第72話(終)

文字数 2,676文字

「はてさて、どの程度伝わったかな」
 西への騎行のさなか、タクグスは小さく笑った。彼は央華を去るにあたり、様々な布石を打っておいた。サガルに対してだけでなく、内乱を起こしている騎馬民族全体にもいくつかの種を仕掛けていたのだ。そのすべてが発芽するとは限らないが、すべて死蔵されるということもないだろう。そしてそのうちのいくつかは、サガルによって見いだされるはずである。タクグスは確かにサガルへの布石を質量ともに最も豊富におこなっていた。
 それはなぜか。
「敵にせよ味方にせよ、話の通じる男が相手である方がありがたい」
 これがタクグスがサガルに肩入れした最も大きな理由であった。
 今の央華はあまりにも混沌としすぎていた。誰が勝ち残るかなど予想のしようもない。タクグスも一時は自分も央華に居残りその中で覇者を目指す、あるいは覇者の手助けをして央華を再統一し、その上で叔父を迎え入れるという手段も考えていた。が、この濁流のような混沌の中では、数年後どころか明日の行方さえ見抜くことは難しい。
 このような状況ではタクグスの異能は発揮しようがなかった。それどころか無駄に考えすぎ、応変さに欠け、不測の事態に対処しきれず横死という可能性が最も高いとすら感じてしまう。
「惜しいが一度退くしかないな」
 ズタスがせめてあと五年、いや三年長生きしてくれれば、とも思うが、今さら詮なきことである。彼は叔父同様、捲土重来をはかるしかなかった。


 が、それでもやれることはすべてやってから去ると決めていた。サガルへの肩入れもその一つであった。
 サガルはズタスも認めた異才である。年齢からくる未熟さは如何ともしがたいが、あと数年、十数年があれば、ズタスに勝るとも劣らない大器に成長する可能性がある。それは今現在、覇権を争う騎馬民族の有力者たちには求めるべくもないものだった。
 タクグスにとって、戦うにせよ、和するにせよ、話の通じる相手の方が都合がいい。特に和することを考えれば。
 もちろん、サガルがタクグスの想像以上の大器になる可能性もある。そうなっては飲み込まれるのは自分の方だろう。またサガルが早々に敗死してしまい、打ってきた布石がすべて無駄になることも考えられる。
 それに北河以北で内乱を続ける騎馬民族の群雄の中から、さらなる英雄が現れる可能性も否定できない。口裂けサガルはスッヅとの決闘まで、ほとんど無名であったのだ。未知の大器がどこにいるか知れたものではなく、その男がサガル以上の器量や運を持っていても不思議はないのである。
 すべては賭けだった。が、それでも賭けて損はないと感じるものがサガルにはあった。


 タクグスは、自分にズタスやサガルのような器局がないことを知っていた。彼はあまりに才が際立ちすぎていた。これは勇を尊ぶ騎馬民族内では負の印象にしかならない。スンク族の中では叔父の威光や立ててきた武勲で守られてきた。ズタスに降った後は、先制打として寧安を陥落させることにより、侮られることを避けられた。最初に一撃をかまして自分の印象をよくする必要が、タクグスにはどうしてもあったのだ。
 だが、彼本来の気質や能力が勇より知に傾く以上、敬意は持たれても忠誠は得られない。タクグスは騎馬民族内では頂点に立てないのだ。
 タクグスはそのことを誰よりも承知していた。


 だが王佐に徹しさえすれば、タクグスは十全に力を発揮できる。ゆえに彼は叔父を輔けて天下を取るつもりであったのだ。
 実はこの西行も、そのための布石の一つであった。
「北から長城を突破して南下する以外の道があってもいい」
 タクグスは、北の高原から大きく西へ迂回して央華へ攻め入る進撃路も考慮していたのだ。
 もちろん西へ大きく回ればその分行軍距離も伸び、危険も増大してゆく。その危険を出来るだけ減らすため、実地で道程を確認しておきたい。タクグスの西行は、サガルへ告げた「内乱に巻き込まれないようにするため」という理由も嘘ではなかったが、別の意図もあったのである。


 だがサガルはまだ自分の狙いに思い至ってはいないであろう。それも含めて「現時点でどの程度気づいているか」というタクグスの独白になるのである。
「なんにせよ、何年先になるかはわからぬが、あなたとの再会、心から楽しみにしておりますよ、サガルどの」
 少し後ろを振り向きながら口にするタクグスの言葉にも嘘はなかった。再会した後が互いにとって幸福につながるかはわからないが「再会までは楽しみ」というのは本心であった。



 そしてズタスが長城を破り、央華に乱入してから七年後。
 長城の北の、そのさらに北方。岩石しか存在しないような山。
 その中の洞窟に一人の男が目をつぶり、剣をかかえてうずくまっていた。男というにはまだ年若く、彼は一七であった。年齢からいえばまだ伸びるかもしれない身の丈は、さほど高くはない。体つきも細く見えるが、無駄な贅肉をすべて削ぎ落とした機能美にあふれている。
 鋭い表情には陰影すら感じられ、彼がただの少年として生きてきたわけではないことを物語っていた。
 彼自身は単純に生きてきた。強くなること。大きくなること。それだけを考えて生きてきた。大きくなると言っても体躯だけの話ではなく、男として、一個人として、彼そのものが歴史において強大な存在として明記されることを望んで生きてきたのだ。
 じゃり、と岩に薄く積もる砂を踏む音が聞こえた。洞窟に一人の男が入ってきたのである。初老の域に達し始めたその男は、少年の師であった。彼に武技を仕込み、武以外のものも刻み込んできた男で、庸から見れば「裏切り者」であった。
「ゆくぞ」
 初老の男ーー呂石は少年に声をかけた。それはただ洞窟から出るというだけの意味ではない。すべてが足りなかった少年は、この山中で呂石に磨き込まれてきたのだ。それが済んだという意味であり、ようやく山から下りる時が来たという意味であった。
 少年はゆっくりと目を開いた。鋭い目つきはそのまま、だが鋭さだけではない何かをたたえるようになった彼のまなざしは静かに上げられ、彼の師を見ると、同じく静かに立ち上がった。
「ゆくぞ」
 もう一度呂石が言うことに、少年ーーギョラン族族長オドーは従った。だがそこに従順さはほとんど感じられない。鞘に納められた妖剣さながらの気をただよわせながら、オドーは洞窟を出るために師の背に続いた。
 祖父の跡を継ぎ、北の高原を征し、央華をたいらげ、天下をおのれの物とするために。
 すべてを無くしたあの日から、ようやくの旅立ちであった。


    終


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登場人物紹介

ズタス……遊牧騎馬民族・コナレ族族長

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