくれると思ったようだ。それが自分の望みだから。ゆえに俺もその信頼に応えてやらねばならん。
俺は本気を出した。そして二連勝した。
三度目も、どうやら俺の勝ちらしい。
四十六枚中の二十四枚を取った。
だが、友美は勝負を続ける。
数など数えておらん。
(必死だな……)
ほどなくして札が無くなった。お互いに一枚ずつ場に戻して数を数える。
「じゅうに、じゅうさん、じゅうよん……」
「十五、十六……お前は札が尽きたな、俺の勝ちだ」
「……」
ぐっと歯を食い縛る友美。涙が零れ落ちたが、自分でそれを拭う。
「もういっがい」
「ああ、まだ二回残っている。だが、その前に」
「はい友美」
友也がティッシュを持って来て友美の鼻をかんでやる。涙も拭き取り、ぽんぽんと背中を叩く。
「頑張りなさい」
「うん」
俺達は四度目の勝負を始めた。
友美はまた少し反応が早くなっている。
しかし、それは俺も同じ。
(こう繰り返し遊べばな……)
友美が慣れたように俺も慣れてしまった。読み札の最初の一字が読まれた時点で、どの絵札を取れば良いか瞬時に浮かぶ。
「は──」
「はい」
友美は札を取ろうとしたが、俺の方が一瞬早かった。友美の手は俺の手の上だ。
そんな惜しい攻防が何度かあったが、それでもやはり俺が勝った。
「父さん……」
歩美が批判がましく俺を見る。
俺自身、心は痛むのだ娘よ。
だが、よく見ておけ。
甘やかすばかりが大人ではない。
「友美」
「もういっかい……」
「わかった」
「友美、がんばって」
すっかり友美の味方になった歩美が絵札をかき回す。こやつも、この四回の間に友美が反応しやすい札を見極めたのだろう。密かに友美の目に付きやすい場所へそれらを集めている。
まあ、そのくらい良しとしよう。友美自身は気付いておらんようだしな。
友美は何度も目をこすりながらしゃくり上げた。俺はもう一度声をかける。
「友美、しゃんとしろ」
「だって……」
「これが最後の一回だぞ。負けてもいいのか?」
「……やだ」
「ならばちゃんと前を向け。札を良く見て、俺より早く取ってみせろ」
「そうよ友美。おじちゃんなんてこてんぱんにしてやりなさい」
これまで黙っていた美樹がここぞとばかりに声援を送る。
「友美、父さんも見ているよ」
「友美ちゃん、正道と柔も『頑張ってお姉ちゃん』だって」
「おねえちゃん、がんば!」
家族に応援され、友美はもう一度気力を振り絞る。顔を上げ、決然とした眼差しを絵札に注ぐ。
やれそうだな。俺が頷くと歩美も心配そうな顔で頷き返した。
「それじゃあ最後の勝負、始め! 青い目で じっと見つめる 凶悪の魔女」
「はいっ!!」
歩美の仕込みの成果か、この五回勝負で初めて友美が先制した。
「にじゅう、にじゅういち、にじゅうに」
「二十三、二十……四」
全ての札を数え終わって、俺達は嘆息する。
「惜しい……」
「あとちょっとだったね……」
これまでにない接戦ではあったが、それでもなお俺が勝ってしまった。見る間に友美の目に涙が溜まっていく。
「ほら友美」
友也に正道を渡し、腕を広げる美樹。友美は迷わずその中に飛び込んで行った。そして声を殺して泣く。
「もうちょっと上手にやりなよっ」
歩美が俺の足を蹴った。親に向かって……まあ、気持ちはわかる。今回は許そう。
「こら歩美ッ」
「いいのだ、麻由美」
俺は立ち上がり、怒っている娘の頭を撫でた。
「お前にも辛い想いをさせたな。読み役、良く頑張った」
「どうすんのさ」
「任せろ」
俺は美樹に近付き、背中を向けたままの友美へ語りかける。
「友美よ」
「お、おじぢゃ……づよい……がでない……」
「そうだな、今回は俺の勝ちだ」
あれだけ頑張って負けたのだ。努力の分だけ悔しかろう。
なのに、お前は俺を“強い”と認めてくれるのだな。大人だから“ずるい”とは思わんのか。我が姪ながら大した奴よ。
「しかしな友美、かるたには負けたが、お前も勝ったぞ」
「? どうして……」
「お前は諦めなかった。ちゃんと五回やり切ったではないか。大人を相手に真っ向勝負を挑んで戦い抜いた。お前は、俺には負けても自分に勝ったのだ」
そして手を伸ばすと、美樹は我が子を俺の腕に預けてくれた。こうして抱き上げてやるのはなんだか久しぶりに感じる。
「胸を張れ友美。お前は立派だ、強い娘だ」
「ほんとに……?」
「そうだ、だから今日の昼はお前の好きなものにしよう。昼飯を食ったらお前達は帰ってしまうしな。その前に頑張ったご褒美だ。いいか麻由美?」
「ええ、まだ支度してませんから大丈夫です」
妻に確認を取ってから、泣きべそをかく姪っ子の、その涙を手の平で拭ってやる。顔も洗わんとな。
「さあ、何が食べたい」
「じゃあ……オムライス」
「よし、わかった」
「おいしくしてね」
「ああ」
そうだ、その笑顔だ友美。
お前の笑顔には一生勝てん。
「名前かきたいっ」
「ははは、よし、全員分お前が書け」
「やった!」
姪っ子の 成長祝う オムライス
「おいしい!」
「そうか、なによりだ」
俺も、お前達と食う飯が何より美味い。
(おしまい)