姪っ子vs散髪

文字数 3,684文字

「友美よ、顔を洗うぞ」
「うん」
 朝、飯を済ませた俺達はいつものように身支度を始める。歯を磨き、ヒゲを剃り、まず自分の顔を洗ってから次は友美を持ち上げた。
「んっ、んっ」
「どれ」
 蛇口から流れる水を手ですくい、顔を洗った友美。その顔をタオルで拭いて確認する俺。
 うむ、今日も恐るべき肌艶よ。これが若さか。
「目ヤニもついておらんな」
「いたっ」
「む、どうした?」
 突然瞼を閉じて俯いた姪っ子の顔を覗き込む。理由はすぐにわかった。
「髪が目に入ったのか」
「いたい」
「こするなこするな、ほれ、取れたぞ」
 目に入った髪を指でのけてやった。まだ違和感があるのだろう。しきりに目を擦ろうとするので再び持ち上げ、水で洗ってやる。
「大丈夫か?」
「だいじょうぶになってきた」
「ならばよし」
 しかし、おかげで気が付けたが、こやつだいぶ髪が伸びたな。スマホを取り出してここへ来たばかりの頃の写真と見比べたら、やはり前髪が数センチほど伸びている。
 おなごだから後ろ髪は多少伸びても構わんかもしれんが、前髪が目にかかっておるのはいかん。今のようなことがまた起きてしまう。
「友美よ、髪を切るか?」
「いいよ」
「切ってもいいということか?」
「うん」
 よし、同意は得た。だが、どうしたものか。

『お兄ちゃんのばかっ!!

 昔、妹が小学生だった時の苦い記憶が蘇る。髪を切りたいと言うので俺がやってやると買って出たのだ。当時、まだあやつの髪はおふくろが切っていた。しかし、あの時は不在であった。
 それでまあ、まっすぐ切り揃えてやったらこれが不評で……しばらく口をきいてもらえなくなった。友美はあと六日しかおらんのに、同じ悲劇を繰り返したくはない。
(俺が切るというのは無しだ)
 となると床屋に連れて行くしかないが、いつも行く店は三歳の子供の髪も切ってくれるだろうか? 自分が子供の頃は親父にバリカンで刈られていたからわからん。
 まあ、どうせすぐそこだ。行くだけ行ってみよう。ついでに俺の髪もだな。早速電話を取り出す。
吉竹(よしたけ)、お前、三歳児の髪は切れるか?」



「おー、この子が美樹ちゃんの子か」
「うむ」
 俺は幼馴染の内藤 吉竹が経営する床屋までやってきた。近所も近所、我が家の真裏である。親の代から家族ぐるみの付き合いで、俺が就職した後は六年間美樹を預かり面倒を見てくれてもいた恩のある一家だ。
「はじめましてー、おじさんは吉竹。友美ちゃんのおじさんの友達だよー」
「はじめまして……」
 あまり人見知りしない友美だが、吉竹のことは若干怖いようで俺の後ろに隠れつつ挨拶を返す。
「あ、こわくないよー。ほら、おじさんと友達、ね?」
 そう言って俺と肩を組む吉竹。呆れながら指摘してやる。
「まず、その見た目をどうにかしろ」
「うるせえよ、お前にだけは言われたくねえ。ただでさえ強面のくせに、なんで今時和装なんだ。どこぞの食通な陶芸家か」
 そういうこやつは金髪で真っ黒に日焼けしており、綺麗に整えたアゴヒゲまでもが金色。オマケに上着はアロハシャツだ。これでサングラスまでかけていたらヤクザかチンピラにしか見えん。今でも十分それらしく見えるが。
 高校の時までは爽やかな好青年と呼ばれる見た目をしておったのだが、俺が実家を離れ二年後に一度帰省した時にはすでにこんな感じになっていた。何があったのかは頑として語ろうとしない。ただ、一緒に飲みに行った時に酔い潰れて一言だけ吐露したのは「なんでや……」の一言だった。いつから関西人になったのか。
 まあ、見た目はこんなだが腕は確かだ。俺の髪も実家に戻って以来毎回切ってもらっておるしな。
「で、ちょうど今日は暇だったから二人続けて切るのはいいんだけどさ、どっちから先にやる?」
「俺からだ」
 ここへ来るまでに状況をシミュレートしておいた俺は、そう即答した。待っている間に友美はおそらく飽きるだろう。そして、いつの間にやら外へ出てしまっているかもしれん。その結果、事故や誘拐といった悲劇に見舞われる可能性が考えられる。それだけは絶対に避けねばならん。
 だから俺の散髪が先だ。幸いにもここには子供用の絵本も置いてある。友美があれらを読んでいる間に……。
「あ」
「どした?」
「しまった、友美はまだ字を読めん」
「ああ、なるほど」
 その一言でいとも容易く俺の懸念を看破したらしい。吉竹はノートPCのようなものを持って来た。いや、あれはポータブル型のDVDプレーヤーか。
「友美ちゃん、アニメ好き?」
「……」
 まだ怯えている友美は待機用の一人がけソファに座ったまま小さく頷く。
「この中に見たいのある? どれでも見ていいよ」
「……これ」
 頭がパンで出来ている国民的ヒーローを選んだ。
「じゃあ、ささっとおじさんの髪の毛を切って来るから、その間これで観ててね。ここに置くからね」
 と、椅子の横の小さなテーブルにプレーヤーを置く吉竹。友美は食い入るように画面を覗き込む。あの様子ならすぐに飽きたりはすまい。
「なるほど、お前も色々考えているのだな」
 散髪用の椅子に腰を下ろしつつ感心する。
 吉竹は「ヘッ」と笑った。
「当たり前だろ。ちっちゃい子も相手にしなきゃいけない客商売はどこも同じさ」
 ふむ、そういえば前に入ったラーメン屋でも同じようなことをしていたな。駄菓子屋の電子マネー対応もしかり、色々と厳しい昨今、商売人達は生き残るため暗中模索しているのだろう。
(友美が大人になる頃には、もっと生きやすい世の中になっているといいが……)
 違う。大人である俺達が、そういう風にしておいてやらねばならんのだ。
 やはり職を探すか。家でだらだら寝転がって川柳ばかり詠んでいても世の中は何も変わらん。
(俺が何かをしたところで、大きな変化など起こらんだろうがな)
 それでも多少は何かを為せるはずだ。
「まーた、なんかめんどくせえこと考えてるな。お前の場合はもうちょい気楽に生きろよ。美樹ちゃんのために十五年もきっつい仕事をしてきたんだからよ」
「もう十分に休んだ。そろそろ体を動かさんと腐ってしまう」
「真面目過ぎんだよ」
 馬鹿を言うな、俺は必要なことしかせん男よ。
 ただ、必要なことが存外多いだけだ。



「よし、終わった」
「うむ」
 いつも通りの仕上がりに満足した俺は椅子から降りると、まだアニメを見ている友美に声をかけた。
「友美よ、待たせたな、お前の番だぞ」
「……」
「何をしておる? 来なさい」
「アニメなら見ながらでいいよー。豪鉄、持って来てやんな」
「うむ」
 頷いてプレーヤーを持ち上げると、友美はたちまち不安そうな顔に。むうっ……もしやこやつ。
 目の前に屈み込み、確認する。
「髪を切りたくないのか?」
「……こわい」
「あの男は俺の友達だ。怖がることはない」
 だが、友美は頭を振った。
「はさみ……」
「そっちか」
 まあ、たしかに赤の他人が顔の近くでハサミを使うのだから、子供にとってはそう簡単に受け入れがたいことかもしれん。
 しかし、これも試練よ。耐えてみせろ。
「俺が近くにいる。大丈夫だ」
「……うん」
 ようやく信用してくれたらしく、立ち上がる友美。そして俺の手で抱き上げられ椅子に座る。
「えらいなー友美ちゃん。ちゃんと来てくれたね」
「……」
「友美、アニメだ。見るか?」
「うん」
 ならばと目の前にプレーヤーを持って来る。
 すると友美は、そんな俺の右手を掴んだ。
「て、つかんでて」
「よかろう」
 こんな手で足りるならいくらでも掴まっているがいい。
「うらやましいねえ。うちの娘なんか、もう全然くっついて来なくなったぜ」
「こやつも、いつかはそうなるだろう」
 その時が楽しみだ。お前が俺の手を必要としなくなった時、どのように育ち、いかなる世界で生きているのだろうな。
 多少はマシになっているように、微力ながら俺も努力しておくぞ。



「さっぱりしたな」
「うん」
「怖いの我慢できた友美ちゃんにはご褒美だ」
 飴玉を三つ渡す吉竹。
「内緒だぞ? 本当は一つしかあげちゃいけない決まりなんだ」
「……」
 友美は二つ返そうとした。
「あっはっはっ、いいんだよ、ご褒美だから全部持ってきな。いや、それにしてもこの子、髪質もそうだけど、やっぱお前に似てんな豪鉄」
「そうか」
 思わず頬が緩む。そうか、俺と似ている部分もあったか。
「あ、ありがとう」
「お、どういたしまして」
 勇気を振り絞り礼を言った友美の頭を撫でる吉竹。すると、ここに来てからずっと緊張しっぱなしだった顔にもようやく笑みが浮かんだ。

 ──短い帰り道、友美の手を引きながら空を見上げる。幸い今日も快晴のようだ。こう晴天が続くと農家は困っているかもしれん。だが、こやつが帰るまではずっとこうあって欲しいものよ。

「さて、髪もさっぱりとしたところで友美よ、今日はどこへ行く?」
「だがしや!!
「そうだな、あの婆さんにも見せてやるか。ついでに床屋での武勇伝を語ってやれ。多分褒めてくれるぞ」
「おかしくれる?」
「それには期待するな。ちゃんと買ってやるから、ねだるんじゃないぞ」

 髪軽く 足取り軽い 帰り道

「せっかくだ、明日は例の写真屋にでも行くか」
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登場人物紹介

 大塚 豪鉄。主人公で開始時点では33才。2m近い高身長で体型もがっしりしている。加えて強面なため洋服を着ているとプロレスラーかラガーマンだと思われがち。和装中心になってからはヤクザと誤解される。中身は善良な一般人。

 両親の死後、父の知り合いに紹介され有名な家電メーカー「ブラックホール」に高卒で入社。名前に相応しいブラック企業だったが、妹のためと歯を食いしばって十年以上勤務。その妹が立派に独り立ちした後も辞め時を見つけられず残留。しかし、たまたま買った宝くじで三億円当ててしまい、これぞ天の啓示と考え、ついに退職。以後は東京から実家に戻り、悠々自適の一人暮らしを続けている。しばらく働くつもりは無い。

 趣味は川柳。サラリーマン川柳に毎年応募していた。他にも漫画、ゲームなど意外と俗っぽいものが好き。和装も文豪気分になれるから始めただけ。何か新しいことを始めるたびに珍奇なハウツー本を買う悪癖もある。

 特技は家事全般。サラリーマン時代にストレス解消の一環として家事にのめり込んだ結果。

 顔は怖いが、気の優しさが滲み出ているらしく子供には好かれる。特に姪の友美を可愛がっており、友美も懐いている。そのため妹夫婦の海外出張中、一ヶ月間預かることになった。

 夏ノ日 友美。豪鉄の妹の娘。つまり姪っ子。親の教育の成果でまだ3歳とは思えないしっかり者。でも子供らしい失敗も多い。顔は母親似。まっすぐな髪質だけ父から遺伝した。両親にも伯父にも溺愛されている。父方の血の繋がらない祖父も可愛がっている。

 生まれた時から身近な存在だったため豪鉄の顔は怖くない。むしろ面白おじさんという認識。

 本を読んでくれる人とお菓子をくれる人はだいたい好き。ただしママは別格のママ大好きっ子なので母親がいない場所ではぐずることも多い。

 オムライスと絵本「悪の魔女シリーズ」も大好き。

 笹子 麻由美。中学・高校時代の豪鉄の後輩。中学生の時にいじめの現場に出くわした豪鉄に助けられて以来、彼に好意を抱いてこっそりつけ回していた。

 ギャルはいつでも強気→ギャルは勇気の塊→告白するにはギャルになるしかないという思い込みに到り、豪鉄を追って同じ高校へ入学した時、突然の高校デビューを果たす。結局告白はできなかったが妹分として可愛がられてはいた。ずっと豪鉄の後ろをついて回っていたことから当時のあだ名はヒヨコ。

 片思いのままの卒業後、大学で第二の運命の出会いを果たし、同い年の浮草 雨道と結ばれる。順調に交際を続け婚約するも、直後に雨道は未知の病にかかって急逝した。

 雨道の死後に妊娠が発覚。彼の子・歩美を産んで両親と共に実家で子育て中。一時期は清掃や内装を行う会社の事務員をしていたが、現在は市役所の臨時職員。休みを取りやすく娘のために時間を使えるので性に合っている。

 歩美の九歳の誕生日が近いある日、豪鉄と十数年ぶりの再会を果たす。普段は普通なのだが、彼が相手だと学生時代の口調に戻り、語尾に「ッス」をつけてしまいがち。

 笹子 歩美。麻由美の娘で小学三年生。年齢の割に言動がしっかりしておりクール。なおかつ父親譲りの美形なので同性にモテる。もちろん異性にも密かにモテている。とはいえ子供なので子供らしい姿を見せることも多い。

 体を動かすのが好きで、動きやすさを優先し、もっぱらジーンズを着用。なので男子に間違われることも少なくない。

 成績は中の上。地頭が良いので努力するとすぐに上がる。これも天才だった父からの遺伝。父方はそういう一族。

 誕生前に父が病死しているので母と祖父母に育てられた。しっかり者に見えて身内には甘える。

 数多く友人がいて、特に小一からの付き合いの沙織、木村は親友。でも木村少年は最近少しよそよそしい。

 見かけの圧が強烈な豪鉄に対しても臆面無く接する大きな度量の持ち主。しかし友美の可愛らしさにはすっかり骨抜きにされた。それがキッカケで教育者になりたいという夢も抱くようになる。

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