第19話 足湯にて。

文字数 3,702文字

 中原中也記念館にて。
 ゆっくりと時間をかけて展示を観終えたるるせさんとわたしは、受付でそれぞれ本やグッズなどを購入し、記念館をあとにする。
 中原中也記念館の入口は、洋風のスタイリッシュな建物とは対照的に、青々とした緑の垣根といった和の要素が取り入れられており、そのなかに、選りすぐりの中原中也の詩の一部が展示されている。
 記念館を出たあとも、最後まで余韻に浸ることができる、心憎い演出である。

 るるせさんとわたしはしばしその場に(とど)まり、建物を振り返る。
 名残惜しい。後ろ髪を引かれるとは、このことか。
 わたしでさえそう感じたのだから、るるせさんはきっと、それ以上の思いを抱えていらしたのではなかろうか。
「行きましょうか」
「行きましょう」
 やがて、どちらからともなくそう切り出し、今度こそ中原中也記念館をあとにする。
 来たときと同じ道を通り、次に向かうのは井上公園。
 長州ファイブのひとりである、井上馨、ゆかりの地である。


 公園内に足湯がある。ちょうど無人だったこともあり、ここで足湯に浸かることにする。
 テキパキと靴と靴下を脱ぎ、早々と足湯に浸かるるるせさん。モタモタと靴を脱ぐわたしに衝撃のひとこと。
「桐乃さん、足湯の写真を撮りましょう」
「へっ」
「記念に」
「えっ、あの、わたしもですか?」
「そうです」
「ええぇー」
 ストライプ柄の靴下を履いていたので、足にその模様がそのままついている。この足を写真に。まじか。
 ちらっとようすを(うかが)うと、るるせさんはあの目ヂカラのある眼差しでじっとわたしを見ている。無理。断れる気がしない。いや、そもそも、今日はるるせさんが主役なのでなんでもいうことを聞く、と宣言している。わたしは黒子(くろこ)である。
 黒子が写真に写っても良いのか?
 いや、るるせさんがそういうのなら是非(ぜひ)もない。
「はい、いいですよ」
「ありがとうございます」
 こうしてるるせさんのあの写真は撮影されたのである。ついでとばかりに、わたしも自分のスマホで足湯の写真を撮らせていただく。


 桐乃から見た足湯の場面である。

 お湯の温度は意外と高く、熱い、と感じるほどだ。汗ばむような蒸し暑い今の時期でも気持ち良く感じるのだから、冬場はさぞ心地好いだろう。

 ほぅ、と息を吐く。
「中原中也記念館、どうでした?」
 と、わたし。
「いやー、良かったですよ。来て良かった」
 と、しみじみとした口調で答える、るるせさん。
 あいまに沈黙を(はさ)みながら、ぽつりぽつりと言葉を交わす。
「高校生のときに詩が好きで、でも詩から離れて、小説を書くようになって」
「はい」
「まさか、ここにきて、ふたたび中原中也の詩に出会うことになるとは」
 そういって、少し困ったように笑う、るるせさん。

 公園内に人は(まば)らで、時折、散歩がてらに通り抜ける人や、公園のベンチで昼食をとるサラリーマンの姿が見える程度。どこからともなく舞い降りてきた小鳥が草の実をついばむ。ほかにも仲間がいるのか、近くで鳥のさえずりが聞こえる。
 足湯からは車道が見える。生活道路なのだろう、車や自転車がひっきりなしに通り過ぎていくが、それすらも風景の一部のようで、見ていて飽きることはない。
 さまざまな音が行き交うなかで、それでも不思議なことに、るるせさんとわたしがいる公園内は柔らかな静寂に満ちていたように思う。

「これ、どういう状況なんですかね」
 と、ふいに笑うるるせさん。
「ほんとですねぇ。どういう状況なんでしょうね」
 ヘラヘラと笑いながら答えるわたし。
 ネット上で交流を重ねてきたとはいえ、初対面の相手と、こうして並んで足湯に浸かっている状況をなんというのか。るるせさんがわからないことが、わたしにわかるはずもなく。
「不思議な状況ですねぇ」
「そうですねぇ」
「でも足湯、めっちゃ気持ち良いですよね」
「気持ち良いですねぇ」
 という、とりたてて意味のない会話を何度も繰り返しながら、熱く、それでいてまろやかなお湯を堪能(たんのう)する。

 そもそも人前で裸足になることなど、滅多にない。
 靴を脱ぐことはあっても靴下までは脱がないだろう。
 そのせいだろうか。
 言葉少なに、ときどき静かにため息をつくるるせさんが、なんだかやたらと無防備に見えて、思わず息をひそめてしまう。
 人は生きていくうえで、いくつかの(よろい)を身にまとう。あるいはいくつかの仮面を被る。虚勢を張ったり、道化を演じたり、優しさを装ったり、そうやって「対外的な自分」を作り上げるものだと思う。

 あくまでもそのときのわたしの目には、なので、ただの気のせいであったり、思い込みだったりするのかもしれない。それを踏まえて、それでもそのときのわたしの目には、るるせさんはひどく無防備な状態に見えた。まるで、柔らかな生身の心の核の部分が剥き出しになったような、そんな状態に。
 傷つきやすい、柔らかな心を持った、高校生の男の子のように見えた。
 こんなことを書くと、きっとるるせさんは、
「考えすぎですよー」
 と苦笑いを浮かべるだろう。
 けれど、あのときのわたしはそう感じたので、ここにそれを記しておくことにする。あくまでも、わたしの目から見たるるせさんの姿、ひとつの風景として。

 そういう具合なので、わたしはあまりるるせさんを直視できなくて、足許のお湯や、周りの風景をぼんやりと眺めていた。わたしの目が勝手に錯覚を起こしているだけなのだとしても、中原中也記念館で中原中也の詩や、その生涯をたどったばかりのるるせさんは、きっとご自身の来し方行く末に思いを馳せていたに違いないだろう。邪魔をしたくはない。


 白狐たちが見守ってくれている。

「贅沢な時間というのは、こういうことをいうのですよ」
 と、るるせさん。
「ほんとですねぇ。贅沢なひとときですねぇ」
 と、わたし。
「生きていて良かったです」
 というるるせさんのお言葉を聞いて、ああ良かった……と心から思う桐乃なのであった。

 いつのまにか雨が降り出していた。
 足湯には屋根がついているので雨宿りにはちょうど良い。目の前に、その効能と注意書きが書かれた看板があった。
「動物は入ったらダメらしいですよ。白狐さん、怒っちゃいませんかね。自分たちが見つけた温泉なのにって」
 藪からスティックにわたしがいうと、隣でるるせさんが噴き出す。
「そうですよねぇ」
 また桐乃が突拍子もないアホなことを言い出した、とさぞかし呆れられたことだろう。それでも良いのだ。

 雨はしとしとと降り続ける。雨女(あくまでも疑惑)の本領発揮である。銀色の糸のような雨を眺めながら、けれどもこのときの雨はおそらくわたしの味方であった。
 この足湯でのひととき、るるせさんとわたしを取り巻く世界は穏やかで、世界はわたしたちに優しかった。

 ***

 どのくらいそうしていたのか。
 足湯に人がやってきたのと、ちょうど雨が上がったのを機に、るるせさんとわたしは足湯を離れることにした。
 井上公園内には中原中也の詩碑がある。それを見て、わたしイチオシの池へとるるせさんをご案内する。
「おー、すごい」
 感嘆の声を上げるるるせさん。
 (おもむき)のある庭である。青々と生い茂った庭木が水面(みなも)に影を落とす。池にはまるまると肥えた立派な鯉たちが悠々と泳ぎ、それらはわが家の猫たちといい勝負の巨体である。

 湯田温泉駅へと戻る道すがら、脇に建つ家の垣根から、突然猫がビュンとすごい勢いで飛び出してきて驚く。
 それは本当に、絵に描いたような飛び出し方である。
「わっ、びっくりした。喧嘩でしょうか」
 猫が飛び出してきた家の垣根をちらりと(のぞ)くと、もう一匹、べつの猫が文字通り右往左往していた。先ほどの猫を追いかけたいのに、思いがけず人間が通りかかったので飛び出すに飛び出せない、そんなようすが見て取れる。
 (るるせさんのnoteの旅行記スケッチ7を拝見して、そんなふうに見えていたのかと、今さらながら赤面する桐乃なのであった……)

 先日、わたしが行きそびれた謎のお店に行ってみましょう、とるるせさん。お言葉に甘えて店の前まで行ったものの、閉店の札がかかっている。残念。またトライしよう、と心に誓う。
 湯田温泉駅で切符を買い、ひとつしかないホームで電車を待つ。どうやら電車が数分遅れているらしい。のどかな風景を眺めていると、るるせさんが
「そういえば、山や植物だけでなく、土の色も、関東とは違うのですよー」
 とのこと。おお、なるほど。
 しばらくしてホームに入ってきた電車に乗り込む。

 山口線のワンマン電車は、なんと、運転席とのあいだのドアが開いているため、運転士さんの後ろ姿を見学できるのである。手許の操作もすべて見える。なので、わたしはたいてい一号車の前のほうの席に座って運転士さんを眺めることが多い。

 湯田温泉駅の隣が山口駅である。
 中原中也記念館と足湯がメインイベントだったので、このあとの予定は行き当たりばったりだった。
 山口駅を出て、まっすぐ走る道をパークロードといい、この通りに山口市の主要施設が集まっている。
 るるせさんとわたしは、そのパークロードを進んでいく。雨が上がり、蒸し暑さが増していた。



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