ナナシと自己紹介

文字数 1,606文字

美しい桜だな……

桜咲く春、ここ国立陽徳(こくりつひとく)学園でも

美しい桜が咲き誇っている。

――ふっ、自分もこれでようやく高校生か……

高校生になった今こそ

この学び舎に自分は誓おう!

高校では絶対に誰にも名前を教えないとっ!!

個人情報保護が少しだけ行き過ぎた日本。

政府は個人情報保護急進派と否定派に分かれていた。


しかし急進派は社会実験的な試みとして、生徒を学籍番号のみで管理するこの学園を創立するに至っていた。

――この学園には少し特殊なルールがある。

この学園では、個人情報保護の名の下に、生徒が本名を明かさなくてもよい権利を有しているのだ。

本名を明かすのも明かさないのも生徒の自由、在校生も通称やニックネームでお互いを呼び合う者達が多いらしい。

教職員は生徒を学籍番号で呼ぶのでそちらも混乱の問題はない。

そして俺はバリバリ急進派の父を持ち、すっかり個人情報保護主義思想に毒されているという訳だ。

この学園で三年間、

本名を隠し通せてこそ

真の個人情報保護主義者と言うもの


やってやる、やってやるぞっ!


入学式も学籍番号が記載されている席へと座る。

――俺の学籍番号は

『13-2-774』


それが事前に入学式の書類と一緒に送られて来た番号。

13-2-774

ヒミツノナナシ

秘密の名無し

なんという素晴らしい番号、

まさしく自分のための番号だと

言い切ってしまってもいいだろう

えぇ、それではこれから

みなさんには自己紹介をしてもらいます

――自己紹介、だと!?

このクラス、一年二組で、

早速行われたホームルームで、

担任の男性教諭がそう言ったというのかっ!?

一体どういうことだ?


この学園では本名を名乗らなくていいのではないのか?

そう信じて

この学園を選んだんだぞ!


それが一体どういうことだ?

どうしてこうなった?

失望した!がっかりだ!

知っていればこんな学園などに入らなかったっ!

えーと、それでは右端一番前の彼から

――入学早々いきなり絶望に暮れる俺を他所に


無慈悲な教師は自己紹介を進めて行くというのか!?

えーと、自分は田中公平(たなかこうへい)です……

あ、ちょっと待って、

本名は別に言わなくてもいいから


他のことを自己紹介してくれるかな……

――本名は名乗らくていい、だと!?

絶望の淵に立たされていた俺に

一気に希望の光が差し込んで来たというのか!?

そもそも

名前を名乗らない自己紹介というのは


それはもう自己紹介なのか?


そういう疑問がなくはない

そんな禅問答のようなことを

十五歳に要求するとは……


やはりこの学園、

一筋縄ではいかないようだな……

……ハッ! そうか! 

そうだったのか!

間違いない、これは、

これはトラップだっ!

我々がどれぐらい

個人情報保護思想を理解しているか


学園側はそれを試しいるのだ

いわば抜き打ちテストのようなもの


俺達は今試されているのだ、この学園に

それが証拠に担任教諭の顔を見てみろ


相当に険しい顔をしている


まるで面接試験の審査官のようではないか

(やべぇな、事前に説明すんの忘れてたな


まぁ、別に名前を公表しても

ルール違反って訳でもないしな、まぁいいか)

――それに自己紹介と言う名称に騙さて


自らの本名を語ってしまった

田中公平とやらを見てみろ

ほんのわずか一瞬で

本名を晒されるハメになっている


入学初日わずか数時間で

もう本名を晒されるなど


なんというおそろしい事態だ……

いや、彼は尊い犠牲になったのだ


他の生徒達にこのトラップを伝えるために

自らを犠牲にして(いしずえ)となったのだ

ありがとう田中公平

お前のことは決して忘れない……

でも、これから先、お前のことは

きっちり田中公平と呼んでやるぞ

わずか一瞬の内に、

これだけのことを脳内で思い巡らせていた彼は、頭の回転の速さ、思考速度だけは天才並みであった。


しかし考える内容がクソみたいなことしかないので、これまでの人生でそれが役に立ったことは一度もない。


ゼロにいくらゼロを足そうが、ゼロを掛けようが、ゼロはゼロでしかないのだ。

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