おじさんvs絵本
文字数 3,523文字
ちなみに保育園や託児所に預けるという選択肢は無い。同世代の子供達もいるしその方が良いかもしれんと、俺自身が通っていた保育園に訊ねてみた。しかし一時的な通園でも面倒な手続きが必要だとわかった上、一ヶ月しかいないのに半月後からでないと駄目だと言われた。さらに言うと遠足などのイベントにも参加させてもらえないらしい。それではかえって寂しかろう。
そんなわけで最後まで自分で面倒を見ようと決めた。どうせ今は働いてなくて暇な身だ。
だが、よく考えるとまだ本人の意見を聞いておらん。ちょうど見えて来たところなので問うてみる。
「友美よ、保育園に行きたいか?」
「なんで?」
「毎日俺と家にいても暇ではないか?」
「おじちゃんおもしろいよ」
ほう、なかなか嬉しいことを言ってくれる。面白いという評価には日本男児として若干引っかかりを覚えるが、まあお前が楽しめているなら何よりだ。
「愛いやつめ」
「へんなかお」
いかん、顔がニヤけていた。男はいつでも気を引き締めておかねば。ましてや独身男が幼子連れでニヤけていたら誰かに通報されかねん。友人と会話して笑っていただけで通りすがりの女子が悲鳴を上げ腰を抜かしたこともあるしな、俺の顔は。
本屋に着くなり目当ての本を探す。あったあった、これだ。
“死後硬直でもほぐれる本格ストレッチ”
宝くじを当てる前、ブラック企業に勤めていた頃には毎日世話になったものだ。しかし、宝くじを当てた途端に俺は恩知らずにも「もうこんな本いらねーや! ヒャッホゥ!!」と古紙回収に出してしまった。
すまなかったな相棒。俺はもう二度とお前を手放さん。なにせまだ三週間友美の遊びに付き合わねばならんのだ。
「おじちゃん、えほん」
「わかっている、次はそっちを探しに行くぞ」
俺の家にはこういう類の本と古い漫画しかない。妹が置いて行った数冊の絵本もすでに飽きるほど繰り返し読み聞かせてしまった。というわけで俺の心の健康のためにも新しいものを買い求めに来たわけだ。これで心も体も癒される。
が、友美の選んだ本を見て目を疑う。
“ごくあくのまじょ”
「……それでいいのか?」
「うん」
表紙を見るに幼い魔女が主人公のようだが、なんだこのタイトルは? ふむ、極悪非道な魔女が隕石にぶつかって素朴な人間ばかりの田舎の村に墜落。助けてくれた優しい若者に恋をすると……恋? 恋だと?
(友美よ、三歳にしてすでに恋愛に興味を……)
買ってやっていいものか案ずる。この本をきっかけに誰かに恋をした友美は、そやつと結婚して幸せな家庭を──
「くうっ……」
「お、お客様、どうかされましたか……?」
「なんでもない。少し先のことを想像して涙腺が緩んだだけだ。たった今、気が早すぎると気付いた。だから通報はやめてくれ」
「いえ、別に通報はしませんが」
良く出来た店員だな。よし、あと五冊くらい買って行くとしよう。
「友美よ、まだ買ってもいいぞ。一冊ではすぐに飽きてしまうだろう」
「じゃあ、これと、これと、これと」
「……」
きょうあくのまじょ、じゃあくのまじょ、いじわるのまじょ、かんぜんちょうあくのまじょ、このよすべてのあくのまじょ。
「店の人、このシリーズはあと何冊あるのだ?」
「全一〇八巻です」
「ワ〇ピースより多いじゃないか」
どうなっておる絵本業界。他にネタは無いのか?
いや、それより問題はこやつの嗜好よ。
「友美は魔女が好きなのか?」
「おかあさんみたい」
「なるほど」
納得したので六冊購入してやった。
本屋を出て、また手を繋いで歩く。そして駄菓子屋へと向かう最中、友美は俺の心胆を寒からしめていた。
(こやつ……まったく弱音を吐かぬ)
疲れておらんのか? いや、そんなはずなかろう。もうずっと立ちっぱなしの歩き通し。三歳児ならば普通、疲れただの歩きたくないだのと言ってだっこをねだる頃合いよ。にもかかわらず、全く歩くペースが落ちん。末恐ろしい娘だ。
(フフ……いずれは俺をも超える大器か)
将来が今から楽しみでならん。末はボルトか高橋か。
が、それはそれとして心配にもなる。
「友美よ、疲れてはおらんか?」
「だいじょーぶ」
「だっこしてやってもいいのだぞ?」
「あるくっ!!」
「……」
立派だ、立派だが……少し寂しい。
(いつか自立して家を出て行く時にも、このような気持ちになるのだろうな……)
まあ、そもそも俺の家を出て行くのは三週間後だが。
しばし歩くと、いつもの駄菓子屋が見えて来た。
「ん?」
珍しく先客がいる。いつもこの時間帯は俺達しか客がいなかったのだが。
若い母親と小学校低学年くらいの娘。
知り合いではないが同じ店の利用者だ、挨拶くらいしておこう。
「こんにちは」
「あ、こんにち──ぎゃあっ!?」
母親は娘を抱え猛ダッシュで走り去った。
「……」
「いっちゃった」
俺の顔は、そこまで怖いのか?
家に帰ったら早速絵本を読んで欲しいとせがまれた。座布団の上であぐらをかき、足の上に友美を座らせてやる。最初、こんなおっさんの声でせっかくの童話が楽しめるのかと危ぶんだのだが、こやつは全く気にしないらしい。正直助かる。
「……というわけで、極悪の魔女ミュゲットは料理人ペスカと結ばれ、二人で宿屋を開き、小さな村で末永く幸せに暮らしたのでした。めでたしめでたし」
ふむ、読んでみたら普通に子供向けな上、存外良い話だったわ。良かったなミュゲット。色々あってやさぐれていたが気骨と思いやりのある男に巡り合えた。村の住民達に正体がバレた時はどうなるかとひやひやしたが、最終的には受け入れてもらえたしな。
「面白かったか?」
「おもしろかった」
なによりだ、買って来た甲斐がある。
「つぎのも」
「よかろう」
元よりこちらも一冊で終わるとは思っていない。これまでそれで終わったためしが無いものな。
「次は“じゃあくのまじょ”か。これもタイトルだけ見ると不安になる……」
「たいとる?」
「本の名前のことだ。お前は友美、俺は
「おかーさんにも?」
「知らなんだか。そうだ、お前の母は美樹という名よ」
「みき……かわいいなまえだね」
「美樹の美は、お前の“み”と同じ。つまり、お前はいつも母と一緒にいるのだ」
我ながら上手いことを言ったと思ったが、友美にはスルーされた。
「じゃあ、ともは?」
「お前の父から取った字だ。あやつは友也と言う、一応覚えてやれ」
「うん」
「一応でいいぞ、一応で」
嫌いではない。嫌いではないがあの男、男のくせにナヨッとしていてたまに無性に腹が立つ。良い奴だとはわかっているのだがな……俺の妹が嫁になったことを感謝するがいい。あやつならたとえ貴様が無類の軟弱者だろうと力づくで地球の裏までも引っ張っていってくれるだろう。引きずるの間違いかもしれんが。
「ところで、俺の名前は覚えたか?」
「ごんてつ」
惜しい。
「ごーてつだ、ごーてつ」
「ごってつ?」
「ごーてつ」
「ごっです」
「それでは女になってしまう。まあいい、いっぺんに教えて悪かった。今まで通り“おじちゃん”と呼ぶがいい」
「わかった」
「さて、それでは……」
俺は二冊目の絵本を読み始めた。これもなかなか予想に反して面白い。
「その時、リンランはタオに言ったのだ。勇気を出すのは素晴らしいことだけれど、私は貴方に勇ましくなるより、その優しい心をいつまでも忘れないで欲しいわと……ん?」
なんだかじわっと友美の体温が上がって来たなと思ったら、やはり眠ってしまっていた。子供が眠る時に体が熱くなるこの現象はなんと言うのだろう?
ともあれ、今日は珍しく二冊目で昼寝してくれた。やはり歩いて疲れていたのだろうな。いつものように昼寝専用布団に寝かせてやる。
(今日も苦労するだろうと思っていたが、どうやら俺の作戦勝ちか)
別に昼寝させるため歩かせたわけではないのだが、そういうことにしておく。たまには勝ちを拾っておきたい。
それから年甲斐も無く絵本の続きが気になってしまい、ラストまで読破してみた。またしても主人公と少年が結ばれて終わりである。まさかシリーズ全部結婚エンドではあるまいな?
「……ふぐっ!?」
おかげで、また友美の結婚式を想像してしまう。この調子では六冊全て読み終えるまで、いや、こやつが帰るまでに何度読み聞かせで目から汗を流すかわからん。
将来は 良妻賢母か 鬼嫁か
「字余り……さて、三冊目も読んでみるか」
すまんな姪よ。今夜の読み聞かせの練習だと思って許してくれ。
残り一〇二冊はネットで注文しよう。