第13話 行ってお帰り

文字数 2,185文字

 先週の休日のこと。
 お昼ごはんを買いに近所のスーパーへ出かけた帰り道、交差点で信号待ちをしていると、青信号側の歩道に学校帰りと思われる小学生の姿。ランドセルに黄色いカバーがかかっているのが見えた。新一年生だ。小さい。こんなに小さいのに、ひとりで下校するのか。大丈夫なのか。
 青信号なのでいつ渡っても大丈夫なのに、その男の子は片手を上げて左右を確認し続けて、一向に渡るようすがない。もじもじしている。

 小さな交差点のわりに交通量の多い道路。左折、右折の車が、小さな歩行者が横断歩道を渡るのを待っている。
 よもや、痺れを切らして歩行者を無視して車を発進させたりするまいな、と気が気でないわたし。妙な緊迫感がその場を支配する。
 いま思えば、その新一年生の男の子は、足を踏み出すタイミングを失っていたのだろう。手招きするか、「渡っておいで」と声をかけてあげればよかったのかもしれない。機転の利かない桐乃である。

 歩行者信号が点滅しはじめて、ようやく男の子は意を決したように駆け出した。渡りきったときには赤信号に変わっている。そのままわたしの後ろを駆け抜けていく。危ない。狭い道なのに車はかなりのスピードを出して走る。
 わたしが待っていた方向の信号が青に変わり、少年の後ろ姿を見ながら横断歩道を渡る。なにかを見つけたように少年はさらに元気に跳ねるように駆けていく。

 その先に、ひとりの女性がこちらへ向かって歩いていた。電柱の陰に隠れて気づかなかったのだろう、少年の姿を認めると、両手を広げて女性も駆け出す。その腕のなかに飛び込む小さな男の子。
 ドラマのワンシーンを観ているようだった。
 お母さんが迎えに来たのだ。

 ……ここで水を差すようだが、わたしは実は子どもがあまり好きではない。子どもに罪はない。単純にわたしの未熟さがそうさせるだけの話。
 小さい生きものが怖い。

 正確にいうと、いつ突発的に自ら危険に飛び込んでいくかわからない小さな生きものが、保護者の手を離れてひとりでうろついているのを見るのが怖い。もし万が一、その子になにかが起きて、それを助けられるおとなが周囲に自分しか存在しない、みたいな状況は、間違いなくわたしの寿命を縮める。
 人間の子どもだけではない。

 わたしは過去に三匹の仔猫を保護してわが家に迎え入れたのだが、小さすぎて怖かった。片手で持てるくらいの小さな生きものが、わたしが見ていなければ家のなかで危険な目に遭うかもしれないのに、わたしの家にはわたししか助けられる人間がいないのだ。怖すぎる。
「仔猫、かわいいね」
 と周囲の人たちは目尻を下げっぱなしだったし、確かに仔猫のかわいさときたら、ちょっともう、言葉では言い表せないほどの威力があった。
 それでも、早く大きくなってくれないかな、とずっとひそかに思っていた。少なくとも、ちょっと目を離した隙に家具の隙間に入って行方不明になるとか、小さすぎてどこにいるのかわからなくなるとか、そういう恐怖を感じなくてすむ程度の大きさになってくれまいかと。
 その願いは通じて、三匹ともたいそうな巨漢猫に成長してくれた。名は(たい)を表す、というが、まさにその名の通り、超弩級(ちょうどきゅう)の体格におのおの育ってくれた。育ちすぎなくらいに。

 ***

「行ってきます」
「お帰りなさい」

 毎日のように、あたりまえに交わされる言葉がある。
 わたしの住む地方では、これを
「行って帰ります」
「行ってお帰り」
 という地域もある。

「行って(必ず)帰ってきます」
「行って(必ず)帰っておいで」

 家族の無事を祈る、おまじないのような言葉。
 わたしはこの言葉がとても好き。

 あいにく人間の家族はいないので、猫たちにいう。
 仕事や用事で出かけるとき、わたしは必ず二匹の猫たちと、今はお骨になっている初代の猫の骨壷に触りながら声をかける。

 仕事へ行くときは、
「仕事に行ってくるね。お昼過ぎにはいったん帰るよ」
「今日は夜まで帰れないけど、お留守番しててね」

 買いものなどに出かけるときは、
「ちょっとごはん買いに行ってくる。30分くらいで帰るよ」
「お散歩行ってくる。夕方暗くなる前には帰るよ」

 必ず、帰ってくる予定の時間帯まで伝える。確実な時間がわかれば、より具体的に。

 これは、わたしなりのおまじない。
 外出先で、わたしにもしものことがあったら、この子たちはほぼ確実に置き去りになってしまう。そうならないために、ただの気休めに過ぎないとわかっていても、
「絶対に帰ってくるから」
 という意思を伝える。
 言霊(ことだま)を信じている。
 幸い、今まで無事に帰れなかったことはない。
 なので効果はあると思っている。

「行って帰ります」
「行ってお帰り」

 毎日のこの約束がいつまでも果たされることを願っている。



わが家に来たばかりの当時のチビたち。なぜかトイレで寝る。


体重500gとかで、とにかく小さかった。二匹とも風邪を引いていて鼻水ずびずびで目ヤニだらけだったけど、ごはんだけはしっかり食いつきてきたので大丈夫だなと思った。


急ごしらえの犬用のケージだったので上は開いている。すぐに大きくなってケージは用をなさなくなった。


このあと初代の子は虹の橋を渡ってしまうので、三匹一緒にいた時間はそう多くない。


猫はたいてい気づくと寝ている。


すっかり大きくなったのに、やけに狭いところに挟まって寝たがるのが猫。


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