大塚家vs連休(2)

文字数 4,808文字

 散歩から戻っても友美と友樹はまだ寝ていた。もうすぐ昼になる。可哀想だがそろそろ起こさねば。
「友美、友樹」
「待って父さん」
 と、手を伸ばしかけた俺を歩美が止める。
「ちょっと試してみたい」
「なに?」
「眠っているお姫様を起こすと言えば、やっぱり定番はこれだよ」
 言うが早いか歩美は友美の頬に軽く口付けた。
「そんなことで起きるわけがあるまい」
「……ふあ?」
「起きたよ」
「馬鹿な……」
 友美め、いともたやすく目覚めおった。本当にキスにそんな効果が……?
「友樹には父さんがする?」
「冗談はやめよ」
 たしかに可愛らしいが、そのようなこと漢には出来ぬ。友樹も嫌がるだろう。
「じゃあ私が」
「あっ」
 歩美より先に麻由美が友樹の頬へキスした。というか、しまくった。
「友樹くーん、ちゅっちゅっちゅ」
「ううう~」
「やった、起きた起きた。私のでも効果ある」
「そりゃ、あれだけ雨あられと爆撃したら目覚めるよ」
 先を越された歩美は不満そうだった。



「おさな! おさな!」
「おーさーかーな。ともき、おさかなだよ」
 巨大な水槽とその中で泳ぐ無数の魚達を見た友樹は珍しく興奮した。
 一方、友美は冷静に弟の間違いを指摘する。こやつ、どんどん美樹に似てきたな。
 ところが、そんな友美も大興奮する場所があった。
「おっきい! おじちゃん、あのおさかな、すごくおっきいよ!」
「うむ、大きいな。だが友美、声はもう少し小さく」
 悠々とジンベイザメが泳いでいる。あまりの雄姿に、麻由美と歩美も口を開けて水槽を見上げた。
「でっかあ……」
「すげー……父さんよりでかい生き物、初めて見た」
「いや、動物園の象なりキリンなり、今までにもいただろう」
 何を言っとるのだうちの娘は。



「わあ、ここは幻想的ッスね」
 麻由美と二人で入ったクラゲの展示コーナー。あえて照明を廃した真っ暗な空間は通路以外全て水槽になっていた。そこに浮かぶクラゲ達がぼんやり青く輝いておる。
 ちなみに友樹が暗いのを怖がったため、子供達はひとまず歩美に預け待機してもらっておる。しばし堪能したら引き返し、俺達が友樹を預かって入れ替わりで友美と歩美を入らせるつもりだ。
「このクラゲ達もキレイだけど、淡い光に照らされたセンパイもステキッス……」
「お前も綺麗だぞ」
「センパイ……」
「麻由美……」
「見て桃春、人目を憚らぬカップルがいるわ……」
「すごいね。ところで鈴、できればその……」
「置いてくわよ」
「ごめん」
 ……先客がいた。暗くて気が付かなかった。
 ごほん、咳払いして妻の手を握る。
「邪魔をしてしまったのだろうか……謝りたいところだが、取り込み中かもしれん。一旦戻ろう」
「そ、そッスね」



 一時間ほど見て回った後、館内のレストランに入った。もう一三時を過ぎている。
「おなかすいた」
「遅くなってしまったな」
 だが、そのおかげか空いている。待つことなく案内され、友美の手を引いて移動する俺。店の人は友美と友樹用の椅子も持って来てくれた。
「こちらどうぞ」
「かたじけない」
 感謝しつつ友美を抱き上げて座らせ、友樹も麻由美の手で着席したのを確かめ、俺自身席に着いた。せっかちな歩美はすでにメニューを開いている。
「どれにしようかな~。友樹は何が食べたい?」
「さて……」
 俺もメニューを開く。ほう、色々あるな。こういう場所だけあり、どれもなかなか良い値段がするが、まあ仕方ない。たまのことだし出費は考えんことにしよう。
「友美よ、食べたいものはあるか?」
「オムライスがいい」
「オムライスか……あるにはあるが単品は大人用の大きなやつしかないようだな。お子様ランチはどうだ? オムライスにハンバーグとパスタ、プリンもつくぞ」
「じゃあそれがいい」
 よし、まず一人決まった。
「歩美、決めた?」
「う~ん、私はこの海鮮丼かな。でもあさりとカニのパスタってやつも捨て難い」
「いっそ両方頼んでしまえ」
「あのね、女子だよ? そんなに食べられないって」
 いや、いつものお前なら余裕だ。外に出たからといって格好付けるな成長期。
「じゃあ、ママがこっちのパスタを頼むから二人でシェアしましょうか」
「あ、そうだね。友樹にも分けてあげよう」
「そうね」
 たしかに友樹は何を頼んでもまだ食い切れん。俺達で少しずつ分けてやるのが正解か。
 となると、この二人の頼んだものが気に入らなかった時のため、俺も趣きの異なる品を頼んでおく方がいいだろう。
 こやつらは丼物に麺か……よし、ならば俺はこれだ。
「海鮮ピザにする」
「ぷっ」
「なんだ?」
「父さんがピザって、なんかミスマッチで」
「今は洋装だぞ、おかしなことはあるまい」
「だって普段を知ってるからさあ」
 ええい、お前には分けてやらんからな娘よ。



「……」
 黙々とピザの耳を齧る友樹。お気に召したようだ。しかし、どうせなら具の乗っている部分を食べればいいものを、自らそこだけ千切り取りおった。
「友樹、このエビも食べな」
「うん」
 こくりと頷き、歩美が小皿に取り分けてくれたエビにフォークを突き刺す友樹。小ぶりとはいえ一尾丸ごと口に突っ込む。こやつ大人しい性格なので少食かと思いきや、食欲は旺盛なのだ。考えてみるとミニ丼くらいなら一人前平らげられたかもしれん。
「美樹ちゃんもこうでした?」
「いや、あいつは昔から少食だ。友也に似たのだろう」
 奴め、うちに来ると遠慮しているが美樹の話では痩せの大食いらしいからな。
「友美、おいしい?」
「おいしいっ」
 友美は自分のお子様ランチを攻略中。だいぶ食べるのが上手くなったものだ。もうポロポロこぼすことはない。
「歩美の丼はどうだ、美味いか?」
「うん、流石に新鮮だね。ここで飼育してる魚なのかな?」
「それは無いだろう」
 無い……と思う。まさかな?
「こっちも美味しいわよ。歩美、半分食べたら交換ね」
「うん。父さんのピザも一枚ちょうだい」
「やはり食えるではないか」
 しかたなく俺は一切れ分けてやった。育ち盛りの娘にねだられては勝てん。
 くいっと袖を引かれる。
「どうした友樹?」
「ちょーたい」
 友樹もまた俺に向かって皿を差し出す。
 俺の食う分が無くなる……。



『はーい! 誰かイルカに触ってみたい子はいるかなー? あ、今のは別にダジャレじゃないよー』
 言わんでもいい一言を言う飼育員。大人達の間に微妙に気まずい空気が流れたが、子供達は関係無く次々に手を挙げた。
「はいっ! はいっ!」
 友美も全力で立候補しておる。だが、残念ながら飼育員の目は別の子に留まった。
『はい、じゃあそっちの僕、こっち来てー』
「さわりたかった……」
「残念だったな」
 だが、これもまた人生よ。俺は姪の頭を撫でてやる。
 友美も友樹も、そして歩美もイルカショーそのものには満足したようだ。終わった後も目をキラキラさせて語り合う。
「すごかったねー友美。イルカさん、あんなにジャンプしてたよ」
「かっこよかった!」
「おさな!」
「うん、そうだね友樹。お魚さん飛んでたねー」
 イルカは哺乳類……などと言うのはやめておこう。無粋だ。
「あ、あそこにお土産屋さんがありますよ」
「お義父さんとお義母さん、それに吉竹と当間、職場の者達にも何か買って行くか……」
「ご近所さんにも配りたいですね」
「いや、そういうのは帰りに買った方がいいんじゃない?」
「それもそうだな」
 しかし、ここまで来て何も買わずに済ますのも惜しい。一応、中へ入ってみる。他にも大勢の客がいてごった返していた。いかんな、子供らとはぐれかねん。
「友美、友樹、俺が抱えてやろう」
 両手で二人を抱き上げる。これなら仮に歩美や麻由美とはぐれてしまってもすぐに合流できる。俺が目印だ。
 しばらく、あれがいいかこれがいいかなどと商品を眺めて回る。そのうちに友樹が上を指差した。
「あえ」
「あっ、イルカ」
 友美も興味を示す。それは大きなイルカのぬいぐるみだった。
「欲しいのか?」
「うーん」
 友美の視線を辿った俺は苦笑する。こやつ、いっちょまえに値段を見て悩んでおるわ。
「遠慮するな。さっきのショーでは触れんかったからな、買っていこう」
「いいの?」
「無論だ」
 俺が頷くと、友美は嬉しそうに首に抱き着いて来た。待て待て、首が締まる。
「麻由美、すまんがそのぬいぐるみを……麻由美?」
 両手が塞がっているので妻に頼もうとしたが姿が見当たらん。いつのまにやらはぐれていたか。歩美の姿は見つかったものの、キーホルダーなどの小物コーナーで顎に手を当て真剣に考え込んでいる。ここからでは声をかけても気付くまい。
「友美、掴めるか?」
「ううう……とおい」
 肝心のぬいぐるみはかなり高い位置に置かれていて、俺に抱き上げられている友美でも手が届かなかった。どこのどいつだあんな場所に商品を陳列したのは。
「しかたないな」
 いったん友美を下ろして俺が手を伸ばすしかあるまい。
 そう思った時、横で一人の青年がジャンプした。
「よっと」
「むっ」
「これでいい?」
 青年は友美にぬいぐるみを渡す。君が買うわけではないのか。
「ありがとう、助かった」
「ありがとう、おにいちゃん」
「いえいえ、それじゃあばいばい」
 爽やかに去っていく若者。そこでようやく思い出す。彼はクラゲのコーナーにいた青年ではないか。あの時の彼女は一緒ではないのか?
「また、謝り損ねてしまったな」
「なにかあったの?」
「うむ、少しな。せめて感謝しよう」
「うん」
 頭を下げる俺達。すると、あの少女が青年に駆け寄って行った。
「あ、いた。桃春!」
「鈴? もういいの?」
「うん。えっと、さっきのことなんだけど……」
「後にしよう。野苺達、待たせてるし」
「そうね」
「……」
 金髪碧眼の青年と薄桃色の髪にやはり青い瞳の少女。日本人には見えんが随分と流暢に日本語を喋る。最近多い日本文化好きの外国人だろうか?
 去り行く背中にもう一度頭を下げ、俺は友美達を抱き上げたまま会計に向かった。



「か、かわい~……」
 従妹を起こさないよう小声で呟きながら写真を撮る歩美。締まりの無い。顔がとろけておるぞ。
 例の宿へ向かう道中、友美はイルカのぬいぐるみを抱いたまま眠ってしまった。可愛い寝顔なのはたしかだ。長時間の運転疲れも吹き飛ぶ。
 一方、友樹はやけに元気である。見やすいように目の前に設置してやったタブレットでずっと“サムライスター”を見ながら「だっ」「あー」と声を出し、腕を振り回している。そういうところはやはり男の子だな、お前も。
「友美ちゃん、今夜眠れないかも」
「友樹は逆にぐっすり眠りそうだ」
 眠れないようなら星でも見に連れて行ってやろうか。件の宿は山の上だそうだから良く見えるだろう。
「父さん、そろそろ着く?」
「あと少しだ」

 車はようやく山道を登り始めた。
 そろそろ友美も起こさねば。

「すごいところにある宿ですね」
「食材の仕入れなど大変だろうな」
 毎日ここを上り下りすることを想像したら気が遠くなった。しかし、そういう場所にも人は住んでいる。世の中にはここより過酷な土地と、そこでの生活もあるのだろう。人間というやつは驚くほど逞しい。

 ほどなくして到着した。客用の駐車スペースに停車して必要な荷物だけ手に取る。

「着替えにタオルに……よし、必要な物は揃ってるな」
「ですね。友美ちゃん、絵本は持って行く?」
「うん」
「はい、じゃあリュック背負ってね。そのぬいぐるみも持って行くの?」
「だめ?」
「ううん、落とさないように気を付けてね」
「友樹は私と手を繋ごう」
「あーゆーゆ」
「そうだよー、覚えてくれたね。お姉ちゃんはあゆゆねー」
「あーゆーゆ」
「父さん、悪いけど荷物持ってくれない? 抱きしめたい」
「後にしろ」

 先頭に立って宿の玄関をくぐる。

「失礼! 予約した大塚だが!」
「あ、はーい」
 呼びかけに応じて出て来た人物の姿に、ギョッとする俺達。
「いらっしゃいませー、おつかれさまでしたー!」
 随分若い女将さんだと、そう思った。
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登場人物紹介

 大塚 豪鉄。主人公で開始時点では33才。2m近い高身長で体型もがっしりしている。加えて強面なため洋服を着ているとプロレスラーかラガーマンだと思われがち。和装中心になってからはヤクザと誤解される。中身は善良な一般人。

 両親の死後、父の知り合いに紹介され有名な家電メーカー「ブラックホール」に高卒で入社。名前に相応しいブラック企業だったが、妹のためと歯を食いしばって十年以上勤務。その妹が立派に独り立ちした後も辞め時を見つけられず残留。しかし、たまたま買った宝くじで三億円当ててしまい、これぞ天の啓示と考え、ついに退職。以後は東京から実家に戻り、悠々自適の一人暮らしを続けている。しばらく働くつもりは無い。

 趣味は川柳。サラリーマン川柳に毎年応募していた。他にも漫画、ゲームなど意外と俗っぽいものが好き。和装も文豪気分になれるから始めただけ。何か新しいことを始めるたびに珍奇なハウツー本を買う悪癖もある。

 特技は家事全般。サラリーマン時代にストレス解消の一環として家事にのめり込んだ結果。

 顔は怖いが、気の優しさが滲み出ているらしく子供には好かれる。特に姪の友美を可愛がっており、友美も懐いている。そのため妹夫婦の海外出張中、一ヶ月間預かることになった。

 夏ノ日 友美。豪鉄の妹の娘。つまり姪っ子。親の教育の成果でまだ3歳とは思えないしっかり者。でも子供らしい失敗も多い。顔は母親似。まっすぐな髪質だけ父から遺伝した。両親にも伯父にも溺愛されている。父方の血の繋がらない祖父も可愛がっている。

 生まれた時から身近な存在だったため豪鉄の顔は怖くない。むしろ面白おじさんという認識。

 本を読んでくれる人とお菓子をくれる人はだいたい好き。ただしママは別格のママ大好きっ子なので母親がいない場所ではぐずることも多い。

 オムライスと絵本「悪の魔女シリーズ」も大好き。

 笹子 麻由美。中学・高校時代の豪鉄の後輩。中学生の時にいじめの現場に出くわした豪鉄に助けられて以来、彼に好意を抱いてこっそりつけ回していた。

 ギャルはいつでも強気→ギャルは勇気の塊→告白するにはギャルになるしかないという思い込みに到り、豪鉄を追って同じ高校へ入学した時、突然の高校デビューを果たす。結局告白はできなかったが妹分として可愛がられてはいた。ずっと豪鉄の後ろをついて回っていたことから当時のあだ名はヒヨコ。

 片思いのままの卒業後、大学で第二の運命の出会いを果たし、同い年の浮草 雨道と結ばれる。順調に交際を続け婚約するも、直後に雨道は未知の病にかかって急逝した。

 雨道の死後に妊娠が発覚。彼の子・歩美を産んで両親と共に実家で子育て中。一時期は清掃や内装を行う会社の事務員をしていたが、現在は市役所の臨時職員。休みを取りやすく娘のために時間を使えるので性に合っている。

 歩美の九歳の誕生日が近いある日、豪鉄と十数年ぶりの再会を果たす。普段は普通なのだが、彼が相手だと学生時代の口調に戻り、語尾に「ッス」をつけてしまいがち。

 笹子 歩美。麻由美の娘で小学三年生。年齢の割に言動がしっかりしておりクール。なおかつ父親譲りの美形なので同性にモテる。もちろん異性にも密かにモテている。とはいえ子供なので子供らしい姿を見せることも多い。

 体を動かすのが好きで、動きやすさを優先し、もっぱらジーンズを着用。なので男子に間違われることも少なくない。

 成績は中の上。地頭が良いので努力するとすぐに上がる。これも天才だった父からの遺伝。父方はそういう一族。

 誕生前に父が病死しているので母と祖父母に育てられた。しっかり者に見えて身内には甘える。

 数多く友人がいて、特に小一からの付き合いの沙織、木村は親友。でも木村少年は最近少しよそよそしい。

 見かけの圧が強烈な豪鉄に対しても臆面無く接する大きな度量の持ち主。しかし友美の可愛らしさにはすっかり骨抜きにされた。それがキッカケで教育者になりたいという夢も抱くようになる。

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