第10話 あなたの知らない世界 中編

文字数 776文字

金襴緞子の帯をしめ、市松人形はおだやかな笑みを浮かべていました。
でも、その表情とはうらはらに、コノ人形ハ……。
私は振り向きざまに叫びました。

「おかーさん、この市松人形」
「ああ、それ、かわいいでしょう。」

居間から聞こえる母の声。
かわいい?って、……この人形、めっちゃ怒ってるんだけど。

「捨ててあったから、拾ったの。着物が古かったから、新しいのを縫ったのよ」

拾ったって……拾うなよ……ていうか、よく触れたな、この人形……。
私なら無理、絶対無理。

私が件の部屋から出てくると、母はソファに座って呑気にお茶をすすっていました。

母は、何も視えない、何も感じない、幸せな人です。
数日後、この人形を捨てた人がわかりました。

うちのビルに入居している、50歳くらいの踊りのお師匠さんでした。
何人ものお弟子さんを抱える、溌剌としたご婦人です。

「本当に貰っていただいてよかった。」

もらってない、拾ったんですけど……。
ご婦人は、にっこり笑って、いけしゃーしゃーとそうおっしゃいました。
そして、人形の生い立ちを話始めたのでした。
この市松人形は、ご婦人の親戚筋に当たる病弱な少女に買い与えられたものでした。
長い闘病生活の後、少女が亡くなりました。
その後、人形が欲しいという娘がいて、市松人形は別な親せきの家に引き取られました。
しばらくして、その家は、火事で全焼しました。

焼け跡のがれきの中、人形は焼け焦げた跡もなく、すすけた形跡すらなく、まるで奇跡のようにそこにあったというのです。

人形は、人の家に貰われたのが嫌だったのだろうということになり、少女の家に戻されました。

そして、いろんな人の手を経て、今ここにあるのだというのです。
「そうなんですか……。」私はそう答える以外なにができたでしょう。

そんな曰(いわ)くつきの人形を、普通に、ゴミのように捨てないでよ。
心の中でそう思いました。
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