第2話ー1.
文字数 1,825文字
空は朝からずっと灰色のグラデーション。濃淡を少しずつ揺らしながらもバランスを保っていた。なのに部活の時間になって急に黒の割合を増やしたかと思うと、雨粒を撒き散らし始めた。
おかげで部活は中止。せっかく着替えたジャージからまた制服に着替え直して、校舎の出口で泣きっ面の空を恨めしく見上げた。
「やほ、遥香」
そう明るく声を掛けられて振り向くと、こちらはジャージ姿のまんまの兼弘 美沙 が、顔の横で手を振っている。ツインテールに結んだ髪がデビューしたてのアイドルのように愛らしい。
やほと右手を上げて応じる。
「陸上部は中止?」
「そうなんだよ」
「いいなぁ。わたしも早く帰ってコーイチくんのライブDVDを見たいのにぃ」
美沙はバスケ部だから警報でも出ない限りなかなか中止にはならない。わたしが所属する陸上部だって雨天即中止というわけでもない。普段なら校舎内で筋トレをしたり、階段を走ったりもする。けれど今日は、詳しくは知らないけれど、偉いお客さんが来てるとかいう大人の事情で中止になった。
コーイチくんというのは、随分と前から美沙が夢中になっている美少年アイドルだ。それは女の友情の危うさを感じさせるほどの熱の入れようで、バイト代の大部分は彼に注ぎ込まれているらしい。気持ちは分からないでもないけれど、わたしの関心はテレビの中には向かわない。強いて言うなら可愛い女の子のアイドルグループを見ている方が好きだ。
「コーイチくんもいいけど、ちゃんと練習しなよ。うかうかしてるとレギュラー取られちゃうよ」
「それを言わないで、」
美沙はまだ何か言いかけていたようだったのに、そこで言葉を切った。かと思うと急に小声になって手招きをする。
「遥香、ちょっとおいで」
「なに?」
近づくと、美沙はわたしが手に持っていた折り畳み傘を奪い取り、更にわたしの鞄を勝手に開けてその中に傘を仕舞い込んでしまった。
「何すんのよ。濡れて帰れっての?」
「まあまあ。悪いことは言わないから、今日は傘を忘れたことにしな。じゃあね、頑張って」
美沙は怪しげな笑みを残して、体育館の方に走って行った。
なんだ? 頑張らなきゃいけないのはそっちだろうに。すぐ変な悪戯するんだから。
ところが、再び傘を取り出そうとしながら振り向いた先には、今まさに傘を開こうとしている仲多 奏多 の姿があった。
どうやら奏多の方も部活が中止になったようだ。
そうか。
美沙の意図を理解する。
ありがとう、美沙。持つべきものは理解ある友人だ。
わたしは早くも女の友情を見直しながら、鞄の中で握っていた折り畳み傘を更に奥深くまで押し込んだ。そして一度、静かに深呼吸をする。
「奏多!」
大きな声で呼ぶと、彼は開きかけの傘を持ったまま、間抜けな表情でこちらを見た。あろうことか、その表情が空模様に対抗するかのように曇るではないか。
「なんで、そんな顔するのよ!」
大きな歩幅で詰め寄った。
「そ、そんな顔って、どんな顔だよ」
「遠足の日に雨に降られた小学生みたいな顔よ」
蛇に睨まれた蛙だとは言いたくなかった。そんな関係を望んでいるわけじゃない。なのに、わたしが名前を呼ぶと奏多は大抵困ったような、時には怯えた表情を見せる。でも、それはきっと何か疚 しいことがあるせいだ。わたしのせいじゃない。ちょっと可愛い女子がいるとすぐに顔の表情筋が雪崩を起こす奏多の方が百悪い。
「何してんのよ?」
「か、帰るんだよ」
「そんなこと分かってるわよ。部活はどうしたの?」
「テニス部が中止だから帰るんだ」
「ああ、テニス部だったんだ」
「悪いか?」
「別に」
ラッキーだ。奏多は部活をいくつか掛け持ちしている変なやつなのだ。テニス部の他は天文部と美術部だったはず。
「天文部やって帰りなさいよ」
一緒に帰りたいくせに、そんなことを言ってしまう素直じゃない自分を自覚する。
「こんな、黒い羊を敷き詰めたような空を見上げる趣味はないんだ」
黒い羊?
意外なワードに、思わず斜めに空を見上げた。
なるほど。そんなふうに思ったことはなかったけど。
「じゃあ美術部は?」
「今日は活動日じゃないの」
「あ、そ」
逆に陸上部はどうしたんだよと問われたので、大人の事情で中止なのと答えながら、雲に締め出された太陽を偲ばせるような笑顔をサービスしてあげた。なのに、余計に怯えた表情を見せる奏多の神経が理解不能だ。
「そんなことより、」
わたしは奏多が手に持っている傘を見ながら、柄にもなく言い淀んだ。
おかげで部活は中止。せっかく着替えたジャージからまた制服に着替え直して、校舎の出口で泣きっ面の空を恨めしく見上げた。
「やほ、遥香」
そう明るく声を掛けられて振り向くと、こちらはジャージ姿のまんまの
やほと右手を上げて応じる。
「陸上部は中止?」
「そうなんだよ」
「いいなぁ。わたしも早く帰ってコーイチくんのライブDVDを見たいのにぃ」
美沙はバスケ部だから警報でも出ない限りなかなか中止にはならない。わたしが所属する陸上部だって雨天即中止というわけでもない。普段なら校舎内で筋トレをしたり、階段を走ったりもする。けれど今日は、詳しくは知らないけれど、偉いお客さんが来てるとかいう大人の事情で中止になった。
コーイチくんというのは、随分と前から美沙が夢中になっている美少年アイドルだ。それは女の友情の危うさを感じさせるほどの熱の入れようで、バイト代の大部分は彼に注ぎ込まれているらしい。気持ちは分からないでもないけれど、わたしの関心はテレビの中には向かわない。強いて言うなら可愛い女の子のアイドルグループを見ている方が好きだ。
「コーイチくんもいいけど、ちゃんと練習しなよ。うかうかしてるとレギュラー取られちゃうよ」
「それを言わないで、」
美沙はまだ何か言いかけていたようだったのに、そこで言葉を切った。かと思うと急に小声になって手招きをする。
「遥香、ちょっとおいで」
「なに?」
近づくと、美沙はわたしが手に持っていた折り畳み傘を奪い取り、更にわたしの鞄を勝手に開けてその中に傘を仕舞い込んでしまった。
「何すんのよ。濡れて帰れっての?」
「まあまあ。悪いことは言わないから、今日は傘を忘れたことにしな。じゃあね、頑張って」
美沙は怪しげな笑みを残して、体育館の方に走って行った。
なんだ? 頑張らなきゃいけないのはそっちだろうに。すぐ変な悪戯するんだから。
ところが、再び傘を取り出そうとしながら振り向いた先には、今まさに傘を開こうとしている
どうやら奏多の方も部活が中止になったようだ。
そうか。
美沙の意図を理解する。
ありがとう、美沙。持つべきものは理解ある友人だ。
わたしは早くも女の友情を見直しながら、鞄の中で握っていた折り畳み傘を更に奥深くまで押し込んだ。そして一度、静かに深呼吸をする。
「奏多!」
大きな声で呼ぶと、彼は開きかけの傘を持ったまま、間抜けな表情でこちらを見た。あろうことか、その表情が空模様に対抗するかのように曇るではないか。
「なんで、そんな顔するのよ!」
大きな歩幅で詰め寄った。
「そ、そんな顔って、どんな顔だよ」
「遠足の日に雨に降られた小学生みたいな顔よ」
蛇に睨まれた蛙だとは言いたくなかった。そんな関係を望んでいるわけじゃない。なのに、わたしが名前を呼ぶと奏多は大抵困ったような、時には怯えた表情を見せる。でも、それはきっと何か
「何してんのよ?」
「か、帰るんだよ」
「そんなこと分かってるわよ。部活はどうしたの?」
「テニス部が中止だから帰るんだ」
「ああ、テニス部だったんだ」
「悪いか?」
「別に」
ラッキーだ。奏多は部活をいくつか掛け持ちしている変なやつなのだ。テニス部の他は天文部と美術部だったはず。
「天文部やって帰りなさいよ」
一緒に帰りたいくせに、そんなことを言ってしまう素直じゃない自分を自覚する。
「こんな、黒い羊を敷き詰めたような空を見上げる趣味はないんだ」
黒い羊?
意外なワードに、思わず斜めに空を見上げた。
なるほど。そんなふうに思ったことはなかったけど。
「じゃあ美術部は?」
「今日は活動日じゃないの」
「あ、そ」
逆に陸上部はどうしたんだよと問われたので、大人の事情で中止なのと答えながら、雲に締め出された太陽を偲ばせるような笑顔をサービスしてあげた。なのに、余計に怯えた表情を見せる奏多の神経が理解不能だ。
「そんなことより、」
わたしは奏多が手に持っている傘を見ながら、柄にもなく言い淀んだ。