第28話

文字数 2,731文字

 不自然な音がしてサガルの槍が折れた。焦りを覚えたサガルの動きが乱れた瞬間をスッヅが見逃さず、剣で彼の槍を巻き込み、もぎ取ろうとしたのだ。が、サガルは当然のように抵抗し、結果、槍の耐久力を越える負荷がかかってしまったのである。
 しかし少年の闘志は衰えず、折れた槍を捨てて剣を抜くと、何度目かの喚声で自らを鼓舞し、スッヅへ突進する。
「シャアッ!」
 馬による突進と剣の突きの動きを合わせる。強弓から放たれた矢さながらに老人の心臓を狙う剣先は、スッヅに跳ね返される。だがサガルはあきらめることなく剣を立て続けに繰り出した。それはまるで十数本の矢が同時に放たれたかのようで、スッヅの心臓だけでなく、腹、脚、腕、顔、その他の部位を同時に攻撃するかに見えた。
 が、スッヅはそれすらもすべて受けてしまった。
「……!」
 この攻撃はサガルにとって奥の手と言っていいほどのもので、少年族長をさすがに愕然とさせた。
 彼の半瞬の自失とともに、再度サガルとスッヅは馬体を激突させ、互いの体をぶつけ、剣と剣できしむ音をさせるほどに押し合う。
「…小僧、わしに降れ。ズタスのところにいるより良き目にあわせてやるぞ」
 スッヅも疲労していた。呼吸は荒くなりかかり、汗もにじみそうになる。しかしそれを精神力で抑えつつ、サガルに帰順を薦めた。
 スッヅのサガルを欲しいと思う心は真剣だった。本物の勇者はどの族であろうと欲しい。サガルの武勇と気骨は、充分に勇者と言ってよかった。だがそれ以上にスッヅは自分の後継者である孫のオドーのためにサガルを欲したのだ。
 スッヅはもうすぐ死ぬ。もうすぐが数年後か十数年後か、あるいはもう少し先なのかはわからない。だがオドーが成人し、真実ギョラン族を率いる頃には、たとえ生きていたとしても自分の力は孫の役には立たないであろう。その時のために、孫に有力な部下を残しておいてやりたかった。サガルはそのために必要な力量も若さも、充分に持ち合わせていたのだ。
 だがもし帰順せぬとなれば、なんとしてもここで殺さねばならぬ。サガルを無事に帰せば、彼はこれから先もギョラン族の敵として自分たちーーひいては孫のーー眼前に立ちふさがるだろう。それも有能で強力な敵として。孫の脅威となる存在を残して死ぬわけにはいかなかった。
 それゆえサガルの返答は重要なものだったのだが、若きシン族族長は荒い呼吸の下、あっさり拒絶した。
「…断る。おれの族はコナレ族長の下にある。汝を殺さぬ限り、おれは生きて帰るつもりはない」
 スッヅは少年を見誤っていたことを知った。彼は若くとも一族の長なのだ。配下にある者たちに責任がある。彼らを裏切れば、ズタスは残されたシン族を許すはずがない。またそうでなくとも、サガルは一族を捨てて自分だけが富貴を得るなど考えることもできなかった。
 少年の誇り高さに気づかなかったスッヅは、むしろ恥入った。
「…由ないことを口にした。忘れよ。そしてあの世で一族の行く末を見届けよ。わしの配下として富貴を味わわせてやるゆえな」
 敬意をこめて言い放つと、スッヅはサガルの剣を彼の体ごと弾き飛ばした。サガルはよろめくが、スッヅは傲然と馬上にある。
 スッヅはズタスを倒し、コナレ族を自らの勢力に加えるつもりだった。その中には当然シン族もあり、彼らにも征服した央華の美果を存分に味わわせる。そのことを馬上の威風に劣らぬ剛毅さで、サガルに約したのだ。それは同時にサガルへの死刑宣告だった。
「…シャアッ!」
 よろめく馬体と自らの四肢に鞭を入れ、サガルは再度突進する。すでに体力は限界に近く、剣を持つ腕も重さを覚えてきた。だが闘志と怒りとは消えず、さらなる猛火となる。サガルは誇り高きシン族の長である。自らの族を奪うなどと宣言する者を許すつもりはなかった。
 怒りは、疲労を忘れさせたかのように剣の暴風を作る。だがそれが一時的であることは明らかだった。スッヅは暴風が収まるまでいなしながら待つだけでいいのだ。
 だがそうはしない。サガルの最後の猛攻を正面から受け、叩き返す。それができずに彼の率いる族をむしり取るなど、騎馬の民の誇りが許さなかった。
 互いの誇りが激突する。
 そして恐るべきは老族長だった。サガルの捨て身に近い凄まじいまでの攻撃を上回る猛攻で、若きシン族族長を圧倒したのだ。
「……!」
 サガルは声にならない叫びを挙げた。それは驚愕の叫びであり、怒りの絶叫であった。スッヅにここまでの力があるとは。彼は自分の甘さに怒ったのだ。
 それでも闘志は薄れない。猛攻にさらなる猛攻を返すが、限界が近いことはサガル自身にもスッヅにもわかっていた。
「…シャアッ!」
 瞬間、スッヅはこの日最初で最後の喚声を挙げた。サガルが自棄に近い反撃のため剣を振り上げた瞬間、その隙を見逃さず、己の剣の向きを急激に変えたのだ。剣先が、サガルの顔面、絶叫をあげるために開いていた口へ矢のような速度で突き込まれる。振り上げられていたサガルの腕に、剣を防御へ回す余力はない。スッヅの剣はサガルの口内を突き刺し、首の後ろまで抜けるはずだった。
 が、その刹那、サガルは首を横にひねった。喉を突き刺すはずだった剣先は彼の左頬を突き破り、口の端まで斬り裂いた。血が、弾けた。
 この時この瞬間まで、ぎりぎりでありながらサガルの行動はすべてスッヅの許容内であった。央華の遊戯である将棋でいえば「詰み」であったのだ。この最後の行為、反射そのもの、本能のままの行為だけがスッヅの予想を上回り、そしてすべてを覆したのである。
「……!」
 勝ちを確信していたスッヅは目を見開いて驚愕し、隙を作る。よけるのも反射だったサガルの攻撃は、これも反射だった。上段に振り上げていた剣を剛速と共に振り下ろす。速度に劣らぬ重さを持った剣は、スッヅの左腕を斬り落とした。サガルの頬に咲いたものとは比較にならないほど大きな血の華が咲く。さらにサガルは振り下ろした剣を斜め上に斬り上げた。左腕がなくなり、がら空きになったスッヅの胴は、左脇腹から右胸にかけて大きく斬り裂かれた。返り血が、少年族長の身体に振りかかる。
 が、サガルはそのことに構う余裕がなかった。斬り上げた剣に振り回されて身体の均衡を崩し、馬上から地面へ落下してしまったのだ。打ちつけられた背中に痛みは感じない。それ以上に、もともと苦しかった息が落下の衝撃で詰まってしまったのが耐えがたかった。
 永遠に等しい数瞬後、詰まった呼吸が抜け、全身で酸素をかき集めるように大きく荒くあえぎながら、サガルは仰向けに倒れたまま動けなくなってしまった。こんなことは彼の人生で初めての経験で、それほどまでに消耗しきっていたのだ。
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登場人物紹介

ズタス……遊牧騎馬民族・コナレ族族長

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