おじさんと姪っ子
文字数 3,980文字
しかし腹の上に友美はおらん。昨夜は別の部屋で一ヶ月ぶりに両親と共に眠ったからな。
「この寂しさにも、また慣れねばならんか」
当面は一人暮らしが続く。
あやつは今日こそ帰るのだから。
青狸のテントを設置した空き部屋を覗き込み、美樹は絶句した。ところ狭しと積まれた大量の絵本を見つけてしまったのだ。
「えーと、兄さん……これは……」
「友美の好きな絵本、悪の魔女シリーズだ」
「何冊あるの?」
「一〇八冊」
「こんなにうちの軽には積めないわよ!? 家にも置くとこ無いんだけどっ」
「案ずるな」
この部屋は書庫に改装する予定だ。本はここに置いて行けば良い。また来た時いつでも読めるようにしておく。
「ああ、なるほど。それならうちに置けなくなった本は、これからここに郵送するわ」
「構わん」
その方がラインナップが充実して行くし、こやつらの家も片付こうというものだ。
「ちなみに、これって全部でいくらしたの?」
「……」
「待って? 一冊一二〇〇円なんだけど、兄さん昨日、余ったとか言って私が置いてった十万円、ほとんど返して来たわよね!?」
「俺も読みたかったのだ。ならば俺が支払うのは……」
「いいから! あのお釣り、全部置いてくから! まったくもう!!」
「しかし、あんな大金は易々と受け取れん」
「宝くじの一等当てた人が何言ってんのよ。いいの、どうせあれもたまたま遊びに行った競馬場で友美が指差した馬に賭けたら当たったんだし」
「そうだったのか」
なんというか、うむ、相変わらずうちの一族はクジ運が強い。実はこの家も親父が競艇で一発当てて建てた。一万円が一千万になったそうだ。美樹も大学時代、縄文遺跡の発掘作業に参加したら温泉を掘り当てたしな。半年で枯れたが。
「つまりはあぶく銭と……そういうことなら受け取ろう」
そして書庫を作るための改築費用に充てよう。
「兄さん、またなんか考えてるでしょ?」
「常に何かを考えておる」
主に、お前や友美のことだが。
「おじちゃん、ひま」
「む?」
俺と友也で荷物を車に積み込んでいると、友美が俺の袖を引いて来た。
「さっきまで青狸を見ておったではないか」
「おわっちゃった」
馬鹿な、まだ再生を始めてから三十分と経っておらん。あと三話入っているはずだぞ。
そんな俺達を見て友也が言う。
「お義兄さん、友美を散歩に連れてってあげてください。準備は僕が進めておくので」
「そうよ、いってらっしゃい」
美樹まで家から出て来た。
「ふむ……」
なるほど、そういうことか。こやつら気を遣いおったな。
よかろう、たまには素直に甘えさせてもらう。
「そうだな、行こう」
「うん」
俺と友美は手を繋ぎ、歩き出した。
「おじちゃん、だっこ」
「早いな」
まだ散歩に出て五分程度。いつもならこんなに早く音を上げる娘ではない。
しかし俺は抱き上げてやった。首に強く抱き着かれ、少し苦しい。
「おじちゃんもくる?」
「お前の家にか?」
「うん」
「残念だが、それは出来ん」
ますます力が強くなった。しかしまあ、心地よい締め付けよ。
「あの家はな、俺とお前の母が生まれ育った家だ。俺はそれを守らねばならん」
父と母、そして美樹と暮らした思い出をそう簡単には手放せん。だいいち、今の美樹は友也の家に嫁いだ身。そこに俺が同居するのは流石におかしかろう。
「それに今は、お前との思い出も詰まっておる」
いよいよもってあの家を手放すことは出来なくなった。それだけは絶対にしない。
背中を軽く叩いてやりながら言う。
「また遊びに来い」
「おじちゃんがきて」
「もちろんだ」
流石は俺の姪っ子よ、同じことを考えておったか。
俺達は線路に行き当たる。俺が線路だぞと言うと、友美は振り返ってそちらを見た。
ちょうど電車が通りかかる。気のせいか、俺達に似たでかい男と小さな娘が乗っていた気がする。
そう、何も俺が待ち続けることは無い。こっちから遊びに行ってもいいはずだ。
「友美よ、この線路と同じだ。俺とお前の間にはすでに一本の道が通っておる。どれだけ離れようと、それが切れることはない」
「そこをはしってくるの?」
「そうだ。だが、しばし待っていてくれ」
「どうして?」
「どうせなら、麻由美と歩美も連れて行く」
「あゆゆ、きてくれる?」
「連れて行く」
断言してはいかんのだろうが、しておいた。こうやって自分を追い込めばもはや後には引けん。男には覚悟を決める時が必要なのだ。まさか決戦を前にして姪っ子の前でそれを誓うとは思わんかったが。
「三人でお前に会いに行くぞ、友美」
「じゃあまってる」
うむ、待っておれ。
鼻をグズグズ鳴らす友美を抱えたまま家まで戻った。そこには麻由美と歩美も来ていた。美樹が連絡したらしい。
助手席に設置されたチャイルドシートに友美を乗せる。俺の姪を頼む、しっかり守ってやってくれ。
「忘れ物は無いか?」
「無いと思うけど、あったら郵送して」
「お義兄さん、本当にお世話になりました」
「気にするな、家族の世話を焼くのは当然の事よ」
「ともみちゃん、またね」
「あゆゆ、うちにきてね」
「え? あっ、うん、きっと行くよ」
「美樹ちゃん、友美ちゃん、友也さん、お元気で」
「麻由美ちゃん、兄さんをよろしく」
「へっ?」
「じゃあね兄さん。ほら友美、おじちゃんに挨拶して」
「ばいばい」
「またな」
差し出された左手を握る。小さな手だ。こうしていないと不安になるが……もう大丈夫だろう。本当にお前のおかげで楽しかったぞ。
美樹達を乗せた車は走り去って行く。友美は窓から少しだけ手を出し、長く振り続けていた。
「行っちゃった……」
「寂しくなるッスね」
「ああ、だが、ずっとそうではあるまいよ」
いつかはまた会える。そして、その時のために俺は約束を果たせるよう最大限の努力をしておこう。
まずは、ここからだ。
「よく来てくれたな、お前達。せっかくだ、茶でも飲んで行くが良い。なんなら昼飯にも付き合え」
「あ、チャーハン作ってよおじさん」
「いやいや、ここはアタシが」
「そう急くな。落ち着いて、ゆっくり大事な話をしよう」
俺は麻由美の手を取り、歩美の背中を押して我が家の玄関に向かう。
友美よ応援してくれ。俺は、この一戦にだけは負けたくない。
お前の為に自分の為に、おじさんは勝つからな。
──そして、
「友美よ」
俺はまた、いつもの座敷で姪と向かい合っている。
「はいっ」
友美はしゃんと背筋を伸ばし俺の目を見つめた。ふふ、この凛とした佇まい。まさしく大和撫子よな。
「今日からお前も高校生だ。今までの義務教育とは違う。自らの意志で選び進んだ学びの道。三年間、親元を離れて暮らすことになったが、決して挫けるなよ」
「大丈夫、すっごく楽しみ! だいいち、おじちゃんも麻由美おばちゃんも、正道と柔もいるんだから平気だってば」
「もう少し早ければ歩美もいたのだがな」
「しょっちゅう遊びに来てるじゃない。これからは私もいるんだし、寂しがらないで」
「そのような理由ではない」
歩美が残念がっていたのだ。出来れば自分も近くで友美の高校生活を見守りたかったと。あやつは今、ここから車で二時間かかる小学校で教師をしておる。流石に実家からの通勤は辛いので部屋を借りて一人暮らし中だ。
「あなた、友美ちゃんはもう行かないと」
「おっと、そんな時間か」
俺は立ち上がり、同じく立ち上がった友美を見下ろす。あの頃に比べれば随分と目線が近くなったが、しかし、それでもやはりまだまだ。
「友美よ、未だお前は成長途上。真の大和撫子への道は険しいぞ」
「おじちゃんこそ一人目が巣立ったからって安心してたら駄目だよ。正道と柔はまだ八歳なんだからね」
「わかっておる」
「もしかしたら四年後には友樹も来るかもしれないし」
「そうだな」
友美の弟の友樹ならたしかに有り得る。あやつは姉の背中ばかり追いかけておるからな。昔の麻由美のように。
「友美ちゃん、後でね」
「ありがとう。待ってるねおじちゃん、おばちゃん」
俺達に見送られ玄関から出て行く友美。俺と麻由美の子、正道と柔も連れて行った。
というか、心配したあやつらがついて行ったのか?
「一緒なのは途中までだからね、姉ちゃん」
「ちゃんと一人で高校まで行ってよ」
「大丈夫です。もう迷子になんてなりません。高校生なんだから」
声が遠ざかって行くのを聞いて、俺と麻由美は顔を見合わす。
「それじゃあ私達も支度しましょっか、センパイ」
「お前、いつまで俺をそう呼ぶつもりだ」
「いいじゃないスか二人きりの時くらい。こう呼ぶと若返った気分になるんスよ」
「やれやれ」
十年以上連れ添っても、人目が無いとすぐこれだ。
まあ、そこも可愛いのだが。
「楽しみだな」
「ええ」
今日は友美の入学式。入った学校はなんと俺達の母校。あやつ、どうしても俺や美樹と同じ学校に行きたいと言って三年間うちから通うことにしおった。
まったく休む暇がない。一人が成長したと思えば、また次の世代がやって来る。そしていつかはあやつらの子まで俺の人生に関わって来るのだろう。まあ順当にいけば、まずは歩美の子だ。
(孫か……)
いったい、いつになったら勝てるのかわからん。あの一勝から後は負け続きだ。
とはいえ一番肝心なところでは勝てた。それで満足するとしよう。
「伯父としては黒星続きだが、お前には勝ったぞ」
「なんの話ッスか?」
「さてな」
実際のところ、これは俺の負け惜しみなのかもしれん。
なにせ結局、俺の方から頭を下げたものな。
とはいえ負けるのも悪くない。
姪の手に 教えられたは 負けの華
「結果として皆が幸せなら、それで良い。さあ、入学式を見に行こう」
「はい、センパイ」
だから夫婦でそれはやめろと言うのに。
やれやれ。
(おしまい?)