第一章

文字数 2,826文字

 語り手 猫婆(声は市原悦子さん似)

 ♫~。日本昔話風の音楽。

 昔、昔、まだ日本という国が欠片も存在せずに、天から下った偉大な男神様と女神様が泡立つ海をぐーるぐーるとかき混ぜて国生みをなされていた頃の話で御座います。

 男神様と女神様は国をお生みになられた後、今度は数多の神々をお生みになられました。
 その何番目かにお生まれになられた火の神様に女神様は陰部(ほと)を焼かれ、その命を失ってしまわれたので御座います。それを嘆き悲しまれた偉大な父神様に火の神様は首を切られてしまいました。切られた火の神様の血や体からは数多の神様がお生まれになられました。
 偉大な女神様は黄泉に向かうため花の・・・えっ? それは「花の寺」では無い? 「花の窟」であろうと? 伊勢の国にある海沿いの墓であろうと? まあ、よくご存じで。

 確かにその通りで御座います。偉大な女神様はそこから根の国(黄泉の国)に向かわれたという伝説が御座います。しかし、お話は最後までお聞きくだされ。

 偉大な女神様は黄泉の国に参ろうと花の窟の巨大な岩に向かわれました。と、その後をとことこと女神様が可愛がっていた猫が続いたので御座います。猫は女神様と片時も離れたくないと思っておったのです。今まさに岩の割れ目に入ろうとしていた女神様は後ろを振り向き猫に告げられました。
「ここは偉大な神が通る道である。お前はここを抜ける訳には行かない。お前はお前の道を探してそこから黄泉に下るのじゃ。私は黄泉でお前を待っている」
 そう猫に告げると、女神様は面を上げて岩の隙間に入って行かれました。女神様の後ろから首なしの火の神様が続きます。
 猫はそこに茫然と突っ立ったまま「マジすか?」と思いましたが、何しろ死んだとは言え、国を生むほどのお方、数多の神々を生むほどのお方、微塵も逆らう事は出来ませぬ。猫はそこに控え「承知致しました。私も必ず」と頭を垂れ、偉大な女神様をお見送り致しました。

 さて、それから猫の長い旅が始まったので御座います。日向の国の高千穂に瓊瓊杵尊はまだ降臨されず、古の英雄達もまだ生まれていない最古の葦原の中つ国を猫はたった一匹で黄泉への道を探して彷徨ったので御座いました。

 その頃の中つ国と言えば、至る所に過剰な霊が漂い、それがぶんぶんと唸り声を上げ、まあその騒々しい事と言ったら。また、草木悉く物言う国で御座いましたから、猫は大変苦労を致しました。猫用の黄泉への道を聞いても、皆、いい加減な事を言うので御座います。こちらの杉は東だと言い、そちらの葦が西だと言う。
 道端のぺんぺん草はそんなものは無いと言い、地面を這うオオバコ共は揃って南の噴火している火山の中だと歌います。赤や青の可憐な花々は意味も無き事をてんやわんやと騒ぎ立てるという始末で御座いました。
 夜になると数多の霊がまるで鬼火の様にふわりふわりと漂い、「こっちだよ。こっちだよ。こっちへおいで~」とゆらゆらと誘う。
 そうかと思えば、長く尾を引く流れ星の様な霊が超高速でびゅんびゅんと走り回る、そんな怪しげな大地を猫は彷徨ったのでした。
 深い森や山ではお前など喰ってやると言わんばかりに大きな熊や大蟒蛇(うわばみ)や大鷹に追い回され、猫は命からがら逃げるので御座いました。

 ただひとつ、年老いた大きな松だけが「それは東であり同時に北でもある大きな湖(うみ)の向こうにある」と多少なりとも具体的な話をしてくれました。
 猫は松に頭を下げると北に向かいました。(向かった積り)

 幾多の艱難辛苦を乗り越え、伊勢、大和、畿内をぐるぐると巡り、近江のこれまた大きな湖に「これは海か」と感嘆し、ひょっとしてこれがあの松の言う『大きな湖』では無いかと喜んだ次第で御座います。
 だがしかし、その湖に棲む大亀に話を聞いた所、ここにはその様な場所は無いと教えられ、猫はがっかりして、その大きな湖を離れました。
「だって、あんた、あんたんとこから見たらこっちは西やろ」
 大亀はそう言いました。


 東海道を上り、そうしていよいよ東山道に入ろうかと言う場所で猫はこれまた大きな湖に出会ったので御座います。

 この湖の向こうに今度こそ黄泉への入り口があるのでは無いか。猫はそう思ったのでした。
 猫は疲れ果て、毛皮も汚れ、骨と皮だけの大変みすぼらしい姿ではありましたが、それでもしっかりと四肢を踏ん張り、大きな湖を渡る方法は無いかと考えました。

 猫は大きな声を出しました。
「頼もう。誰かおらぬか」
 すると、湖の水が逆巻き、ぐるぐると渦を作ったかと思うとざざっと大きな水柱が立ち上り一匹の大きな龍が姿を見せたので御座います。猫は全身に迷惑な水飛沫を浴びて頭からびしょ濡れになってしまいました。
 猫はぶるぶると体を振って水飛沫を飛ばします。
「何事じゃ」
 龍は口からごうごうと冷たい風を吐きながら猫に言いました。猫はもう少しで凍え死ぬところでした。猫はがちがちと震えながらも龍に告げました。
「わ、私は偉大な女神様の猫である。さ、寒い。寒過ぎる。・・・・よ、黄泉への道を探しておる。こ、この、湖を渡った先に、そ、それが有るのではないかと、か、か、か、考えておる。み、みず、湖を渡して欲しい」

 痩せ細り、見すぼらしい成りをしていても、そこは高貴な猫。
 龍は一言「心得た」と言うと、家来の鰐を呼びました。そうして鰐を延々と並べ向こう岸までの道を作ってくれたので御座います。その数何千、何万、数え切れぬ程の鰐が道を作ったので御座います。猫は鰐の上をとことこと歩いて渡りました。湖を渡るだけでも数日掛かった程で御座います。
 鰐達はピクリともせず静かに波に浮かんでおりました。
 どこぞの嘘吐き白兎と違って、それはそれは高貴な猫で御座いますから、最後の一歩で鰐に毛皮をはぎ取られるなどという事も無く、猫は無事に向こう岸に辿り着き、身を伏せて鰐と龍に礼を致しました。
 龍は「旅の安全を祈る」と言って、またまた迷惑な水飛沫を上げて深く湖に沈んで行きました。

 さて、その猫が辿り着いたその場所、そこがお話の舞台である花の寺で御座います。勿論、その頃、まだ仏陀は生まれず、世界中には横暴且つ残酷で洗練されていない数多の神様達が暴れまくっていた頃のお話で御座います。
 そこはまだ人間の世では無かったので御座います。

「花の寺」と言うのは、
 ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと後で、ここに住みついたある僧侶が付けた名前で御座います。

 湖の向こう側に辿り着いた猫は小高い岩山を見上げ、そこを登って行きました。
 山裾の洞窟を見付け、その奥の岩の重なるほんの小さな隙間を見付けました。
 長い間、苦難の旅を続けて来た猫は思いました。
「ああ、これこそが我等猫族の黄泉へと参る道であろう」と。
 そうして、猫はたった一匹でその隙間を歩んで行きました。


 これが「花の寺」縁起の第一章で御座います。

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