第4話ー2.

文字数 1,947文字

 今度、貸そうか——まあ、悪くはない。悪くはないけど、30点だ。
 今から一緒に観ない?——これが満点でしょ。どうしてそれが言えないんだ、男のくせに。

「いいの?」

「そりゃ全然構わないけど」

「でもなあ、わたし、観たいと思った時にすぐ観たいタイプなんだよね」

 どんなタイプだと内心で自分に突っ込む。

「じゃあ、自分で何とかしろ。ネット配信でも観られるはずだから」

「お金がかかっちゃうじゃん」

「それは仕方ないよ」

「えー。お小遣いがなくなっちゃう」

「それは知らん」

 鈍感。
 全部言わなくても分かってよ。
 いや、普通、分かるでしょ。

「一緒に、」

 あー、ダメだってば。自分から言っちゃ。

「え、何?」

 向こうから言わせなきゃ。
 だって、一緒に観たいなんて恥ずかしいこと、言えないよ。
 なのに——。

 もう少しでわたしん()と彼ん家の別れ道になる。このままだとわたしん家の方へ進んでしまう。そうなる前に何とかしなければ。

 もう一度、脅迫してみるか。すぐに観せなきゃクラスの女子たちに有る事無い事触れ回るぞって。いやいや。脅迫なんてそう何度も使える手ではない。嫌われてしまっては元も子もない。

 逡巡の最中に着いてしまった分かれ道の四つ角。わたしは立ち止まって俯いたまま、傘を持つ奏多の腕の制服の袖を軽くつまんだ。

「ね、一緒に……観よ?」

 言ってしまった。
 何で? まだ言おうなんて決めてなかったのに、言葉が勝手に。

「え?」

 奏多から溢れ出る戸惑い。
 ま、その困った表情が見られたから良しとするか。

「奏多の家で、一緒に観ちゃだめ?」

 上目遣いに追い討ちをかける。
 もうわたしの精神的優位は揺るがないはず。
 
「い、いや、でも、」

 奏多ははっきりしない。ほんと情けないというか、だらしないというか。

「いやとかでもじゃなくて、いいか駄目か」

 あるいは一緒に見たいか見たくないか——もし見たくないなんて言われたら、わたしの精神的優位なんて二度と訪れないだろう。

「い、いや、それは、」

「嫌なの?」

「嫌じゃないよ。嫌じゃないけど」

「嫌じゃないんだ。じゃ、決まりね」

「いいのかよ、真っ直ぐ帰らなくて」

「大丈夫。どうせ部活だと思われてるし」

 やった——!
 奏多の家に行くのは初めてだ。ついに一歩前進。相合傘といい、今日は良い日だ。そう心の日記に(したた)めよう。
 
 再び歩き始めると、何だか足が軽くなったような気がした。

 他の女の子と楽しそうにしちゃ駄目とか、相合傘しちゃ駄目とか、わたしにそんなことを強要する権利がないことくらい分かってる。残念ながらわたしたちは付き合っているわけではないのだから。

 わたしの方はいつでも準備万端。愛の告白ならすぐに受け入れられる。けれど、自分からの告白は無理。こればっかりは無理なの。

 美沙から言われた。あなたの言っていることは告白と同じだ、いや、ある意味ではそれ以上、普通なら彼女以外には言えない台詞ばっかだぞって。そうかもしれない。ううん。美沙の言う通りだ。でもね、ほとんど同じだとしても、全く同じではないわけで。現に彼女でもないわたしが言っちゃってるわけで……。

 美沙が言いたいのは、そんなことが言えるなら告白だってできるだろってこと。分かる。分かってる。でもね、それとこれとは話が違う。彼女でなきゃ言わないような台詞は言えても、自分から告白は出来ない。無理なものは無理。

 そういうやり取りを何度も繰り返しているうちに美沙も事実として受け入れてはくれたものの、納得はしていないと言っていた。相手の胸に自分の頭を当てて「他の女子と楽しそうにするな」なんてことを言うよりは、ひと思いに好きだと言ってしまうがよっぽどハードルが低いとも。

 美沙は正しい。けれど、世の中は正しい事だけで出来てはいない。正しい事、理不尽な事、意味不明な事、想定外の事——色んなものがごちゃ混ぜになって世界を構成している。

 そんなことを考えていると、不意に奏多が違う話題を振ってきた。

「三連休って何してた?」

 ゴールデンウイークのことだ。
 平日を一日挟んで三連休が二回あったけれど、陸上部はほとんど練習だった。

「何って、部活だったけど」

 奏多のいるテニス部だってそうだったはず。おまけに奏多は天文部と美術部にも籍を置いている。彼女が出来たら、いつデートとかするつもりなんだろう?

「そっか」

「奏多だって部活だったでしょ? 何かあったの?」

 顔を覗き込むようにして尋ねてみたけれど、奏多は視線を足元に落として合わせてはくれない。かと思うと、言葉を選ぶかのような短い沈黙を挟んでから、ふいにわたしの目を見て言った。

「実はさ、俺、山で女の子を助けたんだよ」

 思えば、その台詞がこの世界の地軸を変えてしまう呪文のようなものだったのかもしれない。
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