第68話

文字数 2,632文字

 それからしばらくの間、サガルたちはその場をほとんど動かなかった。
 寧安に戻ることもせず、近くの街ーー名を常永と言い戦闘の名にもなったーーを攻め取り、そこで寝起きをしている。物資も現在は充分にあるし、街で接収した分もある。あまり怠けていては腕もなまるので狩りに出かけたりはするが、大まかに言って現状は、部族全体が無為徒食の状態と言ってよかった。
 これには理由があった。タクグスの助言である。
「しばらくは遊んでいなされ。一ヶ月もせぬうちに、サガルどののすべきことがおのずとわかるはずです」
 これは常永の戦いが始まる前、サガルが勝った後の方針をついでに尋ねた時に得た答えで、彼としては不得要領ながらも従うに否やはなかった。もし一ヶ月で何も起こらなければ、あらためて軍を動かし、北上して内乱のただ中に飛び込めばいいだけである。そこで武勲を立て、有力者に自分とシン族を高く売りつける。
 そう方針も決めていたのでサガルは言われたとおり「遊んで」いたのだが、この休息は一週間も経たずに終わった。
 北から来客があったのだ。それも万に近い数が。シン族と同程度の規模を持つ一族ーーキュライ族が、彼に降ってきたのである。


 これにはサガルも驚いた。
「なにゆえか。わしは汝らと戦ってもおらぬではないか」
 やってきたキュライ族族長のエゲラにサガルは驚きも隠さずに尋ねた。エゲラは三十代後半、男として充実しはじめる時期で、また騎馬民族の族長らしく壮健で豪強である。いかに荊上峠の英雄とはいえ、戦いで叩きのめされたのでもないのに若年のサガルへ唯々として降ってくるなどありえない男だった。
 そのサガルにエゲラは、これも存念を隠すことなく告げる。
「北での戦いが嫌になった」
 エゲラは情けなさと憤懣をため息とともに吐き出した。
 エゲラが語るところによると、北河以北の内乱は、欲望と混乱の坩堝と化しているということである。
 互いが互いを食らい、争い、裏切り、叩き、潰し、殺し、侵す。
 これは彼らの故郷、北の高原を舞台とした戦いの時も同様であったが、得られる富貴が段違いのため、殺伐さに陰湿さが加わり、腐汁の混じる泥沼の中で殺し合う様相を呈しているそうである。
 このような戦いは、騎馬民族本来の性情にそぐわなかった。北の平原では、戦いがあり、殺し合いがあり、奪い合いがあったとしても、そこにはなにがしかのさわやかさや誇らしさがあった。が、今の戦いではたとえ勝ち残ったとしても、いや最後まで勝ち残った者こそが、最も汚れ、最も醜く、最も卑しくなるのではないか。そのような嫌悪と恐れがあるとエゲラは言うのだ。


「そこへサガルどのの捷報が届いたのでござる」
 正直、北河以北で内乱をしている者たちは、北河以南のことをまったく気にかけていなかった。気にかける余裕がなかったとも言えるが、それにしてもかけなさすぎた。それだけにもし庸軍が北河を渡り、彼らの背中を討ったらどうなっていたか。負けるとは言わないが相当の被害が出て、誰が勝者になったかわかったものではなかった。
「いかに相争ってると言っても我らは同じ誇り高き騎馬の民。族内の利益ばかり求めて騎馬民族全体のことを考える余裕もないとは、情けないかぎりでござる」
 自分もその中の一人だとの自覚があるのだろう。エゲラは情けなさを自身のこととして受け止めていた。


「しかしサガルどのは違った。ただ一人、騎馬の民を救うため、庸軍を蹴散らしてくださった。ただ一人、騎馬の民すべてのことを考えてくださった。ゆえにズタスどの亡き今、我らを率いてくださるに、サガルどの以上の方はおらぬとわたしは知った。ゆえにあなたに降る。どうか我らキュライ族を存分に使ってくだされ。そしてすべての民を糾合し、央華をその手に」
 そしてエゲラはまたあらたに悟りもしたのだ。自分はサガルに器量で劣ると。そもそもクミルの器量不足を不満として叛乱に踏み切ったのである。クミルや自分以上の器を持つ者に降らないのでは筋が通らない。学のない騎馬民族は、おのれの性情と、骨太の筋にこそ従うのが正義なのだ。
 それは今の騎馬民族の内乱を経験すればなおさらであった。欲望の強い騎馬民族だが、欲望のみに駆られることは彼らの本懐ではない。純粋な強さとそれをもって族人を導く者。そのような生き様を示した者に与えられる付随物が欲望の充足である。主客は逆ではない。
 要するにエゲラは、サガルの中に騎馬民族のあるべき姿を見たのだ。それは彼らの中にある純粋さと美しさに合致するものであり、あまりに醜い争いの中、サガルの存在は彼らの目には際だって映ったのである。


 当のサガルはやや唖然としている。彼はそこまで考えて北河の南に残ったわけでもないし、庸軍を迎撃したわけでもない。ただ北の内乱に軽々に加わらないようタクグスに助言を受け、次の方針が決まるまでの暇つぶしにタクグスに誘われるまま庸軍を撃退したに過ぎない。もちろん庸軍を叩いて北への進軍をあきらめさせる意図はあったが、これを騎馬民族の象徴とするような行為とは、まったく考えていなかった。
「いや、降ってくださるのはもちろんありがたいが…」
 と、歯切れの悪い返事を返すしかなかったが、エゲラは感激を面に出す。
「おお、感謝いたすサガルどの。我らキュライ族はこれよりサガルどのに忠誠を誓いますぞ。ああそれと、これよりしばらくしたら、エイ族とホサイ族もサガルどのを頼って北河を渡って参りましょう。受け入れてもらえるとありがたい」
「はあ!?」
 感激のままエゲラが言うことに、サガルは今度こそ間の抜けた驚声を上げてしまう。それはそうだろう。エイ族といえばキュライ族に劣らぬ規模の族であるし、ホサイ族も中規模でありながら充分戦力になる族である。それが何もしていない自分に降ってくるなどと、にわかには信じられなかった。


 が、エゲラにとっては当然の話である。
「いま申し上げたように、サガルどのはすでに我ら騎馬民族の象徴でござる。エイとホサイの族長とは親しくあり、わたしが先にサガルどのに降ると告げると、目の前の戦いを収束させた後、彼らも降るとの返事がありました。我らの他にも北でのくだらぬ闘争に嫌気がさした者はおるでしょうし、彼らも遅かれ早かれやって参りましょう。どうぞその者たちも、麾下に加えてやってくだされ」
 馬上、エゲラが陽に焼けた顔でうれしげに語ってくることに、サガルは今度こそ口を開けてしまった。
 
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登場人物紹介

ズタス……遊牧騎馬民族・コナレ族族長

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