第三章

文字数 1,133文字

 京の都は華やかなりし平安の世。だが、それも貴族だけの煌びやかな世界。藤原氏がこれ以上の繁栄は無しと言う程の栄華を誇り、道長が「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」などとチョーシ込んだ歌を詠んでいた頃の事で御座います。

 ある僧が京の貴族たちの権謀術策に嫌気が差し、遠く北国へ布教の旅へと旅立ちました。僧の名前は「阿寒(アカン)」。

 阿寒は従者を一人連れ北へ北へと向かいました。従者の名前は「志度」。
 二人は進路を北陸道へ取りました。旅立ったのは美しい早春の頃です。
 都を出て丹波、若狭、そして北陸道へと。
 夏の暑い頃は良かったのですが、冬のドカ雪と凍死寸前の寒さと言ったら、これはもう旅どころの話ではありません。北国の寺に宿を借り、民家に宿を借り、寂れた神社に宿を借りして、冬の厳しい北陸の道を越前、加賀、越中と渡り、越後から信濃に向かい後はひたすら東山道を北上致しました。
 何を好んで北陸道など選んだのか。東海道にすりゃ良かったのにさ。無謀としか言えないな。などと現代の私達はそう思います。だが、阿寒はそれも修行と思っていたのでしょう。何しろ阿寒は熱心に御仏の道を究めようとする僧侶でしたから。

 二人はぐるぐると諸国を巡り、あの坂東の大きな湖の畔に差し掛かったのでありました。
 京の都を出立して既に10年が過ぎておりました。


 阿寒と志度は湖を横切る細い道を眺めました。普通の人なら足も竦んでしまう道ではありますが、そこは長年布教の旅を続けた高徳の僧侶です。
 阿寒は「この先に、我等が行くべき場所がある」と言って細い道を指差しました。
 小道の両端は細かい石がぎっしりと積み重なり、そこにさらさらと波が打ち寄せる、その音だけが響きます。鳥の声も虫の声も聞こえませぬ。青い空と果てなく続く青い湖。目の前には真っ直ぐな白い道。その道の遠く向こうには何が有るのか。
「お師匠様。この湖をぐるりと回れば、湖の向こう側にいずれ辿り着く事で御座いましょう。何もこの様な寂しくも不吉な場所を歩く必要は御座いません。ここは人の立ち入るべき場所では御座いません。ここは水の世界で御座います」
 志度は師匠にそう進言致しました。
 けれど阿寒はそれを否定しました。
「志度や。儂はもう疲れた。そろそろ居を構えて落ち着きたい」
 そう言って遠く先の見えない湖の向こうを指差しました。
「この湖の端を辿れば、旅はまだまだ果てなく続く。この道は御仏が我等にお示しくだされた道なのだ。この道は浄土に向かう、所謂ショートカットである。我等はこの道を行くべきであろう」
 志度はお師匠様のその言葉を否定する事は出来ませんでした。そうして二人はいつ果てるとも知れぬ湖の中の一本道を歩き始めたのでした。


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