9.ショウジRe.003
文字数 2,541文字
虚空へ放り出された祥示は空中で姿勢を制御するも、間に合わず背中から地面に叩きつけられた。
といっても強い力でもなければ長い落下でもなかったので大して痛くは無かったが……
身を起こすとそこは、庭園のようだった。
背が低い、こんもりとした植物が垣根を作り、さながら迷路のよう。
所々に石で組まれた花壇には、地球では見たことのない、しかし収斂進化なのか地球のものとさほど変わらない形状の草花が色とりどりの絨毯を作っていた。
そんな花々のクッションが祥示の身体を受け止めたがゆえに、大して痛くなかったのだ。
祥示は起き上がり、自らが踏み荒らしてしまった花びらを服からはたき落とす。
しかし、踏みつけにしたはずの草は……確かに花を散らし、茎が折れ、葉が千切れたにも拘らず、速やかに復元されていった。
ここは実体世界ではない。仮想空間の背景オブジェクトに過ぎない花々は、手折られて失われることを許されてさえいなかった。
周囲を見渡す。
取り囲むようにある垣根の迷路を超えた向こうには、小高い丘の上に小洒落た四阿(あずまや)が見える。
その丘を越えるか回り込んだ先は、背の低い草で覆われた緩やかな下りの斜面が、それなりの高低差をもって続いている。
つまり、ここは小さな山の頂上付近に開かれた庭園で、あの四阿がその頂上らしい。
そして山を下りた先、遠景には白亜の街並みと青い海、そして水平線が見えた。
──誰かいる。
丘の上の四阿に、こちらを見下ろす人影があった。
「味方……って線は薄そうですよねぇ。ウアン氏と別れたばかりのこのタイミングで」
その人物は、四阿に置かれた椅子に足を組んで座り、これがもし地球ならコーヒーか紅茶かというような、おそらく飲料が入っている取っ手付きのカップを、飲むでもなく手で弄びながらこちらを見ている。
ガサッ。
ガサガサッ、ガサッ……
そして……いつの間にどこから現れたのか、あるいは初めから迷路の陰に潜んでいたのか、鍬、鎌、鉈といった道具を手に取った大勢の人々が姿を現す。
その数、10…20…50……100人以上。
誰も彼も、作業用のツナギに身を包んだ、判で押したように同じ外見の人物だった。
この庭園の庭師か。だが、仮想の庭園に庭師が必要だろうか?少なくとも仮想世界の庭園の管理に、これだけの人員が必要であるとは思えない。
「要するにこの人たち……『コピー』ってことでしょうかね。獲物以外は」
ブォン! ズガッ!
そして、鉈を持っていた一人がそれを祥示に向かって投げつけ……祥示は最低限の動きでそれを回避し、鉈は地面に突き刺さった。
「……しょうがないですねぇ……戦いは得意じゃないんですけど。『御影烏』!」
祥示の『アーミリィ』のアバターの背後に、女性型の立像のようなアバターが出現する。
その片手は鋭利な爪となっており、ラバースーツのような女忍者のような……あるいはそれらを模した機械のような服装に、腰にはヒーローのマントのようでもある長いスカートが翻り、足の太腿より下は存在しておらず、両膝の代わりに方陣が描かれた球体が接続されて宙に浮かんでいる。
……ユキ頭取も似たような姿だが、こちらはそれをいささか簡略化したような格好だった。
これは『御影烏』……ES局員に支給される量産型アバターである。
支給されるといっても使うかどうかは本人の自由で(そもそも適合しない場合もある)、例えば銀翁玉局員などは使っているところを見たことがない。
そして足先の球体の内側には『ボクセル』の人形──本来の祥示が収まっていた。
ウオオオオオオッ!
祥示が『御影烏』を発現するのとほぼ同時に、100を超える群衆たちが一斉に襲い掛かる。
その手に握られた鉈だの鎌だの原始的な武器は、もちろん実体空間であったら話にもならない拙いものだが……ここは仮想空間。
読者諸氏もオンラインゲームなどで経験があるだろう。どう見てもしょうもないお遊び武器が、ゲーム上では油断ならない性能だったりすることがあるのを。
『クレッセント返し!』
『マキ割りファンタジー!』
『地神撃!』
予想通り──こんな予想は当たって欲しくなかった──鎌はブーメランのように空を舞って持ち主の手元に戻り、鉈は十数メートルのジャンプから振り下ろされ、鍬は地割れを起こした。
高枝切りバサミで空間を切り裂いてきた輩もいた。
「ちょ、ちょ、ちょっ、多勢に無勢でしょうが!
まったくホント……ここが仮想空間じゃなかったら、担当が私じゃなかったら面倒でしたよ!」
祥示はぼやきながら、そういった攻撃を紙一重でかわしていく。
そして『御影烏』の爪がない方の手に、まるで長い楽器の入ったアタッシュケースにも似た、取っ手のある直方体を出現させる。
『御影烏』の基本装備『現亙』──近接武器や銃として使う局員も多いが、その実体は使うものの資質次第で何でもできる情報端末である。
祥示の『御影烏』はそれを構える。それは武器としての構えではなかった。旗を捧げ持つような、あるいは王の前で剣を捧げ持つような、儀式的な構えであった。
次の瞬間──
祥示の『御影烏』が敵の数だけ、いやそれを2倍の量で上回る数で出現した。
「残念ながら『データコピー』は私のお家芸でして。こういう仮想空間みたいな場所で、数の差で済む話なら、この私には通じません」
ほどなく、100人超の庭師たちは一人残らずスクラップになった。
祥示は自分の身体が無傷なのを確認して四阿を見上げると、
「ありゃ」
そこはもぬけの殻だった。
「こっちの手の内だけ見て、逃げられましたか。気に入りませんね」
念のため庭園の迷路を抜け出し、丘を登って四阿に入り、ヤツが座っていた椅子まで行ってみると、そこには書置きが一つ残されていた。
『女王の城でお待ちしています』
「……どう見ても罠ですけど、どうしますかねぇ……」
この山の頂上である四阿から眼下の街を見下ろすと、確かにそれらしき建物がある。
イギリスの古城……いや、むしろ『トランプの女王』の城のような。
もっとも、この世界の人間が『不思議の国のアリス』を知っているはずもないが……。
判断は次の局員に任せよう。