22.ショウジRe.006
文字数 4,299文字
ブランシェのサーベルがピオスを弾き飛ばして壁に叩きつけたのと、私とユキ頭取が入れ替わったのはほぼ同時だった。
「チッ……入れ替わりの隙を突きたいところだったが」
舌打ちをしてブランシェが構える。
腰を落とし、切っ先をこちらに向けたまま、剣を持つ手を後ろに、持たない手を刃に添えて前に。
力を溜めるようなポーズ……突撃の構えだろうか。
「地球支部のデータは閲覧した。何人かは見覚えのない奴も出て来たようだが……貴公のことは確認済みだ、祥示。情報収集が専門で、広範囲にアクセスする能力を持つが戦闘力は平凡……一般的な支給品以外にこれといった装備も持っていない」
「そりゃどーも、恐れ入りますよ」
「だが、先刻トレグナンで見せた戦闘は資料に無いものだった。おかしな分身能力を持っているようだが、アレが貴公の切り札か?」
「さて、どうでしょうね」
「……悪いが私には通じない。凡夫がどれだけ増殖しようとも、この涅槃のブランシェにとっては同じことだ。目にも見よ、スリヴァー・ブレード(なます切りの剣)!」
言うが早いか、一気呵成に距離を詰めてサーベルを上段に掲げるブランシェ。
そしてその刃が振り下ろされる──躱すこともできずに、白い服の少女──祥示のアバター『アーミリィ』はズタズタに引き裂かれ、その場に崩れ落ちる。
「ショージさん!」
「……!」
ピオスが驚きの声を上げ、ハビィも目を見張った。
だが、
「……デコイか!」
そう言ってブランシェが宙を見上げる。
視線の先には、排熱版のような凹凸のある巨大な長方形の物体──外文明交信局の汎用端末で『現亙(ゲンコウ)』という──を片手に持った、異形の女神像のような人型が浮かんでいた。
これまでも何度か登場しているが、間が空いたのでもう一度説明しておこう──
『御影鴉』。ユキ頭取にそっくりなそれは、彼女を原型とした影法師であり、地球支部メンバーの標準装備でもある。祥示のそれは赤紫色を基調としたどぎつい色に塗られ、下半身の本来なら脚があるべきところに収まっている球体には、祥示の本体である人形が収まっていた。
「そのアバター、結構お気に入りだったんですけど。まあバックアップがありますが」
祥示が不満げに言う。『スリヴァー・ブレード』と称する技によって切り裂かれた『アーミリィ』は、細切りにしたイカの燻製のように裁断されていた。
影のように実体がない祥示にとって、『人形』も『御影鴉』も『アーミリィ』もあくまで仮の肉体であり、破損しても問題はないのだ。もっとも、全て失うと存在できないのでここからは脱落する羽目になるが……。
「……なぜ躱すなり受け止めなかった?そんなに大きく飛び退る必要はなかったんじゃないか?」
ブランシェがそう言いながら、再度構えを取る。
海老の表情はわからないが、声色に喜色が浮かんでいる気がした。
「だって今の、明らかにおかしいでしょ。一瞬アナタが何重にも見えましたよ」
『スリヴァー・ブレード』が振り下ろされる刹那、祥示は見た。
手元がぶれた写真のように、あまりにも早い物体が残す残像のように、横方向に幾重にも重なって剣を振り下ろすブランシェの姿を。
「目がいいことだ」
「それだけが取り柄なもんで」
祥示の能力『情報分身』。
普通の生物なら──どれだけ目が良くて遠くまで見通せようとも。どれだけ耳が良くて小さな音まで聞き取れようとも。それを感じている『自分』は一人だ。
だが祥示は、情報に注意し、情報を吟味し、情報について考察する『自分という存在』を並列化することができる。それだけなら、情報生命体であれば誰でも大なり小なりできる事だが……祥示は、それについて『量的な制約を持たない』『ハードウェアによる演算を必要としない』という性質を持っていた。
『情報』という概念に対する『実体のない幽霊』……すなわち『容量ゼロの情報』。
記憶媒体も演算装置も器としてそこにありさえすればよく何も入っておらず、ハードウェアにもネットワークにも負荷をかけず、ただ『情報を処理した』という結果だけを自分自身に返す『情報のゴースト』。
それが祥示の本当の姿だった。
ゆえに祥示は、目に入るあらゆるものを見ている。耳に入るあらゆるものを聞いている。一つ一つを見ているのは『無数の自分の中のひとり』だから混乱することもなく、『全てが自分』であるがために意思決定に齟齬はない。
祥示は考える。
(『異階層』の世界に送られていたピオスとハビィといい、エリザさんに『書き換え』されても変わらずに済んだことといい、この剣といい……要するに、このヒトの能力は……)
そして『観察』と『情報処理』の結果、一つの結論に達していた。
(『同じタイプ』ってやつですね、これは)
おそらく、原理や方法は違えど『分身』する能力。
「よもや、そうやって空中にプカプカ浮かんでいるだけで安全だと考えているわけではあるまいな」
そう言うと、ブランシェはグッと腰を落とし、祥示めがけて飛び上がった。
……いや、ただ飛び上がっただけではない。
右へ回り込もうとする分身、同じく左へ駆け出す分身、祥示の足元を潜って後ろへ回り込もうと飛び出した分身……無数の分身が一斉に散開した。
「やっぱりね!」
祥示が忌々しげに吐き捨てながら真っ向飛び上がってきたブランシェに現亙を振るう。
その切っ先からは次元を歪めるようなエネルギー波が放たれ、空中で避けることのできないブランシェの一人を直撃する。
そのブランシェは掻き消えるように消滅するが、しかし、エネルギー波が届かない範囲でやはり同じく飛び上がってきていた多数のブランシェたちが一斉に祥示へ襲い掛かった。
「そうやって下からきたら……上へ逃げるしかないですよね、そうでしょ!」
空中でさらに上昇した祥示。すぐに行き止まりの天井が迫るが、そこには先程からの戦いの余波で蓋が破損した状態になっているコンソールが顔を覗かせていた。
情報演算船ノームらしく、仮想空間のネットワークを整備するためのものだ。
あくまで整備用のもので、ここから仮想空間へダイブすることなど通常はできないが……
「えーーーーーーーーーーい!」
現亙を突っ込んで術式を開放。持ち前の並列処理で速やかにデータをリンクし……仮想空間へ飛び込んだ。
「逃がすか!」
追って飛び込むブランシェ。
…………
シークス文明の情報処理を一手に引き受ける船、ノーム。
どこかおとぎの国のようだったトレグナンのそれとは、ノームの仮想空間は違っていた。
のっぺりとしたキューブに所々窓がある、地球の高層ビルのような構造物。
それが多数連結して球状に凝集し、まるでパイプウニのような塊を形作っている。
そしてそのパイプウニがさらに細長いブリッジで連結され、ひとつのコロニーが出来上がっていた。
そのようなコロニーが、半透明の泡にくるまれて宇宙空間に浮かんでいる。
そんな風景だった。
そのビルの谷間、路地裏のような場所で、二人は向かい合っていた。
「アナタの能力、見ていて大体わかってきました。剣を上段から振り下ろす、横なぎに振るう、真っ直ぐ突く。どれを選んでも相応のリスクがあります。そこでアナタは『全部やる』ことができる。なんなら全部やった結果をそのまま残すこともできるし、間違えたと思ったら無かったことにもできる。シュレーディンガーの猫、並行世界……原理まではわかりませんが、そんなところでしょう」
「……人生は選択の連続だ。ナイトを右に進めれば敵のルークを取ることができる。左に動かせばキングを窮地に追い詰められる。しかしポーンを進めて敵のビショップを牽制しなければ逆にこちらがチェックされる。そんな時どうする?私は迷わない。全てを手に入れることができるし、選択を誤るという不安もない。そうでも失ったというなら、それは必然に過ぎない。諦めが付く。……ゆえに涅槃を二つ名としている」
「……」
「なぜ私が妨礙者についたか。何のことはない、私は彼らから誘いを掛けられた時、両方を選んだのだ。誘いに乗った私と、誘いに乗らず断った私。後者には未来がなかった。それだけの事だよ」
「誇り高く死ぬこともできないなんて、可哀そうですねえ」
「ほざけ。そろそろ終わりにしてやろう」
こ こ
「悪いですけど、電脳世界なら負けませんよ」
「全手打ち!」
「情報分身!」
両者そう言うと同時に、ブランシェは一歩、また一歩と駆けるたびに歩を進める角度で細かく枝分かれするかのようにネズミ算的に溢れかえっていった。一方の祥示も培地の上のカビが空間を埋め尽くすように増殖していく。
祥示の御影烏が現亙を構え、一方のブランシェもサーベルを構えた。
ミルクとグレープジュースを一つのコップに注いだように、白と赤紫の濁流がぶつかり合う。
ザシュ!
ガキン!
……二つの群れは、お互いに斬り合い、潰し合い、打ち消し合った。
しばらくは膠着状態だったが、やがて赤紫が──祥示が押し始める。
「クソッ!なんだ……どうなってやがるッ!」
「簡単ですよ。アナタは自分の取りうる選択肢の数が上限なんです。私はそういうの、例えば多くなるほど力が弱くなるだとか、多いと動きが雑になるだとか、ハードウェアやら帯域だのに負荷をかけるので数が頭打ちになるだとか……無いんですよ。電脳空間ではね」
ザン!
そう言うと同時に、最後の一体を叩き伏せた祥示。
ブランシェは白く輝く塵のようになってその場から消えた。
だが……
「……まあ、そうですよね」
そう言って祥示は外、現実世界に繋がるカメラを確認する。
そこには海老ながらに悔しそうなブランシェが仮想空間へと通じるコンソールの下で地団太を踏んでいた。
「入ってきた自分と、入らなかった自分を『分けた』ってわけですね、はぁ……」
これは面倒なことだ。
祥示は最初に彼と遭遇した場面において、彼がここへ入ってくる形だったことを思い出す。
その際に、入ってこないことを選択した彼もいただろうことは想像に難くない。
それだけではない。あらゆる場面で……例えば私達がここへ来るよりも前、彼がウアン氏にノームへ行くことを命じられた際、行かないで潜伏した分身とかもいるのかもしれない。
たった一人でありながら、無数の兵隊が散らばっているのと同じだ。
「工作員としてこれほどの適任者はいませんね……」
とりあえずは……もう電脳空間へノコノコ入ってきて私と相対する気はないだろう。
今なら安全に交代できるはずだ。
「じゃあ、後は頼みます」