おじさんvs漢
文字数 3,271文字
「
俺に対する英才教育は、一歳となり二本の足で立ち上がった頃にはすでに始まっていたようだ。よく覚えておらんが、親父は赤子用のおもちゃに重りを仕込み、少しずつその数を増やして俺の体を鍛えていたらしい。
強くなれが口癖の親父に、何故強くあらねばならんのか訊いたことがある。たしか四歳くらいの時だったはずだ。
「おやじ、なんでつよくならなくちゃなんないのだ」
ちなみにこの喋り方も男らしさを追求した親父の教育の賜物。まかり間違って“おとうさん”などと呼ぼうものなら無言で窒息寸前までくすぐられた。
親父は座敷で俺と向かい合い、その疑問に答えた。
「豪鉄よ、それはお前が男だからだ」
「だから、どうしておとこはつよくならなきゃいけない? それがしりたい」
「やれやれ」
親父は俺の無知を嘆き、遠い目でその後方を見る。何か見えるのかと振り返ってみたが壁と天井しか無かった。
「知っておくが良い。男の中の男のことを、人は
「? おとこのなかのおとこがおとこだと、けっきょくおなじじゃ……?」
「勉強せよ。漢には最低限の教養も必要だ」
「きょうよう?」
「まあ、そちらは今は良い。知識はいずれ学校に入れば学べる。だが、男が強くあらねばならん理由。漢となるべき理由は、お前自身で見つけねばならん」
そうなのか。素直な昔の俺は自分で答えを探すことにした。
とりあえず、もう一人の身近な人間に訊ねてみる。
「おふくろ、おとこがつよくあらねばならんりゆうがしりたい」
「オー、ニホンゴムズカシー、ワカリマセーン」
「……おふくろは、あきたけんしゅっしんのはず」
「覚えていたのね、我が子ながら良い記憶力だわ」
お袋は生まれつき茶色い髪で白い肌、加えて日本人らしからぬ顔立ちなため答えにくい質問をされると外国人のフリで逃れようとする。息子に通じるはずがあるまい。
「いい? 豪鉄、今から大切なことを教えるわ」
「わかった」
頷いた俺に、屈み込んで目線を合わせたお袋は真剣な眼差しで語る。
「お父さんの話は全部、話半分で聞いときなさい」
「わかった」
本当はよくわからんかったが、話の半分だけ理解出来ればいいということだろう。俺はそう解釈した。
それからしばらく経って六歳の時、ついに俺は“漢”のなんたるかを知った。
「ほら豪鉄、あんたの妹だよ」
「……」
病院のベッドの上、母の手に抱かれた妹に対し、促されるまま手を伸ばしつつ内心では怖がっていた。
なんと小さな生き物だ。しかも弱々しい。女など母以外とは全く付き合いが無い。本当に上手くやっていけるのか? それに、こやつに父母の愛情を根こそぎ持っていかれるのではないか、などとな。
ところが指先が触れた途端、そんな考えは吹き飛んだ。
「っ!?」
よくわからん衝撃が幼い俺の脳を揺さぶる。
さらに妹の手が動き、俺のその手に触れた。
そして生まれて初めて雷鳴の俺が全身を駆け抜けた。
瞬間、悟ったのである。
「おやじよ」
「なんだ?」
「りかいしたぞ、おれは、こやつのためにつよくあらねばならん」
「そうか、答えを得たか」
親父は馬鹿でかい手で俺の頭を撫でた。
「ならば強くなれい!」
「おう!」
「あんた達、病院の中だよ静かにっ」
「ばぶ」
美樹は俺達の咆哮を聞いても平然としていた。思えば赤子の頃からあやつはすでに大器であった。
強くなる意味を知った俺は、それから自主的かつ積極的に“漢”を目指し修行を始めた。体を鍛え、道場に通い、親父の
そして一年後──
「美樹よ、ミルクが出来たぞ。正しく人肌の温度のはずだ、安心するが良い」
「豪鉄、あんた語彙が豊かになったね」
「親父のマンガで覚えた」
「それに、なんだか顔付きも変わったね」
「漢らしくあらねばと考えていたら、自然とこうなった」
「腕っぷしも強くなったかい?」
「空手は性に合わんが柔道は面白い。まだまだ修行中の身ではあるが、少しずつ成長しているだろう」
「気が優しいのは相変わらずか」
「……やはり、強くなるには非情にならねばならんのだろうか?」
俺は体が大きく力も強い。そのくせ試合では勝てん。道場の先生にも親父にも攻め気が無いからだと言われた。
だが、俺が本気でやったら相手に怪我をさせてしまう。それは嫌だ。
肩を落としてしょぼくれる俺の姿を見て、お袋は美樹にミルクをやりつつ笑う。
「そのまんまでいいよ。あんたは、優しくて強い人になりな」
「優しくても強くはなれるのか?」
「さあね。でも、なれないって誰かが決めたわけじゃないだろ。だったらあんたがなってやればいい」
「ふむ、しんきかいたく、というやつだな」
「それもマンガで覚えたのかい?」
「ニュースで聞いた」
なるほど、己が手足で新たな道を切り開くのか。たしかにその方が誰かがすでに拓いた道を歩むより漢らしい気がする。
「わかった、お袋よ、俺は優しくて強い漢になろう。美樹とお袋を守るためにな」
「あら、あたしも?」
「無論」
親父は別にいいだろう。むしろ、どうやったら死ぬのかわからん。前に珍しいキノコを取ろうとして崖から落ちたのにぴんぴんしておった。きっと名前の通り全身が鋼で出来ている。
「アハハハ、期待してるよ」
「任せるが良い」
さらに十年後、俺と美樹は仏壇の前に並んで座っていた。
「……お兄ちゃん」
「安心しろ、保険が下りるそうだ。蓄えもそれなりにある。しばらくは生活に困らん」
不死身だと思っていた親父があっさり死んでしまった。お袋も。車に乗って高速道路を移動中、中央分離帯に乗り上げた対向車が宙を舞い、二人の車に激突した。親父はお袋を守るように覆い被さっていたらしい。最後まで親父なりの“漢”を貫いて死んだ。
葬式には大勢来てくれた。二人とも顔が広かったからな。
突っ込んで来た車に乗っていた運転手も亡くなった。アルコール等は検知されなかったそうだから、居眠りか、何かの拍子に意識を失ったのだろうと警察から聞いた。
遺族はおらん。全く身寄りの無い老人だったという。ゆえに悲惨な死亡事故ではあるが賠償金は得られん。
「美樹よ」
まだ小六の妹の肩を抱き、引き寄せる。
泣いてもいい。だが怖れるな。
「何も心配いらん。俺がなんとかする。親父に鍛えられたからな、絶対大丈夫だ」
葬儀の席で親父の友人に声をかけられた。高校を卒業したら自分の下で働かんかという誘いだ。万が一の場合にはと親父が生前から頼んでいたらしい。ああ見えて心配性だったからな。
卒業まで一年ある。さっき言ったように生活はしばらく平気だ。だが、金はもっと必要になる。
じっくり考えて返事をしよう。どんなきつい仕事でもいい。高卒でもたっぷり稼げる職につくのだ。美樹は頭が良いからな、必ず大学に入れてやる。こやつはもう一通り家事が出来るし、困ったら吉竹の両親も助けてくれると言っていた。内藤家になら安心して預けられる。持つべきものはご近所さんよ。
(だから大丈夫だ、安心してくれ親父、お袋……)
仏壇に並んだ遺影を見つめ、その瞬間、俺はまたしても理解した。
「ああ」
「どうしたの?」
「昔、親父が俺の後ろを見ていた理由がわかった」
あれは、あの時の俺ではなく未来の俺を見ていたのだ。俺が今、美樹の将来を見据えているように。
「これからは俺が美樹を守る。だから二人は、そこから俺達を見守っていてくれ」
いつものように仏壇の前に座り、遺影を拝んだ俺は体の向きを変え、再び友美と友樹の顔を見つめた。そしてその未来を。
「友美よ、友樹よ、爺さんと婆さんへの挨拶は済んだか?」
「うん」
「?」
友樹はいまいちわかっていない顔だが、まあ良い。明日から連休だ。
俺はクワッと目を見開いて二人に告げる。
「旅行に行くぞ!」
「いこう!」
「こうっ」
旅の無事 二人の前で 祈願する
「安全運転を心掛けるのだ、俺よ……だが臆してはならん。親父とお袋が見守ってくれているはず」
「父さん、緊張してるところ悪いけど、自分の荷物は自分で詰めて」