第十一話

文字数 1,751文字

 さて、年月は平和に流れ、山吹殿が一歳になられた頃のお話で御座います。
 既におコイはあの偉大な女神様の猫が去って行った道を辿って黄泉へと向かってしまいました。

 一人の女人が寺へ参りました。それは随分前に一度この寺へやって来た、あの黒い顔をした女でした。
 女は深く頭を垂れて言いました。
「志度様。私はあの湖に棲む龍神の娘で御座います。実を申しますと、私は山吹殿の母者、
 こちらではおコイと名乗っておりましたが、そのおコイの姉で御座います」
 志度はびっくりしました。
 何とこの世には不思議な事が有るのだろう。いや、有り過ぎだろう。
 そう思ったのです。

「この度は猫になって冥界に去って行くしか無かった妹鯉が憐れ過ぎて、私は深い湖の底で嘆いておりましたが、お可愛らしい山吹殿のお傍にと思ってやって参りました。どうぞ私をおコイと思うて、山吹殿のお世話をさせて頂きとう御座いまする」
 志度はそれは無理と思いました。だって、どう見てもこの姉娘は美しかったおコイとは似ても似つかぬ醜さだったからです。しかし、男手一つでお子様をお育てするのもそれはそれは大変な事です。そこで志度は言いました。
「おコイの姉者殿。我妻はおコイたった一人で御座います。だがしかし山吹殿にとってあなた様は伯母上様に当たられます。どうぞ我が寺にいらして、是非山吹殿のご成長をお助けください」
 姉ナマズは大きな口を歪めてにたりと笑いました。志度はびくりとしました。思わず、姉ナマズに喰われるかと思いました。けれど、姉ナマズとしてはにっこりと微笑んだ積りだったのです。
「ああ良かった。良かった」
 姉ナマズは小踊りをすると早速「では、早速、若君にもご挨拶を」と家の中に入って行きました。

 日々が穏やかに過ぎて行きます。
 山吹殿は日に日に賢さと愛らしさを増していき、猫達も志度も姉ナマズももう、メロメロ。

 志度は洞窟の回りの木々を刈り取り、入り口に向かう道を整備致しました。洞窟内も整備をして、そこに燭台を置き、入る時には蝋燭を灯して歩けるようにしました。
そしておコイの去って行った穴の前に小さなお堂を建てたのでした。それは穴の中を通っていってしまったおコイを偲び、その霊を弔うものでした。それは大変質素なものでありましたが、志度はそこにおコイの愛用していた櫛を一つ収めました。

また、殺風景な参道に何か置いた方がおコイも寂しく無かろうと、そこに陶器で作った猫羅漢の像を並べました。それらはみんなあの姉ナマズが湖の妖共を使って一緒に整備した事で有りました。猫羅漢は片側に8匹、もう片側に8匹並べました。
何故なら8は末広がり、また「無限」に通じる数字だったからです。

整備された洞窟内の小さなお堂を見て志度は満足しました。
けれど、何かが足らない。そうだ。このお堂に仏様をひとつ・・・と思いました。
それで亡き阿寒の遺した物を探しましたが仏像は見当たりませんでした。
「ん?」
 志度は見慣れぬ桐箱に気が付きました。
「これは・・?」
 それを広げて見ると、何と不思議、黒猫に乗った普賢菩薩様が現われたのです。台座には美しい山吹の花が飾られています。
 志度はじっとその絵を見て「うーむ。普賢菩薩様は猫には乗らぬ。これは何と不思議な・・。
 それもこの黒猫には角が生えて御座る。・・・阿寒様は随分と猫を可愛がっておられた。猫を有難い仏画に載せたかったのだろうか・・・」
 志度にはその絵が奇妙であると感じましたが、同時に大変好ましい物に思えました。それで、彼はその絵を寺の本堂のご本尊様の横に掛けたのでした。

その仏画を見た姉ナマズが尋ねました。
「この尊い仏様は・・・?」
「これは儂の師である阿寒様が描かれた仏画じゃ。これは普賢菩薩様である。優れた知恵の持ち主であらせられる」
「・・・・この仏様には魂が御座いますな」
姉ナマズはそう言うと両手を合わせて深々と頭を下げました。

黒猫に乗った普賢菩薩様は志度と山吹殿と姉ナマズのささやかで平和な異界ライフをこの後もずっと見守り続けたのでありました。








 第一部 花の寺縁起  了




 第二部 炎鏡と水鏡。(仮
 猫和尚とクロサキ、猫婆、そして炎鏡と水鏡、山吹殿のすったもんだの話。


 予定では二部構成。アップは結構先です。まだ一文字も書いていません。





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