あやうく山奥で脱輪するところでしたっ!
文字数 3,844文字
いやな予感は数日前からしていたんですよ。
車を運転していてすこし違和感があるというか。普段しないようなへんな音がするので大丈夫かなと。
からからからからという、なんか空回りしてるような小さな音がして。ほっとけばそのうちしなくなるかな?
と思い、数日間放っておいても音はやまず、なおらなかった──
こりゃ、ぜったいなんかあるな……。
やはり点検してもらわなければダメだろうか?
とりあえず心配だから確認してみようと、山道の脇にあるパーキングを見つけて急きょ車を止めました。
へんな音がする原因の心当たりといえば……
たぶん、アレだろうなと。
そう、原因はすべて一か月前のあの時にまでさかのぼる──
「タイヤ交換したほうがいい」
実家に立ち寄ったとき、わたしの軽自動車を見るなりうちの父が言った。
「タイヤが摩耗して溝がだいぶ減ってきてる。まだ使えるタイヤなら倉庫にあるから、おれが付け替えてやる」
父はまかしておけ!とばかりに豪語した。
みょうに生き生きして、やる気がみなぎっていた。
しかし、そのときイヤな予感がわたしの胸をかすめたのも事実だ。
理由ならわかっている。自信に満ちあふれているが父はもう高齢だし、「そろそろこの人に任せて大丈夫なのかな?」という不安がよぎりつつあったからだ。
タイヤ交換はふだんは業者に頼むものの、いそがしい時などたまに父に頼むときもあり、そのときによって臨機応変だった。
業者に頼むのは安心感があるが、やはりお金がかかる。そして混んでいた場合はすぐにやってもらえず、長時間待たされることもある。
わたしが地方に住む最大の利点はなにかと聞かれて即答するのは、都会にくらべて『待たされなくてすむ!』ということである。
子供のときから地方暮らしが染みついているわたしは、待つのが苦手なのだ。
行列にならんで待つのが苦行なので、並ばなきゃいけない人気店より、空いている平凡な店をえらぶ。
スマホのおかげで待たされる時間がだいぶ緩和されるようになったものの。
やはり待つのが苦手なのは昔から変わらない。
学生時代も徒歩か自転車でなんとかすまし(バスに乗ればいいのに!と母親に非難されたが遠くても自転車で乗り切った)、免許を取ってからはほぼ車である。
寒風に吹きつけられ凍えながらも、数時間バスを待ったという話や、電車が故障だったり、天候のせいで止まってしまい、何時間も駅に足止めを食らったなどと人から聞かされるたびに、わたしは思った。
乗り物にふりまわされるのはイヤだ!
待たされるのはもっとイヤだ!
そんなのあたり前だという人はいっぱいいるだろう。それくらいがまんしろと。その点はわたしも自分がわがままだとは思う。
でも、わたしは当時台風の目のような『母親』という存在に、ただでさえ日常をふりまわされ疲弊しきっていたので、すでにがまんゲージは限界をふりきれそうだった。
母はAという選択肢がBになり、やっぱりAにするわと言ったあと、急にCという選択肢をもちだしたあげく、予想外のDにして。けっきょくは白紙にもどす──
みたいなことを平気で何度もくりかえす人なので、一緒に住んでるときはケンカが絶えず、日常が修羅場だった。
自分がいちばん大事で、そのためには娘も家族も犠牲にしてもかまわない。
気まぐれでヒステリックで横暴な女帝。
こちらが必死にがまんして受け流そうとしても、向こうからしょっちゅうケンカをふっかけてくるので争いが絶えなかったのです。
自分の言う通りにならないと爆発されるので、気が休まらないというのかな??
こういう気質の人が家族に一人でもいると大変です。わたしの友人でも暴君な父親になやまされてる人がいて、うちとあんまり変わらないなと深い同情とともにため息をつきたくなりました。
暴君な母親を前に神経をすり減らし、下僕としてこき使われるのはもうこりごりだ!!
だから乗り物だろうがなんだろうが、もう母親以外の『なにか』にふりまわされるのはごめんこうむりたかったのだ。
あ、つい白熱してしまって、ものすご~~く話が脱線しましたね。
いつものことですが──
で、話をもとにもどしますと。
待つのが苦手なわたしはお金を節約でき、かつ待たされるリスクもない。『親父』というディーラーに愛車をゆだねてしまったのです。
これが実はトラブルの引き金──
リスクまみれの選択だったことに、あとになって気づかされることになったわけです。
そういえばこの世でもっとも信頼できそうで、信頼できないのは父親だったわ……。
娘たちどころか老いた祖母まで盾にして、妻からも家族からも逃げまわっていた人なんだもの。
パーキングに車を停車して、なんとなく左から音がするよなと思っていたので、左の前輪をチェックしてみて驚愕しました。
ね、ねじがゆるんでいる──!?
タイヤを留めるためのねじが一本固定されず、ぐらぐらにゆるんでいたのです!
ゾッとしてあわてて自分で締め直してから、残りのタイヤをすべてチェックしました。いちおう締まってはいるものの不安はつきまといます。
これではいつ脱輪してもおかしくはない!
あやうく事故をまねくところだった。
父のせいで命の危険におびやかされる──
そんなことが昔あったような……。
あれはたしか小学生のころだった。
家族で登山したときのこと。
ビギナーだったにもかかわらず、あとさき考えず先頭をずかずか登ってゆく父について行ったら……
なんかいつの間にか、前後にいたはずの人たちがぱったりいなくなり、それに増して道もどんどん険しくなっていったのです。
それでもしばらく歩いて「ほんとにここ登山道なのかな?」と、子供のわたしでも危ぶみはじめたころ。
山道を反対側から下山してくる一人のおじさんを見かけました。
──ひさしぶりの人間との遭遇!
ほっとしたのもつかの間、わたしたちの姿を見かけるなり、おじさんはあわてたように声をかけてきました。
「ここ、登山道から外れてるよ!もどったほうがいいよ」
いかにも山慣れしている風貌をしたおじさんは、ベストを着こみ大きなリュックを背負っていた。
登山用のステッキをたくみに使いながら、熊避けの鈴をちりんとならして、わたしたちに警告すると立ち去って行った。
おそらく子供連れのファミリーで、装備もろくにない普段着のわたしたちを心配して、わざわざ声をかけてくれたのでしょう。
ほんとうにあの時は助かった。見ず知らずのおじさんありがとう。通りすがりの方の親切が身にしみたことは何度もある。
引き返しながら登山道にもどるまで、けっこうな距離を下った。こんなに道を外れていたのかと子供ながらにひやりとした。
その後なんとか正規の登山道をのぼり、苦労の末頂上にたどり着くことができました。無事に下山して、めでたしめでたし……とはいかなかった。
帰宅して以来、母はたいそうご立腹で──
「あんたのせいで遭難するところだった!」
ものすごい剣幕で父にそう吐き捨てて、二度と登山に加わることはなかった。
わたしはこりもせずそれから何度か父と山に登った。当時のわたしが考えなしの楽天家だったのと、危険は承知でそれでもなんか山に登りたかったからだ。
あの時の反省からか父は、装備も増やし登山靴も新調した。その後はさほど危険な目には遭わなかったと思う。忘れているだけかもしれないが──
その後、職場に狩猟免許を持つ登山愛好家の人がいて、同僚の女子も巻き込んでグループで数回山に登ったりしたが、それ以来登山はしていない。
自分のなかで卒業してしまったというか、いくら世の中がアウトドアだ登山だトレッキングだと推奨しても、さほど心を動かされなくなってしまった。
子供のときにいくらか登って満足したのと、やっぱり山はこわいのだなという自然の脅威も肌で感じることができたからだ。
背の高さくらいある鬱蒼とした藪をかきわけて歩くとか、命綱のない岩場をロープでよじ登るとか、もうできないわ。
さて、命がかかわることは、やはり父親にまかせずプロにたのむべきだった──
猛烈に反省したわたしは、急きょナビで近場のガソリンスタンドを探した。
そこは街から遠く離れた山中だったため、土地勘があまりなく店の場所がわからなかったからです。
登山はしなくなったけど自然は好きなので、ドライブしていると無意識に人里離れた山の中にいってしまう。
そんなわけでナビにガイドされるまま、山間部にぽつんと一軒建つスタンドを見つけ、救われた気持ちで店に駆けこみました。
店員に事情を説明して、さっそくタイヤをみてもらうと、案の定。
「こりゃダメだ。ぜんぜん締まってない」
ガソスタのおじさんはあきれたように言いました。
わたしの目の前で、元凶である前輪のねじをほれぼれするような剛腕で締めてくださり、
「それ以外のタイヤはどうします?有料になるけど……」
という問いかけに、わたしは全力で「おねがいします!」と即答しました。
ついでにタイヤの空気も抜けてスカスカだったので、有料でおねがいしました。
やっぱ命にはかえられない。
あやうく放置して脱輪していたら、それが原因で事故に発展したかもしれないのだ。
しかも自分のみならず、他者まで巻きこんだ事故になるケースも否定できず、そうなったら本当に笑いごとではすまされない。
なにかあってからではもうおそい。
こういうとき車を運転するということは便利な反面、人の命という責任を背負っているのだなとつくづく実感させられる。
身を引き締めるのと同時に、わたしは心の中でジャッジを下した。
もう、父親にはたのまない!と。
車を運転していてすこし違和感があるというか。普段しないようなへんな音がするので大丈夫かなと。
からからからからという、なんか空回りしてるような小さな音がして。ほっとけばそのうちしなくなるかな?
と思い、数日間放っておいても音はやまず、なおらなかった──
こりゃ、ぜったいなんかあるな……。
やはり点検してもらわなければダメだろうか?
とりあえず心配だから確認してみようと、山道の脇にあるパーキングを見つけて急きょ車を止めました。
へんな音がする原因の心当たりといえば……
たぶん、アレだろうなと。
そう、原因はすべて一か月前のあの時にまでさかのぼる──
「タイヤ交換したほうがいい」
実家に立ち寄ったとき、わたしの軽自動車を見るなりうちの父が言った。
「タイヤが摩耗して溝がだいぶ減ってきてる。まだ使えるタイヤなら倉庫にあるから、おれが付け替えてやる」
父はまかしておけ!とばかりに豪語した。
みょうに生き生きして、やる気がみなぎっていた。
しかし、そのときイヤな予感がわたしの胸をかすめたのも事実だ。
理由ならわかっている。自信に満ちあふれているが父はもう高齢だし、「そろそろこの人に任せて大丈夫なのかな?」という不安がよぎりつつあったからだ。
タイヤ交換はふだんは業者に頼むものの、いそがしい時などたまに父に頼むときもあり、そのときによって臨機応変だった。
業者に頼むのは安心感があるが、やはりお金がかかる。そして混んでいた場合はすぐにやってもらえず、長時間待たされることもある。
わたしが地方に住む最大の利点はなにかと聞かれて即答するのは、都会にくらべて『待たされなくてすむ!』ということである。
子供のときから地方暮らしが染みついているわたしは、待つのが苦手なのだ。
行列にならんで待つのが苦行なので、並ばなきゃいけない人気店より、空いている平凡な店をえらぶ。
スマホのおかげで待たされる時間がだいぶ緩和されるようになったものの。
やはり待つのが苦手なのは昔から変わらない。
学生時代も徒歩か自転車でなんとかすまし(バスに乗ればいいのに!と母親に非難されたが遠くても自転車で乗り切った)、免許を取ってからはほぼ車である。
寒風に吹きつけられ凍えながらも、数時間バスを待ったという話や、電車が故障だったり、天候のせいで止まってしまい、何時間も駅に足止めを食らったなどと人から聞かされるたびに、わたしは思った。
乗り物にふりまわされるのはイヤだ!
待たされるのはもっとイヤだ!
そんなのあたり前だという人はいっぱいいるだろう。それくらいがまんしろと。その点はわたしも自分がわがままだとは思う。
でも、わたしは当時台風の目のような『母親』という存在に、ただでさえ日常をふりまわされ疲弊しきっていたので、すでにがまんゲージは限界をふりきれそうだった。
母はAという選択肢がBになり、やっぱりAにするわと言ったあと、急にCという選択肢をもちだしたあげく、予想外のDにして。けっきょくは白紙にもどす──
みたいなことを平気で何度もくりかえす人なので、一緒に住んでるときはケンカが絶えず、日常が修羅場だった。
自分がいちばん大事で、そのためには娘も家族も犠牲にしてもかまわない。
気まぐれでヒステリックで横暴な女帝。
こちらが必死にがまんして受け流そうとしても、向こうからしょっちゅうケンカをふっかけてくるので争いが絶えなかったのです。
自分の言う通りにならないと爆発されるので、気が休まらないというのかな??
こういう気質の人が家族に一人でもいると大変です。わたしの友人でも暴君な父親になやまされてる人がいて、うちとあんまり変わらないなと深い同情とともにため息をつきたくなりました。
暴君な母親を前に神経をすり減らし、下僕としてこき使われるのはもうこりごりだ!!
だから乗り物だろうがなんだろうが、もう母親以外の『なにか』にふりまわされるのはごめんこうむりたかったのだ。
あ、つい白熱してしまって、ものすご~~く話が脱線しましたね。
いつものことですが──
で、話をもとにもどしますと。
待つのが苦手なわたしはお金を節約でき、かつ待たされるリスクもない。『親父』というディーラーに愛車をゆだねてしまったのです。
これが実はトラブルの引き金──
リスクまみれの選択だったことに、あとになって気づかされることになったわけです。
そういえばこの世でもっとも信頼できそうで、信頼できないのは父親だったわ……。
娘たちどころか老いた祖母まで盾にして、妻からも家族からも逃げまわっていた人なんだもの。
パーキングに車を停車して、なんとなく左から音がするよなと思っていたので、左の前輪をチェックしてみて驚愕しました。
ね、ねじがゆるんでいる──!?
タイヤを留めるためのねじが一本固定されず、ぐらぐらにゆるんでいたのです!
ゾッとしてあわてて自分で締め直してから、残りのタイヤをすべてチェックしました。いちおう締まってはいるものの不安はつきまといます。
これではいつ脱輪してもおかしくはない!
あやうく事故をまねくところだった。
父のせいで命の危険におびやかされる──
そんなことが昔あったような……。
あれはたしか小学生のころだった。
家族で登山したときのこと。
ビギナーだったにもかかわらず、あとさき考えず先頭をずかずか登ってゆく父について行ったら……
なんかいつの間にか、前後にいたはずの人たちがぱったりいなくなり、それに増して道もどんどん険しくなっていったのです。
それでもしばらく歩いて「ほんとにここ登山道なのかな?」と、子供のわたしでも危ぶみはじめたころ。
山道を反対側から下山してくる一人のおじさんを見かけました。
──ひさしぶりの人間との遭遇!
ほっとしたのもつかの間、わたしたちの姿を見かけるなり、おじさんはあわてたように声をかけてきました。
「ここ、登山道から外れてるよ!もどったほうがいいよ」
いかにも山慣れしている風貌をしたおじさんは、ベストを着こみ大きなリュックを背負っていた。
登山用のステッキをたくみに使いながら、熊避けの鈴をちりんとならして、わたしたちに警告すると立ち去って行った。
おそらく子供連れのファミリーで、装備もろくにない普段着のわたしたちを心配して、わざわざ声をかけてくれたのでしょう。
ほんとうにあの時は助かった。見ず知らずのおじさんありがとう。通りすがりの方の親切が身にしみたことは何度もある。
引き返しながら登山道にもどるまで、けっこうな距離を下った。こんなに道を外れていたのかと子供ながらにひやりとした。
その後なんとか正規の登山道をのぼり、苦労の末頂上にたどり着くことができました。無事に下山して、めでたしめでたし……とはいかなかった。
帰宅して以来、母はたいそうご立腹で──
「あんたのせいで遭難するところだった!」
ものすごい剣幕で父にそう吐き捨てて、二度と登山に加わることはなかった。
わたしはこりもせずそれから何度か父と山に登った。当時のわたしが考えなしの楽天家だったのと、危険は承知でそれでもなんか山に登りたかったからだ。
あの時の反省からか父は、装備も増やし登山靴も新調した。その後はさほど危険な目には遭わなかったと思う。忘れているだけかもしれないが──
その後、職場に狩猟免許を持つ登山愛好家の人がいて、同僚の女子も巻き込んでグループで数回山に登ったりしたが、それ以来登山はしていない。
自分のなかで卒業してしまったというか、いくら世の中がアウトドアだ登山だトレッキングだと推奨しても、さほど心を動かされなくなってしまった。
子供のときにいくらか登って満足したのと、やっぱり山はこわいのだなという自然の脅威も肌で感じることができたからだ。
背の高さくらいある鬱蒼とした藪をかきわけて歩くとか、命綱のない岩場をロープでよじ登るとか、もうできないわ。
さて、命がかかわることは、やはり父親にまかせずプロにたのむべきだった──
猛烈に反省したわたしは、急きょナビで近場のガソリンスタンドを探した。
そこは街から遠く離れた山中だったため、土地勘があまりなく店の場所がわからなかったからです。
登山はしなくなったけど自然は好きなので、ドライブしていると無意識に人里離れた山の中にいってしまう。
そんなわけでナビにガイドされるまま、山間部にぽつんと一軒建つスタンドを見つけ、救われた気持ちで店に駆けこみました。
店員に事情を説明して、さっそくタイヤをみてもらうと、案の定。
「こりゃダメだ。ぜんぜん締まってない」
ガソスタのおじさんはあきれたように言いました。
わたしの目の前で、元凶である前輪のねじをほれぼれするような剛腕で締めてくださり、
「それ以外のタイヤはどうします?有料になるけど……」
という問いかけに、わたしは全力で「おねがいします!」と即答しました。
ついでにタイヤの空気も抜けてスカスカだったので、有料でおねがいしました。
やっぱ命にはかえられない。
あやうく放置して脱輪していたら、それが原因で事故に発展したかもしれないのだ。
しかも自分のみならず、他者まで巻きこんだ事故になるケースも否定できず、そうなったら本当に笑いごとではすまされない。
なにかあってからではもうおそい。
こういうとき車を運転するということは便利な反面、人の命という責任を背負っているのだなとつくづく実感させられる。
身を引き締めるのと同時に、わたしは心の中でジャッジを下した。
もう、父親にはたのまない!と。