第十七話

文字数 1,366文字

猫和尚はぽかんとした顔をした。
「……今、何と仰いましたか?」

山吹殿は繰り返した。
「水鏡殿はここに来たのだ。そして兄が来るから姿を隠せと私に言ったのだ。だから私はあの穴の中に隠れたのだ」
猫和尚はあっけに取られた顔で山吹殿を見ていたが、その視線を姉ナマズに向けた。
「猫婆。あんたはそれを知っていたのか?」
姉ナマズも怪訝な顔で山吹殿を見詰める。
「……いや、初めて知った。何故、水鏡殿はその様な……私はてっきり僧侶になる勉強が嫌で若君は隠れたのかと」

猫和尚は山吹殿に視線を戻すと言った。
「それは……あなた様の勘違いでは御座らぬか? 水鏡はあなた様が御隠れになったのは、ひとえに普賢菩薩様があの絵から消えたせいだと……自分はご本尊様に戻って貰うために普賢菩薩様をお探しに行くと言って、それから行方が消えてしまって……」

「だからご本尊が戻られれば、ひとまずたった一人の身内である水鏡の願いは達せられたと俺は思っていたのだが……」
猫和尚はそう言うと黙り込んだ。
「ふん。身内に裏切られちゃあ、仕方ねえな」
クロサキの声がする。
山吹殿は「ああ……」と頭を抱える。
「また、余計な事を……」
「あんたが嫌な奴だから、そいつもあんたを見限ったんだ」
クロサキはしれっと続ける。
「何だとオ!!」
猫和尚がだんっと立ち上がった。二つの眼は吊り上がり、怒髪天を突く勢いで怒鳴った。
「このくそ猫! 今度こそぶっ殺してやる!」
「猫和尚。座りなさい」
山吹殿は猫和尚の前に立ちはだかる。
「猫和尚! 若君に指一本でも触れたら、体をばらばらに引き裂いて喰ってやるからな!」
姉ナマズが鋭く言った。
「む、むむう!」
猫和尚は大きな声で呻いた。
「やれるもんならやってみやがれ!」
クロサキは叫ぶ。
「何だとオ!!」
「クロサキ。もう、いいから黙りなさい」
山吹殿はクロサキを睨む。
「どうしてお前はそうやって火に油を」
クロサキはぷいと横を向く。

猫和尚はわなわなと震えている。体が真っ赤に燃えている。まるで火を噴く勢いだ。
山吹殿は猫和尚を押し止める。
「まあまあ、座りなさい。猫和尚。そんなに怒りっぽくて、それで悟りが欲しいなどとよくも言えたものだ。クロサキなど放って置けばいいでは無いか。いちいち猫の言葉で興奮していたら、悟りなどいつになっても得る事は出来ぬ」
「くっ・・・くそ!!」
猫和尚はだんっと座った。頭から湯気が立ち昇っている。
山吹殿はその頭にそっと手を置くと「あちちっ!!」と言って手を払った。
「困ったものだ。これでは話も出来ぬ」
「若君!お待ちを!」
姉ナマズはそう言うとぱんぱんと手を打ち鳴らした。
「これ、水を持て!」
と、突然、猫和尚の頭の上からざざっと滝の様な水が流れ落ちた。クロサキは驚いた。
一体どこから水はやって来たのかと天井を見上げる。
猫和尚はじゅじゅじゅっと音を立てて大量の湯気をその体から発していた。水はどうどうと流れる。
「伯母上。花の寺が水浸しになってしまいます」
山吹殿は呆れた様に言う。もう勘弁してくれと言いたかった。
「もう止めてください」
「うむ。水を退けぇ!」
姉ナマズがそう言うと水は流れとなって参道から出て行く。
もんじゃ焼きの様にじゅうじゅうと言っていた猫和尚の体がようやく静まって来た。
山吹殿は恐る恐る猫和尚の頭に触れてみた。
粗熱は取れたみたいだった。山吹殿はほっとした。

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