第四章

文字数 1,214文字

 てくてくてくてく・・・と道を歩き、その日は湖の中の一本道で野宿をしました。有難かったのは、春の頃の陽気だったと言う事。

 二人は満天の星空の下、体をくっ付けて眠りました。眠る時にはお互いの手首を紐で結わえました。もしもどちらかが(あやかし)に連れ去られそうになったら、もう片方もくっ付いて行くのです。真にこの二人は親子以上の強い絆で結ばれていたのでした。

 しかしまあ、遮るものの無い広い広い空間を、天にはこぼれんばかりの星空が覆い、地には恐ろしい程の水だけが覆っているという、ある意味、がらーんとしてなーーんも無い世界。
その中の細い道に小さな小さな二人の人間、二人の心細さと言ったらそれはもう恐ろしい程の事だったでしょう。自分達の存在は蟻程度である。いや、蟻にも届かない。そんな思いを身に沁みて感じたのではないでしょうか。

 けれど阿寒の心には迷いや恐れなど無く、志度はそんなお師匠様を心から信じ、水の寄せる音を子守歌に安らかに眠ったのでした。

 次の日も次の日も歩き続け、時に立ち止まっては来た道を振り返ります。前を見ても後ろを見ても道の果ては見えませぬ。そしてまた歩き始めるのでした。

「志度や。これはもう『補陀落渡海』の様なものじゃの」
 阿寒が言いました。
「阿寒様。狭い船の中に閉じ込められていないので、まだましでは無いでしょうか」
 志度が返します。
「おや、志度や。あんな所に大きな魚がぴちぴちと跳ねておる。おお。陽も丁度、南中の頃、
 これはよい頃合いじゃ。そろそろ昼餉にしようぞ」
「はい。阿寒様。では火を熾しまして、あの魚を炙り、塩を振って・・しかし、行く先々で魚が自ら浅瀬で跳ねるなど・・・仏様の御恵みで御座いましょうか?」
「うむ。・・・龍神様の御恵みかも知れぬな。有難い事じゃ。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏・・」
 二人は早速魚を捕まえ、昼餉の支度を始めます。

 実は魚の馳走は湖の中の姉ナマズの差配でした。
姉ナマズは阿寒と志度が安全にこの道を通り抜けられる様にと湖の者共に号令したのでした。姉ナマズには初めて見た人間が、それも高徳の僧侶がまるで父の様に思えたのです。同時にその若い従者が頼りない幼子の様にも思えたのです。そしてこの二人を守ることが自分に課せられた使命と思ったので御座います。
まあ、思い込みと言っても差支えは御座いませんけれど。
 時に人はこんな風に「こいつを守る事が俺の仕事じゃあ!!」と突っ走る事がありますね。
後で冷静になって振り返り、あそこが人生の分岐点だったなどと考え、顔を赤くしたり、青くしたりしながら当時の己の行動を噛み締めるので御座いますよ・・・。


 湖の中をぽつんと歩く道の先に小さな陸の影が見えた時には二人は大喜びを致しました。
陸はどんんどん大きくなって行きます。二人の足も少しずつ速くなります。
 いよいよ目の前に現れたのは緑豊かな森とそれを彩る山吹の黄色、そして屏風の様に立ち並ぶごつごつとした岩山でした。

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