第4話

文字数 3,137文字

 幾人もの庸兵が、自分が殺されたことも気づかないまま死んでゆく。彼らを直接殺すのはコナレ族の兵士たちだが、この状況を造り出したのは、ただ一人この殺戮に加わっていない馬上の男である。
 その男に向けて走ってくる庸兵がいた。酔いに強い体質なのだろうか、槍を構えて突進してくる足取りにふらつきはない。馬上の男を狙ったのは偶然だったろうか。
 しかし馬上の男は恐れ気もなく庸兵をじろりと見ただけで、手にした剣を構えることすらしない。庸兵も普段のままであればそんな男になにか、えもいわれぬ迫力を感じただろうが、このときは酔いが残っている。勢いのまま突進し、そのまま斬殺された。不自然なのは剣より槍の方が長いにも関わらず、斬られたのは庸兵だったことだ。男は庸兵の槍をよけた風には見えず、剣を伸ばすーーあるいは伸ばしたように見せる特殊な技術を使ったようにも見えない。ただ無造作に振るっただけなのだ。まるで気迫だけで庸兵を斬ったかのようである。それが不思議に見えないズタスの威であった。


 騎馬民族は大小様々な部族に分かれている。その中でコナレ族は中程度の規模の部族だった。大き過ぎもせず小さ過ぎもせず、大勢力になることもなく、かといって勢力を縮めることもない。それは彼らが戦闘力に秀でており、他の部族から一定の敬意と恐怖を得られていたこと、しかし大規模な勢力を築けるほどの器量を持った人材を得られなかったことが理由であった。言ってみれば「喧嘩は強いが頭が悪く器量も小さい」という存在だったのだ。
 しかし四十年ほど前、この部族に生まれた男子は、彼らの「頭と器」になれる資質を持っていた。部族長の次子に生まれたズタスである。騎馬民族は姓を持たないゆえ、彼の名はズタスでしかない。
 彼は子供の頃から勇猛なコナレ族の中でも有数の力量を持っていた。わずか十歳で三匹の狼に囲まれながら、わずかな傷を負うだけで斬り伏せたり、十五歳の頃には、今度は三頭の獅子を一本の槍でまとめて串刺しにしたなどの逸話が残っている。これらは後世、伝説化した話であるため信憑性の乏しいところはあるが、しかしまるっきりの嘘でないことは確かだろう。実際、これくらいの勇猛さがなければ、気性の荒い騎馬民族の中でもさらに荒くれ者ぞろいのコナレ族の男たちを束ねてゆくことなど不可能である。
 騎馬の民は、相手の知性や徳などには心服しない。力。純粋な力のみに畏れ、ひれ伏すのである。

 ズタスは次子だったが、同時に実質的な末子であった。彼の下に弟は二人いたが、二人とも夭折したのだ。もともと幼児や乳児の死亡率が高いのが古代であるが、北方の厳しい自然環境は、その確率を飛躍的に高める。生き残れるだけで、彼らは勇者だった。
 そして末子相続の騎馬民族の則に従い、ズタスは父から部族を譲り受けることになっていた。そして次期族長として、父の代わりに部族を率いて、いくつもの戦いに臨んだ。同じ騎馬民族との争いもあれば、遠く西方の王朝へ攻め入ったこともある。そして当然、南の大国である庸帝国の軍隊と戦ったことも。
 その時の庸軍に対する若いズタスの感想は「なんとぬるい」であった。数十騎同士の小規模な戦闘であったが、騎馬民族同士のそれとは違い、ほとんど手応えがなかったのだ。
「これならば蹴散らせる」と、笑みを浮かべたズタスだったが、かなわぬと知ったか、庸軍は早々に逃げ出す。そして彼らを追ったズタスが見たものは、両端が見えぬほどの長い城壁、長城だった。
 ズタスも長城のことは知っていた。そして見たこともあった。だが攻城ためにその長大な壁に取り付いたことはなかった。ズタスはこの日、初めて長城の真価を「見た」のだ。
 逃げ込んだ庸の騎馬隊に代わって現れた石の壁は、せいぜい八長(八メートル)程度の高さである。だが当然馬で飛び越えるわけにはいかず、乗り越えようにも壁面は注意深く突起が削られていて、手がかりがない。またそのような壁を乗り越えるための技術も道具も、打ち砕くための兵器も、ズタスの手元にはなかった。
「……手も足も出ぬか」
 話には聞いたことがあったが、これほど盤石の守りを誇るものだとは考えていなかった。ズタスは自分と自分の部族の強さに絶対の自信を持っていたが、たかが石の壁に屈するなど考えたこともなかった。
 そしてこの「敗北」は、彼の誇りを傷つけた。
「見ておれ、いつか必ず汝を破砕してみせるぞ」
 これ以上ここにとどまっていても、いたずらに兵糧を食いつぶすだけだと察したズタスは、物言わぬ石の壁に向かい、激しい闘争心をこめた一語をぶつけた。その一語が堤を崩す一穴となるのは、これよりおよそ二十年後のことである。


 ズタスはこの後、すぐに部族の長を継ぐ。父親が他部族との戦いで死んだのだ。彼の後継はなんの不都合もなくおこなわれた。この時期になると、ズタスはすでに部族の長としてふさわしい実力も実績も身につけていた。
 そしてこの時から、ズタスの二つの戦いが始まった。一つは他部族との戦いに勝利し、彼らを吸収し、一大勢力を築くこと。そしてもう一つは、築いた大勢力をもって央華を征服することである。
 騎馬民族は央華の民を蔑んでいた。「ぬくぬくとした土地にしがみつき、愚にもつかぬ詩歌などにうつつを抜かす惰弱者たちの群」というのが、彼らの央華文明に対する評価だったのだ。人として、(こと)に男として生まれたからには、広い平原で馬を駆り、雄々しく戦い、そして死んでゆく。それこそが彼らにとっての誇りだった。ゆえに文明や文化など、軟弱な央華人の自己満足としか思えなかったのだ。
 だがズタスは違った。彼も最初は同胞と同じように央華を侮蔑していたのだが、その惰弱な文明が生み出したただの石の壁に敗れたことが、彼をして央華文明を知る必要があることを痛感させたのだ。「勝利のためには敵を知ること」と明文化したわけではないが、戦いの民である騎馬民族は、体感としてそれを知っていた。それまでの騎馬民族たちも長城には何度も撃退されているのだが、その経験も「正面から戦ったのではないから負けではない」という意識の前には活かされず、ますます央華を見下す材料にしかしてこなかった。
 央華を同等の敵と認識したのは、この時代の騎馬民族ではズタスがほぼ最初の一人と言っていいだろう。央華文明は、一つの「勝利」から最大の敵を生み出してしまったのである。

 他部族との戦いは、最初は最も身近なところから始まった。すでに独立していた兄が作り上げた部族との抗争がそれだった。
 前述したように、騎馬民族は上から順に独立してゆき、末子が親の財産を相続する。かといって、親の部族と完全に関係が切れるわけではない。親戚として近しい協力関係にある部族として交流を持つのが常であった。
 だがズタスの兄は、己に自信がありすぎた。弟が継いだ父の部族も自分の配下に吸収しようとしたのだ。だが、これに関してはズタスも兄を責められない。なにしろ彼も兄の部族を吸収して自身の力を強化しようとしていたのだから。それをズタスはもっと先のことと考えていたのだが、兄は父の跡を継いだばかりの弟の基盤はまだゆるいと見て、速攻を仕掛けてきたのだ。
 が、ズタスも潜在的な敵である兄の動向に注意を払っていないはずはなく、露骨ともいえる兄の不穏な様子に警戒を強めており、兄が攻めてくると同時に討って出た。これは兄にとっては思わぬ反撃で、機先を制したつもりが逆に制されてしまい、彼は弟に完全に押され、撃滅されてしてしまった。
 この「サンガルド平原の戦い」はズタスの勝利に終わり、彼の兄は戦死し、その部族は弟のそれに吸収された。
 雪だるまの「核」は完成したのだ。

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登場人物紹介

ズタス……遊牧騎馬民族・コナレ族族長

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