第62話

文字数 3,745文字

 そしてズタスが死んで三週間後、ついに内乱は勃発した。各地の軍閥ーーすでに軍閥と称しても構わないであろう勢力へ、クミルは再三の召集を命じていたのだが、彼らが一向に応じなかったため、早々に堪忍袋の緒を切った新族長が、近くにいた一勢力へ攻撃を仕掛けたのだ。それが文字通り切られた火蓋となり、各地の勢力が一様に相争い始めたのである。
 中には中立を保ち、漁夫の利を画策する者もいたが、攻められれば応戦せざるを得ず、一定以上の勢力を持ちながら戦乱に巻き込まれずにすむ者はいなかった。


「北狄内乱突入」の報は、三日後には紅都へ雷報として届いた。これは庸が平和で、大陸内の往来も盛んな頃ならまだしも、大混乱に陥っている現在の状況では驚異的な速さで、いかにこの情報を紅都が待ち望んでいたかわかるというものであった。
「北上開始!」
 準備が万端というわけではない。どれだけ訓練しようとも、この短期間で騎馬民族軍に対抗し得る将兵を育成しようもない。それでも庸軍は進発した。本当に、本当に最後の好機を絶対に逃さないために。


「来たか」
 が、紅都が騎馬民族の動向を探っていたのと同水準で庸軍の動きを探っていた者が寧安にもいた。タクグスである。
 この段階で北河以北の地は内乱の坩堝と化しているが、なんと騎馬民族のほとんどすべてが北河の再渡河を果たし、北方へ帰ってしまっているのである。つまり寧安を含む北河南部の占領地を放棄してしまっているのだ。
 これは異常事態であるが事情は単純だった。つまり内乱が激しくなりすぎ、戦力を遊ばせておく余裕がなくなってしまったからである。南部占領地はもちろんだが、寧安を放棄するのは彼らにとってもあらゆる意味で断腸の想いだったが、そこにこだわって覇権争いに負けたとあっては死後まで嘲笑の対象になってしまう。軍事に関して彼らはあくまで専門家としての見識を見失っていなかった。
 また、
「それにどうせ再占拠するのは庸の弱兵どもだ。最後まで勝ち残った後、再奪取すればいいだけのこと」
 クミルに限らず騎馬民族のほぼ全員がそう考えていたことも確かだった。あまりに簡単に奪取出来てしまったため、本来の寧安の堅城ぶりを忘れてしまっているのだ。
 それゆえたった一人ーーといっても彼の麾下である五千の兵も一緒であったがーー、タクグスが寧安防衛に残ると告げたことに、驚く者はいても強いて反対する者はいなかった。それは残るタクグスを説得や脅迫する余裕もなく北へ帰らなければならなかったからでもあるが、
「たとえ一時寧安を独り占めできたとて、最後の勝者が数十倍の戦力で包囲すれば持ちこたえられぬであろうものを」
 という考えもあったからである。もちろんそのように考えるのは、自分が「最後の勝者」になると信じて疑わない者ばかりである。
 そのようなわけで現在の寧安の主はタクグスということになった。といって変わったところがあるわけでもない。騎馬民族たちも一応の満足を得たか一時の暴虐は鳴りを潜めていたし、タクグスとその将兵は比較的穏健でもある。都内はようやく秩序を取り戻し、普段の生活を営みはじめていたのだ。
「さて…」
 寧安の主となったタクグスだが、それが一時のものであることは彼もよくわかっていた。というより、それが最初からの彼の望みであった。彼には彼の精算があったのだ。


 庸軍は北上を続ける。その動きはさほど速くはなかった。訓練が不充分だということもあるのだが、基本戦略が騎馬民族同士の内乱に乗じる形で敵を各個に撃ち破ってゆくというものであることも影響してた。
 このまま北河を渡って彼らの勢力圏へ突入するのはあまりに危険すぎる。猛獣同士の争いの渦中に草食動物がまぎれこむようなもので、余波だけで弾き飛ばされてしまうだろう。
「まずは北河南岸に拠点を設け、そこで情報を収集し、北狄が内乱に疲弊し切ったところを襲撃する」
 たとえ獰猛な野獣であろうと、互いに相争い、傷つけあえば、勝者とて無傷ではありえない。その状態であれば、たとえ草食動物とて勝機はある。角で刺し、北へ追い落とすことも不可能ではないのだ。
 軍が北上する間、先行させた斥候たちは北河以南の地域から騎馬民族が姿を消している旨、報告は入っていた。連中も仲間割れに余力を残すことが出来ないのだろう。
 また北河から逗河にかけての領域は、騎馬民族が蹂躙し、そのまま北へ帰ってしまっており、その慰撫のためにも北上の速度は上げられないという事情もあった。
 そして彼らは一つの有力な情報も得ていた。
「寧安が(から)になっておるか…」
 北伐軍の総司令官は、両腕を組んでその情報を聞いた。もちろん寧安から人がすべて消えたというわけではない。本来の都民はそのまま、騎馬民族軍の姿が消えたということである。
 考えられる状況ではあった。彼らにしてみれば戦力は一騎でも多いに越したことはなく、寧安防衛のために()くことすら惜しかったのであろう。それにしてもせっかく陥落せしめた央華随一の大都市・帝都寧安をこうも簡単に放棄するとは。
「北狄の北狄たるゆえんだな」
 侮蔑の思いもありつつも、この蛮族ぶりが今の庸人にとっては恐怖の対象でもある。彼らには自分たちの常識は通用しないのだ。そしてそのような蛮族に自分たちは勝利どころか一矢を報いることすら出来ずにいる。逃げ腰になる思いは如何ともしがたかった。が、
「とにかく寧安が空いているのならそこを拠点としよう。かの都ほどそのためにふさわしい場所はないからな」
 と、彼らは満場一致で寧安へ向かうことを決定した。


 庸軍は寧安への道を、慎重に慎重を重ねて選び、細心に細心を重ねて進んだ。とにかくこれまで彼らは騎馬民族軍に負けに負け続けている。そのほとんどすべては敵に意表を突かれ、背後から襲われたことも大きな要因だった。
 それゆえ彼らは常に斥候を放ち、前方に敵がいないことを確かめ、通り過ぎた後も後方に敵が現れないことを確認し、また隊列が細くならざるを得ない道や、視界が悪い場所は極力避けて進んだ。
 空き家に忍び込もうというのにーー自宅に帰ろうというのだから酷な言い方だがーー極端なほどの警戒、あるいはおびえようだが、今の騎馬民族軍はそれほどまでに強力なのである。たとえズタスがおらずとも。


 そして遅すぎるということはないが速いとは言えない速度での行軍も三日を過ぎた頃、前方を偵察に行っていた斥候が息急き切って戻ってきた。
「前方に北狄軍! 数、一万以下! おそらく五千程度と思われます」
 一万と五千では相当に違うが、これは斥候が騎馬民族軍を見つけた段階で及び腰になり、詳細を調べる前に急ぎ逃げ戻ってきたためである。これでは斥候の役目を果たせていないとも言えるが、そのことに構う余裕は今の庸軍にはなかった。
 騎馬民族軍の名を聞いただけで全軍にピリッとした空気が走る。が、その過半は緊張ではなく恐怖に満たされていた。
「どうする、進路を変えるか」
「いや、それでは敵軍に有利な土地に迷い込む恐れがある。我らにとって最適な行軍路を取っていることを忘れるな」
「そもそも敵は戦う気があるのか。わずか一万以下では威力偵察の可能性も充分あるぞ」
「わかるものか。連中は我らのことを弱兵と思いこんでおる。十分の一以下の兵力でも勝てると踏んでいてもおかしくない」
「確かにそうであろうが、しかしそれでも真正面からとはさすがに思い上がりも過ぎよう」
「我らはそこまで侮られておるか」
 首脳陣の軍議も真剣さは増すが、根底に騎馬民族への恐怖がある。最後の台詞は激昂しながら放ってもおかしくないのに、沈鬱さとともに発せられた後、全員が重苦しく押し黙ってしまう始末である。
 が、さすがにそのことに気づいた一人が、椅子蹴るようにして立ち上がると、自らを鼓舞するためにも全員に怒声を発した。
「我らはなんのために十万の大軍をもって北上してきたのだ! 北狄の影におびえ、逃げに逃げた挙げ句、何の成果も得ずに南へ取って返すためか! 諸卿、敗北とともに皇帝陛下と社禝への忠誠も、祖先への孝心も、自らの誇りも、北狄に与えられた恥辱も、すべて忘れ去ったか!」
 その声に、その場にいた面々がハッと我に返る。が、それも半ばである。それほどまでに騎馬民族への恐怖は大きかったのだ。
 だが全員がその恐怖を強いて振り払った。彼らがすべきことをしなければ、南庸帝国は滅亡への転落を止めることができないのだ。
「よく言ってくれた。我らが武器を携えてきたのは、北狄どもの不当な占拠に断固否をとなえるためだ。まして前方にいるのはわずか一万弱の寡兵。この程度の敵すら殲滅できずに北狄を長城の北へ押し返すなど出来ようはずもない。交戦あるのみ! 諸卿の存念は如何?」
 総司令官がそのように質すと、全員が力強くうなずいた。
「異議なし。我らの意志を北狄どもにぶつけてやろうぞ!」
「そうだ、大庸帝国の威信を北狄にも存分に味わわせてみせよう」
「皇帝陛下万歳! 大庸万歳! 父祖と神々も我らの戦いをご照覧あれ!」
「よし、それではこれより、前方の敵軍を撃破。そのまま寧安へ進軍する。全軍、出撃!」
 総司令官の命令が発せられ、全員が起立とともに鬨の声を挙げた。

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登場人物紹介

ズタス……遊牧騎馬民族・コナレ族族長

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